🎻16:─4・B─戦後の日本はアメリカの方針に従う事しかできない「末期的な状況」。〜No.60  

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 敗戦利得者であるエセ保守とリベラル左派は、アメリカの日本支配を支え、その事実を隠して「日本は自主独立国」という幻を国民や子供達に広めた。
 それが、戦後日本の真実である。
 現代日本は、中国共産党北朝鮮、ロシアからの軍事的脅威に対して同盟国アメリカに依存しなければ、3カ国による軍事侵略から日本を守れない。 
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 2024年2月21日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「なぜ「日本の戦後」だけがいつまでも続くのか?…アメリカの方針に従うことしかできない「末期的な状況」
 アメリカによる支配はなぜつづくのか? 
 第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは? 
 累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む! 
 【写真】兄・岸信介の結んだ密約に対し、 弟・佐藤栄作が言っていた「衝撃の一言」
 ※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
 外務省がアメリカとギリギリの交渉をしてくれるはず…
 私は1960年(昭和35年)という昭和中期の生まれなのですが、日本が高度経済成長の真っただ中にあった子どものころ、よくこんな言葉を耳にすることがありました。
 「政治三流、経済一流、官僚超一流」
 つまり、自民党の政治家は汚職ばっかりしてどうしようもないが、とにかく経済はうまく回っている。その証拠に日本は戦争で負けてから20年ちょっとで、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になったじゃないか。
 もちろんそれは町工場のオヤジから身を起こし、世界的な大企業をつくった松下(幸之助)や本田(宗一郎)といった経営者たちが偉かったからだが、もっと偉いのは官僚たちだ。霞が関で夜遅くまで煌々と電気をつけ、安い給料で国家のために働く頭のいい彼 らのおかげで、日本はここまでのぼりつめたのだ......。
 いまの若い人たちには信じられないかもしれませんが、30年くらい前まで、多くの日本人はそう思っていたのです。
 ですから時代が変わり、2009年に自民党政権が崩壊して、その政治的変動のなかで外務省の「密約問題」が大きく浮上したときも、私自身のなかにそうした日本の高級官僚への信頼感というものは、まだ漠然とした形で残っていたような気がします。
 なにしろ外務省といえば、財務省(旧大蔵省)と双璧をなす日本最高のエリート官庁だ。いま大きな疑惑として報じられている日米間の「密約」も、おそらくは存在したのだろう。
 けれども外務省の中枢には、そうした複雑な問題を全部わかっている本当のエリートたちがいて、国家の行方にまちがいがないよう、アメリカとそれなりにギリギリの交渉をしてくれているはずだ......。
 その後、自分自身が密約問題を調べるようになってからも、まだかなり長いあいだ、
私はそう思っていたのです。
 アメリカとの密約をコントロールできていない外務省
 けれども残念なことに、現実はまったくそうではなかったのです。
 現在、日本の外務官僚たちは、戦後アメリカとのあいだで結んできたさまざまな軍事上の密約を、歴史的に検証し、正しくコントロールすることがまったくできなくなっている。
 というのも、過去半世紀以上にわたって外務省は、そうした無数の秘密の取り決めについて、その存在や効力を否定しつづけ、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったからです。
 そのため、とくに2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、資料を破棄して隠蔽し、ただアメリカの方針に従うことしかできないという、まさに末期的な状況になっているのです(*1)。
 私が「戦後史の謎」を調べるようになってから知ったさまざまな事実のなかでも、この無力化した外務省のエリート官僚たちの姿ほど、驚き、また悲しく感じられたものはありませんでした。
 昨年から大きな政治スキャンダルとなっている財務省防衛省の資料改ざん問題や隠蔽問題も、その源流が過去の外務省の日米密約問題への誤った対応にあったことは、疑いの余地がありません。
 永遠にウソをつきつづけてもかまわない
 あれほど国民から厚い信頼を得ていたはずの日本の高級官僚たちが、いったいなぜ、そんなことになってしまったのか。
 もちろん密約は日本だけでなく、どんな国と国との交渉にも存在します。
 ただ日米間の密約が異常なのは、アメリカ側はもちろんその記録をきちんと保管しつづけ、日本側が合意内容に反した場合は、すぐに訂正を求めてくる。また国全体のシステムとしても、外交文書は作成から30年たったら基本的に機密を解除し、国立公文書館に移して公開することが法律(情報公開法:FOIA)で決まっているため(*2)、国務省(日 本でいう外務省)の官僚たちもみな、明白なウソをつくことは絶対にできない。
