🎻16:─5・D─首都・東京は沖縄と同様に米軍支配の激しい「世界でも例のない場所」〜である。No.61 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本におけるアメリカ、在日米軍の自由な行動を保証しているのは、日米安保日米地位協定そして日本国憲法である。
 その意味において、敗戦利得者であるエセ保守とリベラル左派の護憲派の正体が分かるし、親米派派もちろん反米派・反安保派・在日米軍基地反対派の本性が見えてくる。
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 2024年1月12日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「首都・東京がじつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい「世界でも例のない場所」という「衝撃の事実」
 矢部 宏治
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 「戦後日本」という国
 おかしい。
 不思議だ。
 どう考えても普通の国ではない。
 みなさんは、ご自分が暮らす「戦後日本」という国について、そう思ったことはないでしょうか。
 おそらくどんな人でも、一度はそう思ったことがあるはずです。アメリカ、中国に次ぐ世界第三位の経済大国であり、治安のよさや文化水準の高さなど、誇るべき点もたしかに多い私たちの国、日本。しかしその根っこには、どう隠そうとしても隠しきれない、とんでもない歪みが存在しています。
 たとえば私が本を書くたびに触れている「横田空域」の問題です。
 じつは日本の首都圏の上空は米軍に支配されていて、日本の航空機は米軍の許可がないとそこを飛ぶことができません。いちいち許可をとるわけにはいかないので、JALやANAの定期便はこの巨大な山脈のような空域を避けて、非常に不自然なルートを飛ぶことを強いられているのです。
 とくに空域の南側は羽田空港や成田空港に着陸する航空機が密集し、非常に危険な状態になっています。
 また緊急時、たとえば前方に落雷や雹の危険がある積乱雲があって、そこを避けて飛びたいときでも、管制官から、
 「横田空域には入らず、そのまま飛べ」
 と指示されてしまう。
 6年前に、はじめてこの問題を本で紹介したときは、信じてくれない人も多かったのですが、その後、新聞やテレビでも取り上げられるようになり、「横田空域」について知る人の数もかなり増えてきました。
 それでもくどいようですが、私は今回もまた、この問題から話を始めることにします。
 なぜならそれは、数十万人程度の人たちが知っていればそれでいい、という問題ではない。少なくとも数千万単位の日本人が、常識として知っていなければならないことだと思うからです。
 エリート官僚もよくわかっていない「横田空域」
 もちろんこの「横田空域」のような奇怪なものが存在するのは、世界を見まわしてみても日本だけです。
 では、どうして日本だけがそんなことになっているのでしょう。
 私が7年前にこの事実を知ったときに驚いたのは、日本のエリート官僚と呼ばれる人たちがこの問題について、ほとんど何も知識を持っていないということでした。
 まず、多くの官僚たちが「横田空域」の存在そのものを知らない。ごくまれに知っている人がいても、なぜそんなものが首都圏上空に存在するかについては、もちろんまったくわかっていない。
 これほど巨大な存在について、国家の中枢にいる人たちが何も知らないのです。
 日本を普通の独立国と呼ぶことは、とてもできないでしょう。
 「いったい、いつからこんなものがあるのか」
 「いったい、なぜ、こんなものがあるのか」
 その答えを本当の意味で知るためには、この本を最後まで読んでいただく必要があります。じつは私自身、右のふたつの疑問について、歴史的背景も含めて完全に理解できたのは、わずか1年前のことなのです。
 世田谷区、中野区、杉並区の上空も「横田空域」
 まず、たしかな事実からご紹介しましょう。
 横田空域は、東京都の西部(福生市ほか)にある米軍・横田基地が管理する空域です。
 いちばん高いところで7000メートル、まさにヒマラヤ山脈のような巨大な米軍専用空域が、日本の空を東西まっぷたつに分断しているのです。
 ここで「米軍基地は沖縄だけの問題でしょう?」と思っている首都圏のみなさんに、少し当事者意識をもっていただくため、横田空域の詳しい境界線を載せておきます(書籍版に掲載)。
 東京の場合、横田空域の境界は駅でいうと、上板橋駅江古田駅沼袋駅中野駅代田橋駅等々力駅のほぼ上空を南北に走っています。高級住宅地といわれる世田谷区、杉並区、練馬区武蔵野市などは、ほぼ全域がこの横田空域内にあるのです。
