🏁19¦─5─半グレ組織「怒羅権」を生み出したのは日本人の外人差別が原因であった。〜No.136 

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 中国共産党員は敵であるが、一般中国人は友人である。 
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 2024年3月14日11:00 YAHOO!JAPANニュース FRIDAY「半グレ組織「怒羅権」誕生の知られざる真実…「散々殴られ、つるし上げ」中国残留孤児の想像絶する悲劇
 日本への帰国願望を訴える中国残留孤児の人々。’80年代に撮影
 日本にある外国人犯罪組織として有名なのが、「怒羅権」だろう。
 もともとは太平洋戦争が終結した後、中国に置き去りにされた残留孤児の2世が結成した組織だ。残留孤児1世たちが戦後40年ほどして日本に帰国した時、当時小学生くらいだったその子どもたちは日本人から激しい差別を受け、日本社会に溶け込めなかった。そんな者たちの一部が、不良となって作り上げたのだ。
 【後編】「怒羅権」結成の知られざる秘話…メンバーが体験した壮絶な現実
 私自身、怒羅権の創設者やその関係者に会って話を聞いたことがあるし、一部の人たちは自らメディアに出て話をしている。だが、彼らが自分たちの親である残留孤児1世について言及することはほとんどない。
 社会からこぼれた高齢者を描くルポ『無縁老人』(石井光太潮出版社)から1世たちの歩みを紹介したい。
 すべてのはじまりは、太平洋戦争終結の直前の1945年8月9日だった。
 日本は戦前の1932年に中国の東北部に「満州国」を建国し、実質的に支配下に置いていた。日本政府は国内の人々に満洲国への〝移住〟を促したため、終戦の直前には、民間人だけで百数十万人が暮らしていた。
 だが、8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破り、満州へ侵攻をはじめる。これによって満州国で暮らしていた日本人は、ほとんど着の身着のままで逃避を余儀なくされた。
◆「寒さでバタバタと人が死んで……」
 ソ連軍や一部の中国人は、このような日本人に容赦なく襲い掛かった。略奪、暴行、殺害、それに飢餓によって命を落とした日本人も多かった。
 本書に登場する残留孤児の男性(終戦時7歳)がいる。母親が彼を含む3人の子どもを連れて逃げたのだが、途中でソ連軍に捕まり、収容所へ送られた。父親は兵隊にとられていて不在だった。
 彼は当時のことをこう話す。
 「収容所は『難民営』って呼ばれていました。秋には氷点下、冬にはマイナス30度に達しました。それなのに布団すらろくにもらえないんです。食べ物といったら、コーリャンやトウキビで作ったおかゆぐらい。量もほんのわずかなので、毎日飢えや病気、それに寒さでバタバタと人が死んでいきました。
 難民営に来てしばらくして、3歳だった弟が病気にかかりました。医者もいなければ、薬ももらえません。看病していたお母さんも栄養失調で倒れてしまいました。7歳だった僕はどうしていいかわかりませんでした。そして手をこまねいているうちに、2人とも死んでしまったのです。朝起きたら冷たくなっていたのです」
 遺体は、収容所にいた日本人の大人によって埋められたそうだ。
 彼は幼い妹と2人きりになり、自分もすぐに死ぬだろうと覚悟を決めた。子どもだけで生き延びるにはあまりに過酷な状況だった。
 だが、奇跡が起こる。収容所の近くに暮らす中国人夫婦がやってきて、彼を引き取ったのだ(妹は別の中国人が連れて行った)。こうして彼は残留孤児として中国で生きていくことになる。
 残留孤児の多くは、このような形で中国人家庭に引き取られた者たちだ。中には、親が連れて帰れないと考えて中国人夫婦に預けたり、親と生き別れになった子どもが中国人夫婦に拾われたりしたこともあった。形は違えど、彼らはそのようにして中国に取り残され、暮らしていくことになったのだ。