 ところが日本の場合は、
 「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」
 という原則が、かなり早い時点(1960年代末)で確立してしまったようなのです。
 そのため密約の定義や引き継ぎにも一定のルールがなく、結果として、ある内閣の結んだ密約が、次の内閣にはまったく引き継がれないという、近代国家としてまったく信じられない状況が起こってしまう。
 *
 さらに【つづき】〈アメリカと日本のあいだの「重大な密約」に対し、元首相が言い放った「衝撃の一言」〉では、戦後日本を代表する政治家たちが、まちがった認識を持ってしまった例や経緯をくわしくみていく。
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 (*1)「核密約文書、外務省幹部が破棄指示 元政府高官ら証言」(「朝日新聞」2009年7月10日
 (*2)ただし軍関係およびCIA関係の文書や、その文書の関係国(日本など)が反対した場合は、公開されないケースも数多くあります
 矢部 宏治
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 アメリカと日本のあいだの「重大な密約」に対し、元首相が言い放った「衝撃の一言」
 矢部 宏治
 アメリカによる支配はなぜつづくのか?
 第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
 累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
 本記事では、〈なぜ「日本の戦後」だけがいつまでも続くのか?…アメリカの方針に従うことしかできない「末期的な状況」〉にひきつづき、近代国家として信じられない状況になってしまった経緯をみていく。
 ※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
 兄(岸信介)の結んだ密約を、
 「よくは知らん」といった弟(佐藤栄作
 岸信介佐藤栄作という、日本の戦後史を代表するふたりの政治家がいます。
 このふたりはそれぞれ安保改定(1960年)と沖縄返還(1972年)という巨大プロジェクトを手がけ、そのときアメリカとのあいだで重大な密約を結んだことでも知られています。そしてみなさんよくご存じのとおり、このふたりは名字こそちがいますが、実の兄弟です。
 その佐藤栄作が、兄である岸信介が安保改定のときに結んだ密約について、どういっていたか。なんと、
 「どうも岸内閣のとき、そういうものが若干あったらしいんだな。よくは知らんけど」
 といっていたのです!(1969年10月27日)
 これはほかでもない、佐藤が沖縄返還の秘密交渉を任せた、当時39歳の国際政治学者、若泉敬氏による証言です(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋)。
 佐藤はまた、自分が訪米してニクソン大統領とサインを交わすことになった「沖縄・核密約」(=有事における沖縄への核兵器の再配備を認めた密約:→【資料1】)についても、若泉からその機密の保持にはくれぐれも気をつけてくださいと念を押されたときに、
 「それは大丈夫だよ。愛知〔揆一・外務大臣〕にも言わんから。〔密約文書を〕破ったっていいんだ。一切、〔誰にも〕言わん」
 と、信じがたい発言をして、若泉を驚かせています(同年11月6日)。
 {【資料1】沖縄への核の再持ち込み密約
 【若泉がキッシンジャーから手渡された「密約の原案」(*)(1969年9月30日)】
 極秘 返還後の核作戦を支援するための沖縄の使用に関する最小限の必要事項
1.緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ちこむこと、および通過させる権利
2.現存する左記の核貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、かつ緊急事態に際しては活用すること。
 嘉手納
 辺野古
 那覇空軍基地
 那覇空軍施設
 および現存する3つのナイキ・ハーキュリーズ基地〔=米陸軍のミサイル基地〕
 (*)最終的にはこの原案の内容を「共同声明についての合意議事録」(まずニクソンが右の内容を述べ、それを佐藤が了承するというやりとりの形にした文書)として書き直し、それに両首脳が 1969年11月19日の首脳会談の席上、大統領執務室に接した小部屋でサインをしました。事前の打ち合わせではイニシャルだけのサインの予定でしたが、実際にはフルネームでサインとなりました(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』)}
 さらにこのとき佐藤は、
 「要するに君、これは肚だよ」といったとも若泉は書いています。
 いったいこのとき佐藤は、自分がこれからアメリカでサインする予定になっている密 約文書について、どのような認識を持っていたのでしょうか?