 この境界線の内側上空でなら、米軍はどんな軍事演習をすることも可能ですし、日本政府からその許可を得る必要もありません。2020年(米会計年度)から横田基地に配備されることが決まっているオスプレイは、すでにこの空域内で頻繁に低空飛行訓練を行っているのです(富士演習場~厚木基地ルートなど/オスプレイの危険性については『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』第2章で詳述します)。
 むやみに驚かすつもりはありませんが、もしこの空域内でオスプレイが墜落して死者が出ても、事故の原因が日本側に公表されることはありませんし、正当な補償がなされることもありません。
 そのことは、いまから40年前(1977年9月27日)に同じ横田空域内で起きた、横浜市緑区(現・青葉区)での米軍ファントム機・墜落事件の例を見れば、明らかです。
 このときは「死者二名、重軽傷者六名、家屋全焼一棟、損壊三棟」という大事故だったにもかかわらず、パラシュートで脱出した米兵2名は、現場へ急行した自衛隊機によって厚木基地に運ばれ、その後、いつのまにかアメリカへ帰国。裁判で事故の調査報告書の公表を求めた被害者たちには、「日付も作成者の名前もない報告書の要旨」が示されただけでした。
 こうした米軍が支配する空域の例は、日本国内にあとふたつあります。中国・四国地方にある「岩国空域」と、2010年まで沖縄にあった「嘉手納空域」です。
 巨大な空域に国内法の根拠はない
 「横田空域」と「岩国空域」という、米軍が管理するこのふたつの巨大な空域に関して、私たち日本人が、もっとも注目すべきポイントがあります。
 それは空域の大きさではありません。
 私たちが本当に注目しなければならないのは、
 「この横田と岩国にある巨大な米軍の管理空域について、国内法の根拠はなにもない」
 という驚くべき事実なのです(「日米地位協定の考え方 増補版」)。
 「自国の首都圏上空を含む巨大な空域が、外国軍に支配(管理)されていて、じつはそのことについての国内法の根拠が何もない」
 いったいなぜ、そんな状況が放置されているのでしょうか。
 さらに連載記事<これまで明らかにされてこなかった日本とアメリカの「隠された関係」…なぜ日本はこれほど歪んだのか>では、日本を縛る「日米の密約」の正体について、詳しく解説します。
 本記事の抜粋元『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)では、私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」など、日本と米国の知られざる関係について解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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 1月12日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「これまで明らかにされてこなかった日本とアメリカの「隠された関係」…なぜ日本はこれほど歪んだのか
 矢部 宏治
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 はじめに
 それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、
 「また陰謀論か」
 「妄想もいいかげんにしろ」
 「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」
 などと批判されることが、よくあります。
 あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。
 自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。
 「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」
 いつもそう思っているのです。
 事実か、それとも「特大の妄想」か
 けれども本書をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。
 ひとつ、簡単な例をあげましょう。
 以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。
 ★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
 なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?
 もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった7年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。
 けれども、私がこれまでに書いた本を一冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。
 そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。
 さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。
 なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、
アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。
 という見解が、明確に書かれているからです。
 つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。
 そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。
 北方領土問題が解決できない理由
 さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。
○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1
 こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。
 そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。
 したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。
 たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。
 2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。
 ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。
 その理由は、まさに先の大原則にあったのです。
 官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、
 「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」
 という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。
 その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、
 「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」
 と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。
 ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、一ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。
 もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、
 「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」
 などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。
 「戦後日本」に存在する「ウラの掟」
 私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。
 そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。
 私が本書を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、
 「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」
 という依頼を出版社から受けたからでした。
 また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。
 なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。
 けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。
 私がこれからこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。
 今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。
 そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。
 そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。
 さらに<首都・東京がじつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい「世界でも例のない場所」という「衝撃の事実」>では、「米軍が支配する日本の上空」の問題について、詳しく解説します。
 (本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも三分しかかかりませんので、まずはマンガから九章分通して読んでいただいてもけっこうです。商業目的以外でのこのマンガの使用・拡散は、次のサイトから自由に行ってください。〔アドレス→ https://goo.gl/EZij2e〕)
 *註1 原文は次の通り。「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還の条件として「返還後の北方領土には施設・区域〔=米軍基地〕を設けないZとの法的義務をあらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月/『日米地位協定の考え方・増補版──外務省機密文書』所収 2004年 高文研)
 本記事の抜粋元『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)では、私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」など、日本と米国の知られざる関係について解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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 1月22日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本人が知らない、日本とアメリカの「本当の関係」…日本の戦後史最大の「謎と闇」
 日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
 【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」
 そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
 『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。
 *本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。
 日米両国の「本当の関係」とは?
 安保関連法を強引に可決させた安倍首相は、おそらく日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、アメリカと「どんな攻撃に対しても、たがいに血を流して守りあう」対等な関係になれるという幻想を抱いているのでしょう。
 しかし、それは誤解なのです。アジアの国との二国間条約である日米安保条約が、集団的自衛権にもとづく対等な相互防衛条約となることは、今後も絶対にありえないのです。
 事実、指揮権密約をみてもわかるとおり、現在の日米の軍事的な関係では、日本側が軍事力を増強したり、憲法解釈を変えて海外へ派兵できるようになればなるほど、米軍司令官のもとで従属的に使われてしまうことは確実です。
 つまり集団的自衛権というのは、現在の日米安保条約とは基本的に関係のない概念なのです。ところが、それにもかかわらず、なぜかアメリカの軍部からの強い働きかけによって、2015年9月、その行使のための国内法が強行採決されてしまいました。
 それではこの日米両国の「本当の関係」とは、いったい何なのでしょう。このあまりに不平等な関係が、どういう国際法のロジックによって正当化されているのでしょう。
 その疑問を晴らすために、先ほど見た1950年10月の旧安保条約・米軍原案から、さらにもうひとつ前の段階の「条文」にさかのぼって調べてみることにしました。
 すると驚いたことに、そこですべての謎が解けてしまうことになったのです。
 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
 下が米軍原案の4ヵ月前(1950年6月)に書かれた、その問題の「条文」です。まず読んでみてください。
○ 日本全土が、米軍の防衛作戦のための潜在的基地とみなされなければならない。
○ 米軍司令官は、日本全土で軍の配備を行うための無制限の自由をもつ。
○ 日本人の国民感情に悪影響を与えないよう、米軍の配備における重大な変更は、米軍司令官と日本の首相との協議なしには行わないという条項を設ける。しかし、戦争の危険がある場合はその例外とする。
 「なんだこれは。さっきの米軍原案と、ほとんど一緒じゃないか」
 と思われたかもしれません。
 そのとおりです。
 しかしこの「条文」の重要性は、その内容ではないのです。
 問題はこれを書いた人物が、そのわずか4年前に憲法9条をつくり、その後も、
 「日本の本土には絶対、米軍基地は置かない」
 と言い続けていたマッカーサーだったということです。
 そのマッカーサーが、なんと、
 「日本全土を米軍の潜在的基地にする」
 というような、おかしくなってしまったかのような「条文」を、突如として書いていた。しかも彼がこの「条文」を書いたのは、1950年6月23日。朝鮮戦争が起こるわずか2日前だったというのです。
 このあまりに不可解な「6・23メモ」と呼ばれる報告書の背景を調べることで、結果として日本の「戦後史の謎」における最後のピースが見つかり、私が2010年以降続けてきた「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになったのです(「6・23メモ」第2項参照。https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1227)
 マッカーサーの迷い
 どんな国にも、その国の未来を決めた重大な瞬間というものがあります。
