🎺54:─1・B─幻の日本に対する枯葉剤散布作戦。全国各地の国有林に埋められた化学兵器。~No.259No.260No.261 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 国際法は、大量破壊兵器である原子爆弾核兵器を、毒ガス兵器や細菌兵器と同様に非人道的兵器として使用禁止兵器とはしていない。
 つまり、自国防衛の為ならば何時でも使用して構わない兵器とされている。
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 シンポジウムベトナム戦争は終わっていない~30年後の枯れ葉剤被害と国際支援の現状~
 枯葉剤犠牲者のための支援施設
 ――「ベトナム友好村」の支援活動と交流
 阿原成光 所員・経済経営学部教授

 この枯葉剤作戦は、当初に日本への作戦として考えられていたという。中村梧郎さんの著書「戦場の枯葉剤ベトナムアメリカ・韓国―」(岩波書店)で次のように述べられている。
 「そもそも枯葉剤は、第2次世界大戦の終戦間際に日本に散布する予定で準備されていたものだった。アメリカ現代史の権威、スタンフォード大学 B. J. バーンスタイン教授によれば、1945年5月に米陸軍に提出された計画は、東京や横浜、大阪、名古屋、京都、神戸周辺の稲作地帯にチオシアン酸アンモニウムをB-29から投下し、穀物を全滅させようとする内容だった。
 (中略)対日枯葉作戦の詳細な計画の報告書が米陸軍航空隊副司令官エイカー中将に届いたのは、長崎に原爆が落とされた翌日の8月10日のことであった。このときにはもう日本の降伏が時間の問題だったために作戦は実行されることはなかった。日本はかろうじて散布を免れたのであった。」
 21世紀に引き継がれた人類が作り出した2大害毒、放射性物質枯葉剤はまさに日本を終戦に追い込むために用意されていたのであった。ベトナム枯葉剤の犠牲は、他人事ではなく、まさにわれわれの問題であった。

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 2022年 読売新聞オンライン「ダイオキシン含む除草剤、全国の山林46か所に埋設のまま…水源近くの例も
 15道県の計46か所の山林に、半世紀前から猛毒のダイオキシン類を含む除草剤が埋められたままになっている。当時は安全に焼却処理する技術が確立されていなかったためだ。除草剤にはベトナム戦争で、がんや先天性障害などの被害を引き起こしたとされる「枯れ葉剤」と同じ成分が含まれており、林野庁は撤去に向けて検討を始めた。(虎走亮介)
 金網に囲まれた埋設地を点検する佐賀森林管理署の職員(佐賀県吉野ヶ里町で)
 立ち入り禁止
 <立ち入り禁止 囲い内の立ち入りや土石等の採取をしないで下さい>
 佐賀県吉野ヶ里町国有林にはそう警告する看板が立ち、一帯は高さ1メートル60の金網で厳重に囲われていた。1971年12月、この場所に除草剤「2・4・5―T系」945キロが埋められた。
 2月下旬、林野庁佐賀森林管理署の職員が、車で10分ほど走った林道の先にある埋設地の点検をしていた。約1キロ離れた場所には、福岡市民の水がめの「五ヶ山ダム」がある。職員は手で金網を揺らし、約20分かけて強度を確認。侵入された形跡がないことや、周囲のササや樹木の植生に問題がないことも確かめた。
 同管理署は月2回の定期点検を続けており、白石健二署長は「これまでに異常が確認されたことはない」と語った。
 当時は農薬
 林野庁によると、各地に埋設されている除草剤は、67年頃から国有林の下草を刈るために同庁が使っていたものだ。当時は農薬に登録されていた。
 しかし、世界各地で健康被害の恐れが報告されたため、同庁は71年4月、使用中止を決定。同11月には埋設を指示する通達を出し、国が管理する全国の山林計54か所に除草剤の粒剤約25トンと乳剤約1836リットルが埋められた。
 通達では、土やセメントと混ぜてコンクリート塊にすることや、1メートル以上の土をかぶせ、水源地や民家から一定の距離をとり、1か所に埋める量は300キロ以内にすると決められた。しかし、84年に愛媛県で漏出が判明したことを受け、同庁が全国調査をしたところ、29か所で通達通りに埋設されていないことがわかった。
 一部は撤去されたが、今も20か所で通達の基準とは異なる方法のまま埋められている。現在は年2回の定期点検と、大雨や地震の後に臨時点検を実施。周辺の土壌や水質を検査しているが、ダイオキシン類の環境基準値を上回ったことはないという。
 費用1億円