 なぜ「日本の戦後」だけがいつまでも続くのか?…アメリカの方…
 なぜまちがった認識を、首相が持ってしまったのか
 この会話を雑誌『文藝春秋』で取り上げた、密約研究のパイオニアのひとりであるジャーナリストの春名幹男さんは、
 「つまり、佐藤首相は、「密約」を、総理大臣の個人的責任で窮地を凌ぐため腹芸で交わすものだと認識していた。そのため、外務大臣にも伝えていなかった。しかも、後継首相にも「密約」を引き継いでいない。これは安保改定時に(略)〔重大な密約を〕結んだ岸首相も同様であった。日本側〔=岸と佐藤〕は密約は個人対個人のものと捉えていたのである」(「日米密約 岸・佐藤の裏切り」『文藝春秋』2008年7月号)
 と述べています。
 「えっ、本当ですか」と驚いてしまいますよね。密約は「個人と個人が交わすものだから、あとの政権に引き継がなくていい」と考えていたというのです。
 でも、そんな勝手なとらえ方が、はたしてアメリカに通用するのでしょうか。
 「しかし、アメリカは「密約」に対し、まったく違う認識を持っていた。「密約」は決して大統領の個人的判断などではなく、あくまで組織として機関決定し、政府対政府が取り交わすものであり、政権が変わっても受け継がれる、と考えているのである」(同前)
 それはそうですよね。やっぱり通用しないわけです(笑)。
 もちろんこれは、アメリカ側の認識が完全に正しいのです。国家の代表と代表が、互いに文書を交わして、そこにサインまでしているのですから、国際法上、これは通常の 条約や協定と同じように両国を拘束するというのが国際的な常識です(→『知ってはいけない2』280ページ)。
 それなのになぜ、岸や佐藤といった戦後日本を代表する政治家たちは、そのような完全にまちがった認識を持ってしまったのでしょうか。
 「日本政府の最高レベルに次のことを伝えよ」
 そもそも戦後の日米関係というこの圧倒的な従属関係において、過去に自国の首相がサインした文書をアメリカ側から示されたら、日本の政治家や官僚たちは、それ以上抵抗できなくなるに決まっています。その密約について、それまでなにも知らされていなかったとしたら、なおのことでしょう。
 法的にも現実問題としても、効力はもちろんある。首相本人が「破って捨てれば、それでいい」というような話では、まったくないのです。
 実際、日本の交渉担当者が過去の密約について理解していないと判断した場合、アメリカ側は国務長官〔=日本でいう外務大臣〕が東京のアメリカ大使館にあてて、
 「日本政府の最高レベルに次のこと〔=過去の密約の内容〕を伝えよ」
 という電報を打ち、その後、抗議された日本の大臣があわてて内密に謝罪するといったことが何度も起きているのです。(*1)
 春名さんが詳しく解説されているように、アメリカは他国と条約や協定を結ぶにあたって、非常に論理的な戦略のもとに交渉を積み重ねていきます。
 そのなかで、さまざまな事情によって条約や協定、付属文書に明記できない内容については、「公開しない」という約束のもとに別の文書をつくり、正式な取り決めとしてそこにサインをする。しかし30年たったら、基本的に公開する。それがアメリカ政府の考える密約なわけです。
 「〔岸や佐藤が〕密約は首相個人の責任で交わしたつもりだったのに対し、米側は組織として密約を機関決定し、公表はされないが有効な国家間の取り決めとして、政権が変わっても引き継いでいく。この両国の埋め難い密約観の違いが、時に、日米間の深刻な亀裂となってあらわれることがある」(同前)
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 本記事の抜粋元『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』では、かつて占領下で結ばれた、きわめて不平等な旧安保条約を対等な関係に変えたはずの「安保改定」(1960年)が、なぜ日本の主権をさらに奪いとっていくことになったのか?「アメリカによる支配」はなぜつづくのか? 原因となった岸首相がアメリカと結んだ3つの密約について詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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 (*1)『検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩+新原昭治・末浪靖司 創元社
「戦後日本」は、じつはアメリカの軍部によって「植民地支配」…
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