 残留孤児1世にとって、中国での生活は簡単なものではなかった。
 0歳~3歳くらいまでに引き取られれば、彼らは中国語や文化を自然と身につけ、学校へ上がる年齢の頃には中国人同然に育つ。
 だが、小学生くらいの年齢の子たちはすでに日本文化が身についているので、中国語も文化も勉強として学ぶ必要があり、残留孤児として生きていかなければならなかった。そのため、彼らの中には中国人から罵られ、危害を加えられた者も少なくなかった。
◆「大人は笑って眺めているだけ」
 ある残留孤児の女性(終戦時9歳)は次のように話す。
 「最初は中国語がしゃべれなかったことから、日本人だということが明るみに出て、学校や地元で激しいいじめに遭いました。同級生や先輩たちが口をそろえて『小日本鬼子!』と罵倒し、石を投げたり、泥を投げたりしてきたのです。今でも思い出すと涙が溢れてきます。
 日本人の大人が周りにいて守ってくれるわけではないし、学校の先生だって地域の大人だって笑って眺めているだけでした。いい気味だくらいにしか思っていなかったのでしょう。私は反抗することもできず、我慢しつづけるしかありませんでした」
 戦時中、日本軍は中国人に数々の暴力行為を行ったが、彼らの怒りは取り残された孤児たちに向かったのである。
 残留孤児たちは、暗く悲しい子ども時代を経て大人になっていった。そして中国の学校を卒業すると、地元で仕事を見つけ、社会に溶け込んでいく。そこで異性と出会い、結婚して家庭を持つ者も多かった。
 そのような時期に当たる1966年に、中国ではじまったのが「文化大革命」だった。表向きは政治運動だったが、実際は権力者や富裕層に対する迫害だった。文化大革命は、ようやく中国社会に根を下ろした残留孤児たちの生活も一変させる。
 本書に登場する男性はこう話す。
 「僕は中国人の女性と結婚し、人民公社に勤務していました。そしたらいきなり見知らぬ男たちが押しかけてきて、お前は日本人だろ、とか、ソ連のラジオを聴いていると言いがかりをつけられたのです。彼らは私を批判大会に引っ張っていきました。そこには大勢の人々が集まっていて、私は散々殴りつけられ、罵倒されました。つるし上げです。
 ここでも私は何かの誤解だと言いましたが、みんな興奮して聞こうとしません。彼らは私に『現行反革命』と書かれた帽子を被らせ、町で引き回しにしました。家にも人々が押し入ってきて、家具をメチャクチャにして、幼い子どもたちを『反革命家族』とか『日本の畜生』と罵った。そういう時代だったんです」
 1972年、そんな残留孤児たちに朗報が舞い込む。日中国交正常化が決まったことで両国の間で協議が行われ、残留孤児(残留邦人)の帰国受入援護事業が開始されることになったのである。中国から、日本に帰るための扉がようやく開いたのだ。
 だが、これが残留孤児たちの第二の悲劇につながっていく。それについては【後編:「怒羅権」結成の秘話…メンバーが経験した壮絶な現実】で詳しく述べたい。
 取材・文:石井光太
 ’77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。
 FRIDAYデジタル
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 3月14日17:03 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「SNSでの社会的弱者バッシングが横行する4つの理由…「自分よりダメな人を叩けば“溜飲”が下がりますか?」
 『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』#2
 なぜSNSには社会的弱者バッシングがはびこるのか
 “優しい人”について精神科医の視点から説いた新刊『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』。社会的弱者バッシングなどが横行するようなギスギスした社会ではどう生き抜けばいいのか?