 ただ、2020年7月の九州豪雨では熊本県芦北町の埋設地の約1キロ先で土砂崩れが発生。熊本地震などの災害も相次いでいることから、同庁も撤去を念頭に処理方法を調査することを決めた。
 昨年11月には、佐賀県吉野ヶ里町熊本県宇土市岐阜県下呂市高知県四万十町の4か所で撤去する際に必要な機材や、掘り起こした後の保管場所について調査。4月18日に公表した報告書では、いずれも安全に除去できるが、場所によっては1億円以上の費用がかかることが判明した。
 林野庁は、不安を抱えている各地の自治体に、今後の計画などを説明する。同庁業務課の長崎屋圭太課長は「住民の不安も理解できる。撤去を念頭に最終処理する方法を検討していきたい」としている。
 「有機塩素系」は回収
 長年埋設された農薬を実際に回収したケースもある。
 農林水産省によると、戦後、「有機塩素系農薬」と呼ばれたDDTなどの薬剤は、主に殺虫剤として使われてきた。
 しかし、有害物質が体に蓄積しやすいとして、1971年に販売が禁止され、計約4400トンが山林や農薬会社の敷地に埋設された。処理技術が進歩したため、国などは2004年度から掘り起こしを始め、計約4100トンを無害化した。
 熊本学園大の中地重晴教授(環境化学)は「ダイオキシン類を含む2・4・5―T系の危険性は、有機塩素系農薬に比べても桁違いに高い。災害で埋設した除草剤が川に流れ込み、人が摂取すれば微量でも人体に影響する可能性はある。林野庁だけでなく自治体も費用を負担して撤去を検討すべきだ」と指摘する。
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 2017年11月27日 日刊SPA!「ベトナム戦争後、行き場を失った“枯葉剤”が日本に埋められている――全国54か所の国有林リスト
 ―[[ニッポンの化学兵器]が危ない]―
 毒ガス弾や枯葉剤など、戦争で使われた化学兵器が今でも全国各地に埋まっているという。その現場をリポート!
 屋久島の遊歩道
 世界遺産屋久島の遊歩道にも枯葉剤埋設現場の看板が立つ
 行き場を失った枯葉剤国有林に埋められている
 「ここに薬剤(2・4・5T)が埋めてあります。定期的に植物の状態を観察していますので立ち入らないで下さい」
 石畳の遊歩道脇に「立入禁止」の看板が控えめに立っていた。
 「町議会で質問され、柵がつくられるようになりました。その前は何もない状況でした」
 屋久島町環境政策課長はこう振り返る。「2・4・5T剤」(以下、245T)とは、ベトナム戦争の対ゲリラ作戦で米軍が撒いた枯葉剤の成分となる薬剤だ。枯葉剤ベトナムの森林を死滅させただけではない。残留するダイオキシンが、ベトちゃん・ドクちゃんに代表される強い催奇性の毒性を持つことが明らかになっている。
 現場は市街地からも近い「憩いの森」として住民に親しまれている。この森の一角に約3.8tの245Tが埋められたのは’72年。10m間隔で13個の穴の底にビニールを敷いて薬剤を置き、その上にセメントを流してビニールで覆い、土に埋めたという記録がある。その後’85年に上部のみ生コンで覆ったというが、本当かどうかは誰も確かめられない。
 そういった埋設地が、全国の国有林に現在判明しているだけで54か所もある。埋められた薬剤の総計は粒剤(顆粒状の薬剤)が2万5062kg、乳剤(液体状の薬剤)が2132リットル。現在は林野庁の職員が年2回、足を運んで視認するだけだ。
 「実は、日本も米軍の枯葉作戦に中間製品の供給という形で協力していたのです。ニュージーランドやオーストラリアで加工され、最終的にベトナムに運ばれていました」と解説するのは、『真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明氏。
 国内で生産を担ったのは、戦前毒ガス原料の中間剤を製造していた三井東圧化学(現三井化学)の大牟田工業所だ。
 「国会で枯葉剤中間製品の製造が暴露された際、内需がなかったことからベトナムでの使用が疑われた。そこで内需を無理やりひねり出すため、林野庁が一部の245Tを除草剤として散布し始めたのでしょう」と原田氏は指摘する。
 国有林に埋めたらもう誰にもわからない
 ’60年代から’70年前後までに散布された薬剤の量は、枯葉剤生産時にできる副産物の塩素酸ソーダが5280t、245Tも570tに上る。ところが’71年4月にベトナムでの枯葉剤作戦が中止されると同時に、林野庁も245Tの使用を中止。このとき不要になった薬剤が行き場を失い、全国の国有林に埋められた。
 「日本最古の上水道
 「日本最古の上水道」として知られる熊本県宇土市の轟水源上流には枯葉剤埋設地が