 「戦後日本」の場合、それは間違いなく、朝鮮戦争が起こった1950年6月だったといえるでしょう。開戦日(6月25日)を挟んだほんの数日のあいだに、日本のあるべき未来の姿は、大きく転換することになったのです。
 ここで当時の状況を少しだけ振り返っておきましょう。
 第二次大戦での敗戦から、日本の占領はすでに五年近く続いており、占領軍を指揮するマッカーサーアメリ国務省は、できるだけ早く占領を終わらせたいと考えていました。そのままズルズル占領を続けてしまうと、アメリカ自身が定めた「領土不拡大」の原則に違反していると批判されるおそれがあったからです。
 一方、アメリカの軍部は、日本の占領終結には絶対反対の立場をとっていました。
 というのも、その前年の1949年10月に誕生した共産主義の中国(中華人民共和国)が、この年の2月に同じ共産主義国であるソ連と手を結び、日本とそこに駐留するアメリカを仮想敵国と位置づけた軍事同盟(「中ソ友好同盟相互援助条約」)を成立させていたからです。
 憲法9条で日本に戦力放棄をさせていたマッカーサーも、さすがに以前のように、
 「沖縄に強力な空軍をおいておけば、アジア沿岸の敵軍は確実に破壊できる」
「だから日本の本土に軍事力は必要ない」〔=憲法9条2項は間違っていない〕
 などと言える状況ではなくなっていました。そして「平和条約を結んだあとも、米軍は日本への駐留を続ける」という軍部の提案にも理解を示し始めていたのですが、その大きな方針転換をどのようなロジックで行えばいいか、考えあぐねていたのです。
 朝鮮戦争を逆手にとったダレス
 そんな状況のなかで、突如、朝鮮戦争が起こってしまった。
 ふつうに考えたら、日本を独立させることなど、もう絶対に不可能なわけです。そんなことを軍部が許すはずがありません。
 ところがそのとき、持ち前の豪腕で事態を急転させたのが、日米安保体制の産みの親となるジョン・フォスター・ダレスでした。
 わずか2ヵ月前に国務省の顧問に就任したばかりで、朝鮮戦争の開戦時にちょうど日本を訪問中だったダレスは、この朝鮮戦争を逆手にとって軍部に日本の独立を認めさせるという荒業を、みごとに成功させるのです。
 そのとき軍部の説得のための有力な材料として使われたのが、先ほど紹介したマッカーサーの「6・23メモ」でした。
 「中国とソ連が加担したこの大戦争に勝利するには、隣国である日本の戦争協力がどうしても必要です。日本の独立に賛成してもらえれば、必ずそのひきかえとして、日本に全面的な戦争協力を約束させます。このメモを見てください。以前は日本の独立後の米軍駐留に反対されていたマッカーサー元帥も、現在は日本全土を基地として使い続けるという構想を持っておられます」
 というのが、ダレスのロジックだったのです。
 このダレスの粘り強い説得工作が成功した結果、軍部もようやく納得し、朝鮮戦争の開戦から2ヵ月半後の1950年9月8日には、
アメリカは日本中のどこにでも、必要な期間、必要なだけの軍隊をおく権利を獲得する。
○ 軍事上の問題については平和条約から切り離した別の二ヵ国協定〔のちの旧安保条約〕をつくり、その原案は国務省国防省が共同で作成する〔つまり、軍部が中心となって作成する〕。
 といった基本方針を条件に、対日平和条約の交渉の開始が、トルーマン大統領によって承認されることになったのです。
 「6・23メモ」の謎
 突如起こった朝鮮戦争という大きなマイナスを、逆に暗礁にのりあげていた対日平和条約を動かすためのプラスの力として利用する──。人間としての好き嫌いは別にして、ダレスというのは本当に仕事のできるスゴ腕の男だったと思います。
 しかし、そこにはどう考えても腑に落ちない点があるのです。というのはマッカーサーもダレスも朝鮮半島で戦争が起こるとは、6月25日の当日までまったく考えていませんでした。ダレスなどは開戦の一週間前に韓国にわたり、38度線も視察したあと、日本に戻った6月21日に、
 「現在、朝鮮半島には、差しせまった危険はありません」
 と報告していたくらいだったのです。
 そうした状況のなかで、どうしてマッカーサーが開戦わずか2日前の6月23日に、その後、軍部への説得材料になるような、「日本全土を米軍の潜在的基地にする」という、従来の方針を180度転換した報告書(メモ)を書くことができたのでしょうか。
 そのタイミングと内容が、あまりにも不自然なのです。
 そう疑問に思ってもう一度、ネット上でアメリ国務省が公開している「6・23メモ」の原文をみてみると、そこには脚注として次のように書かれていました。
 「このメモは、本資料集に収録されていない6月29日のアリソン氏〔当時、国務省の北東アジア局長で、ダレスの東京訪問の同行者〕のメモに、4番目の添付資料としてファイルされていたものです」
 つまり、この資料集(『アメリカ外交文書(FRUS)』)を編纂しているアメリ国務省歴史課のスタッフは、
 「このメモがその日付どおり6月23日に書かれたものだと証言しているのは、ダレス氏とその部下のアリソン氏だけです」
 という事実をわざわざ教えてくれているのです。
 ですから、この問題について歴史的に確定した事実をまとめると次の4点になります。
 (1) このマッカーサーのメモが6月23日に書かれたと証言しているのは、ダレスとその部下のアリソンだけである。
 (2)マッカーサーはこの「6・23メモ」に書かれた内容について、前日の6月22日だけでなく、実は朝鮮戦争の起きた翌日の26日にもダレスと会談をしていた(後出のダレスの「6・30メモ」についての「解説」(→244ページ)と、リチャード・B・フィン著『マッカーサー吉田茂同文書院インターナショナル参照)。
 (3) 「6・23メモ」の内容は「日本全土を潜在的米軍基地にする」など、それまでのマッカーサーの方針を極端なかたちで180度転換するものだった。