 【画像】ネット上に氾濫する過激な批判
 書籍より一部抜粋、再編集してお届けする。
 自分の心の中にある「歪み」 の存在を知る
 現在の日本は、長引く不況や経済格差の拡大などによって、社会全体がギスギスしている状態にあります。
 「自分が生活するだけで手一杯」という人が増えたことで、 周囲の人たちに気を配るだけの精神的な余裕がどんどん失われているように感じます。
 私が最も関心を寄せているのは、不景気が長く続いたことによって、格差社会の「歪み(ひずみ)」が急速に広がっていることです。
 その象徴といえるのが、「生活保護バッシング」や「精神障害者差別」など、いわゆる社会的弱者に対する「理由なき攻撃」です。
 大地震や集中豪雨の被害者には深く同情できる人たちが、生活保護を受けている人や、精神障害がある人には、厳しい批判の目を向けているのです。
 こうした現象の背景には、無記名、無責任に自分の意見を発信できるSNSの普及が大きく関係していますが、精神科医としては、「なぜ、人はこんな行動をしてしまうのか?」という心の問題に注目しています。
 優しい人であるためには、自分の心の中にある「歪み」の存在を認識して、それを修正する必要があります。
 「社会的弱者バッシング」が横行する四つの理由
 インターネット上には、生活保護バッシングや精神障害者差別など、社会的弱者に対する過激な批判が氾濫しています。
 本来であれば、社会的弱者は、地域社会全体で優しく庇護すべき対象です。温かい目で見守ることはあっても、目に余るような罵詈雑言を浴びせるような相手ではないはずです。
 なぜ、こんな現象が横行しているのでしょうか? その背景には、次のような四つの理由をあげることができます。
 【理由①】自分よりダメな人を叩いて「溜飲」を下げている
 一番の理由は、自分よりダメだなと思う人を見つけて、それを罵倒することで「憂さ晴らし」をしているのです。
 「自分の方がマシだな」と感じることで、ささやかな優越感を持つことができれば、その瞬間だけでも、自分の置かれた苦しい状況を忘れることができます。
 生活保護バッシングには、国から生活費を支給されることに対する嫉妬も多分に含まれています。
 「アイツより自分の方がマシだな」という発想をしていると、 人との比較でしか自分
のことが考えられなくなり、つねに自分より下の人を探し続けることになります。
延々とバッシングが繰り返される原因は、そこにあります。
 人との比較で溜飲を下げる行為は、自分を「みじめ」にするだけです。
 みじめな思いをしているから、自分のバッシングが余計に過激化している……ということに、早く気づく必要があります。
 【理由②】弱者に対する「想像力」が欠けている
 名前も顔も知らない社会的弱者を、平気で叩けるというのは、相手に対する想像力が決定的に欠けていることも大きな原因です。
 「能力的に劣っているからだろう」と自分勝手に結論づけて、 社会的弱者が抱える事情までは考えが及んでいないのです。
 社会的弱者には、それぞれ異なった事情があります。
 病気やケガで仕事が続けられず、仕方なく生活保護を受けている人もいれば、貯蓄がないために生活が破綻してしまった高齢者もいます。
 それを一括りにして、「どうぜダメなヤツなんだろう」と決めつけて一斉にバッシングするのは、相手に対する想像力が欠如している証拠です。
 「自分こそ正論」という考えが他者を傷つける
 【理由③】すべてが「他人事」で「自業自得」と考えている
 15年ほど前に、日本中で「自己責任論」なるものが流行したことがありますが、その考え方は、今でも日本人の心の中に根強く残っています。
 心の病が原因で生活保護を受けている人は、「自業自得」であり、 「自分はそんなことにはならない」と勝手に思い込んで、すべてを「他人事」と考えている人が多いように思います。
 仕事が忙しくて体調を壊したり、上司のパワハラによって心の病を患うことは、誰にでも起こる可能性があります。
 何の根拠もなく、 「自分だけは平気」とか、 「自分だけは特別」と考えているから、見ず知らずの社会的弱者を、上から目線で叩くことができるのです。
 【理由④】自分の意見こそが「正論」だと思っている
 SNS上で他人を誹謗中傷している人の多くは、自分の考え方こそが「正論」であり、「世間のバカな連中は、なぜこんなことが理解できないのだろう?」という思いから、容赦のないコメントを投稿しています。
 自分の意見だけが正しいと思い込み、世の中には多種多様な考え方があり、人の生き方は千差万別……ということが理解できていないのです。
 最近では、SNSでコメントを投稿する際に、「この意見は誹謗中傷にあたるため、名誉毀損の可能性があります」という警告が表示される機能が普及しています。
 その警告を見て、初めて自分の意見が正論ではなく、単なる誹謗中傷だと気づく人が増えているといいます。
 人との比較で自分を考えたり、自分より下の人を見つけて溜飲を下げる行為は、自分のマインドをマイナスに向かわせます。
 こうした発想を続けていても、自分の生活が豊かになることも、人生が楽しくなる
こともありません。
 相手が得をして、自分が損をしたら負け……という考え方を、心理学では「勝ち負け思考」といいますが、勝ち負けや損得勘定で物ごとを判断していると、次第に自分を見失うことになります。
 こうした考え方や発想は、一刻も早く改めることが大切です。
 文/和田秀樹 画像/shutterstock

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 和田秀樹(わだ ひでき)
 精神科医
 1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。精神科医東京大学医学部附属病院精神神経科助手、浴風会病院精神科、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、立命館大学生命科学部特任教授、和田秀樹こころと体のクリニック院長。老年精神科医として、30年以上にわたり高齢者医療の現場に携わっている。『80歳の壁』など著書多数。

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