 林野庁職員として大分県の祖母・傾山系に配属されていた加藤久次氏(仮名)は、当時の様子を振り返る。
 「245T散布の際、講堂に職員が集められて講習会が開かれ、『地域住民から聞かれたら人体には影響がないと言え』と指示されました。『塩素系の薬剤で、原料は塩と同じだから人畜無害』と、メーカーから派遣された社員が実際に薬剤を舐めてみせたことも」
 宮崎県の民間団体がまとめた資料には、散布に従事した職員10人のうち肝臓がん、肝機能障害、肺がんで死亡した者が7人いるとの記述があるが、実態は不明だ。
 「国有林に埋めたら、もう誰にもわからない。林野庁は『犯罪の予防等』を理由に明かさないからです」と加藤氏は説明する。
 記者が林野庁の資料をもとに、埋設地とされている自治体に場所を把握しているかどうか聞いたところ、54か所中15か所だけだった。’99年以降は埋設地の調査も中止され、今もその状況はよくわからないままなのだ。
 【枯葉剤の埋設処理状況】
1.北海道夕張市
2.北海道遠軽町
3.北海道広尾町
4.北海道音更町
5.北海道清水町
6.北海道標茶町
7.北海道本別町
8.青森県中泊町
9.岩手県久慈町
10.岩手県野田村
11.岩手県雫石町
12.岩手県岩泉町
13.岩手県宮古市
14.岩手県西和賀町
15.福島県会津坂下町
16.群馬県東吾妻町
17.群馬県昭和村
18.山梨県甲府市
19.愛知県設楽町
20.愛知県豊田市
21.岐阜県下呂市
22.岐阜県下呂市
23.広島県庄原市
24.愛媛県西条市
25.愛媛県久万高原町
26.愛媛県宇和島市
27.愛媛県松野町
28.高知県四万十市
29.高知県四万十町
30.高知県いの町
31.高知県大豊町
32.高知県安芸市
33.高知県土佐清水市
34.佐賀県吉野ヶ里町
35.長崎県五島市
36.熊本県熊本市
37.熊本県宇土市
38.熊本県芦北町
39.大分県玖珠町
40.大分県別府市
41.宮崎県日之影町
42.宮崎県西都市
43.宮崎県宮崎市
44.宮崎県宮崎市
45.宮崎県小林市
46.宮崎県小林市
47.宮崎県都城市
48.宮崎県串間市
49.鹿児島県肝付町
50.鹿児島県湧水町
51.鹿児島県伊佐市
52.鹿児島県伊佐市
53.鹿児島県南九州市
54.鹿児島県屋久島町
 ― [ニッポンの化学兵器]が危ない ―
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 2017年12月8日 日刊SPA!「日本全国に埋まる毒ガス弾や枯葉剤はなぜ放置されたままなのか?
 ―[[ニッポンの化学兵器]が危ない]―
 「爆発赤痢事件」の慰霊碑
 1937年に九州・大牟田で起きた「爆発赤痢事件」の慰霊碑。2万5000人を超える患者を出し、712人が数日のうちに死亡した事件の原因は、毒ガス工場からの漏洩だったのではとの説も
 遺棄された化学兵器の調査と対策は容易ではない
 全国には埋まったままの毒ガス弾や枯葉剤など、戦後72年が過ぎたというのにたくさんの化学兵器が全国に残り、情報が不確かなものも多いまま放置されている。
 ※参照:「戦時中の毒ガス弾が眠る危険な土地 いまだ1000発以上が行方不明」「ベトナム戦争後、行き場を失った“枯葉剤”が日本に埋められている――全国54か所の国有林リスト」
 なぜこのような事態になっているのか? 『真相日本の枯葉剤』(五月書房)の著者で、旧日本軍の化学兵器に詳しい原田和明氏に聞いた。
 「最大の理由は、そんなおっかないものには誰も関わりたくないからです。それと、冷戦期に原爆が事実上使えない兵器となり、アメリカは大量殺戮兵器として、新たな化学兵器の開発に乗り出していきました。それが『プロジェクト112』です。
 アメリカは沖縄にも秘密裡に化学兵器を大量に持ち込んでいましたし、本土にも持ち込んでいる可能性が高い。そのためアメリカは旧日本軍の化学兵器について追及してきませんでした。このことも大きな理由だと考えています。また、掘り出しても安全に処分する方法もなかったので、放置するしかなかったのが実情です。
 遺棄化学兵器についての『全面的な調査と抜本的な対策』があればよいのですが、漏れ出しているかもしれない毒ガスの調査と対策は1件100億円単位の事業になります。特殊な分野なので国民的議論にも馴染みません。作業員も命がけで、おいそれとは着手できないのです」
 取材・文・撮影/宗 像充 足立力也 写真/原田和明 北宏一朗 神戸須磨子
 ― [ニッポンの化学兵器]が危ない ―
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