 (4)ダレスは6月25日の朝鮮戦争の開戦後、軍部を説得する有力な材料としてこの「6・23メモ」を使い続けた。
 これらの事実を総合すると、常識的に考えてこの「6・23メモ」が、朝鮮戦争の開戦前の会談(23日)ではなく、開戦後の会談(26日)をもとに、マッカーサーとダレスの共同作業によって作られたものであることは確実です。
 つまり、ダレスが朝鮮戦争の勃発を受けて、新たな「対日方針」を急遽作成した。けれどもプライドの高いマッカーサーの体面を保つために、メモの日付をごまかして、その180度の大方針転換が、すでに朝鮮戦争の開戦前に行われていたことにしてやったということです。
 ここでどうして私が、これほどひとつの報告書の日付にこだわったかというと、この「6・23メモ」という報告書が、文字どおり日本の命運を決したもうひとつの非常に重要な報告書と、セットで書かれたものであることがわかっているからです。
 その報告書の名を「6・30メモ」といいます。こちらはマッカーサーではなくダレス自身の名で、彼が日本訪問から帰国したあと、「6・23メモ」の内容について解説したものです。そしてそこには日本の「戦後史の謎」を解くための、最後のカギが隠されていたのです。
 解説 「6・30メモ」
 ダレスはこの報告書(1950年6月30日にアチソン国務長官など8人へ送付)のなかで、6月下旬に行われたマッカーサーとの2度の会談〔6月22日と26日〕を振り返るかたちで、次のように述べています。(以下、概要)
 〈6月22日の朝、私はマッカーサー元帥と会談し、次のことを述べた。
 日本と平和条約を結んだあと、米軍がどのようにして日本に駐留を続けるかという問題については、それが単にアメリカの利害にもとづくものではなく、「国際社会全体の平和と安全」という枠組みのなかで行われることが望ましい。だから米軍基地の提供も、国連憲章43条のなかの「軍事上の便益の提供」というコンセプトにもとづいて行われた方がいい。そういって、私は次のメモをマッカーサー元帥に渡した。
 「本来の国際法の流れでは、
1.日本が平和条約を結ぶ。
2.日本が国連に参加する。
3.そしてそのとき国連が完全に機能していれば、国連憲章43条がさだめるとおり、日本は国連安保理と「特別協定」を結んで、軍事上の「便益」を安保理に提供することが可能になります。
4.ところが現在、43条でさだめられた「特別協定」は実現しておりません。その場合、わが国をふくむ安保理常任理事国・五ヵ国には、国連憲章106条によって、「特別協定が効力を生じる〔=国連軍ができる〕までのあいだ」に限り、「国際平和と安全のために必要な行動」を「国連に代わってとる」ことが認められております。
 そこで提案なのですが、日本は自国の国連加盟が実現し、加えて国連憲章43条の効力が発生する〔=国連軍ができる〕までのあいだ、ポツダム宣言署名国〔=連合国〕を代表するアメリカとのあいだに、「特別協定」に相当する協定〔=旧安保条約〕を結び、アメリカに軍事基地を提供する。国連軍構想が実際に動きだせば、それらの基地は国連軍の基地となる。
 そういう考え方でいかがでしょうか」
 マッカーサー元帥はそのときと次の会談〔6月26日〕のとき、その考えに全面的に賛同され、「これなら日本人も受け入れやすいだろう」と述べられた〉
(原文:https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1950v06/pg_1229)
 「大きな謎を解く旅」の終わり
 写真:現代ビジネス
 このダレスの「6・30メモ」を「発見」したことで、私の7年間におよぶ「大きな謎を解く旅」も、ようやく終わりを告げることになりました。
 米軍が自分で条文を書いた「旧安保条約・米軍原案」(1950年10月27日案)のさらに奥に、ダレスが全体のコンセプトを示した「6・30メモ」(同年6月30日案)があったということです。それをチャートにすると、次のとおりです。
 (1) 朝鮮戦争の開戦直後に、ダレスが軍部を説得するためにつくった「6・30メモ」
  (1950年6月30日)
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 (2)朝鮮戦争のさなかに、軍部自身がつくった「旧安保条約・米軍原案」
  (1950年10月27日)
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 (3) 戦後、日米間で結ばれたオモテ側の条約や協定 + 密約
  (1951年~現在)
 これで終わりです。
 「突然の朝鮮戦争によって生まれた「占領下での米軍への戦争協力体制」が、ダレスの法的トリックによって、その後、60年以上も固定し続けてしまった」
 ということです。
 だから現在、私たちが生きているのは、実は「戦後レジーム」ではなく「朝鮮戦争ジーム」なのです。朝鮮戦争はいまも平和条約が結ばれておらず、正式に終わったわけではない(休戦中)ので、当時の法的な関係は現在もすべてそのまま続いているからです。
 そして最後に、もっとも重要なことは、これから私たちがその「朝鮮戦争ジーム」を支える法的構造に、はっきり「NO」と言わない限り、ダレスの「6・30メモ」や「旧安保条約・米軍原案」に書かれていたその内容が、今後も少しずつ国内法として整備され、ついには完成されてしまうということです。
 日本の戦後史に、これ以上の謎も闇も、もうありません。
 さらに連載記事<なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」>では、コウモリや遺跡よりも日本人を軽視する在日米軍の実態について、詳しく解説します。
 矢部 宏治
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