🎹11:─2─魯迅。中国近代文学の口語文体は日本国語の御陰。日本によって中国は近代化した。1931年~No.44No.45No.46 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国近代文学・口語文体・共産主義・民主主義・科学技術などは日本国語の御陰である。
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 中国語や朝鮮語の口語文体は、日本国語が原型である。
 日本型口語文体が中国語や朝鮮語を変形させた御蔭で、中国の読書人や朝鮮の両班が独占してきた言語が貧しい人民や民衆に広まった。
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 1931年11月 魯迅「排日の声の最中にあって、私はあえて断固として中国の青年に忠告を一つ差し上げたい。それは、日本人は私たちが見習うだけの価値あるものを一杯持っている、という事である」(『集外集拾遺補編』)
 1932年11月22日 魯迅は、北京輔仁大学で「今春の感想二つ」という講演を行う。
 「日本人は真面目すぎるのに、中国人は不真面目すぎるのです。中国の事柄は往々にして看板をかければそれで成功した事にします。日本人はそうではありません。彼らは中国のように芝居をやるだけ、というのとは違います。日本人は徽章や訓練服があるのを見れば、必ず彼らを本当に抗日している人間だと思い込み、むろん強敵だと見なします。不真面目な者が真面目な者とぶつかれば、当然不真面目な者が損をします」
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 日本人は、他人の目を意識し、他人の評判・批判を気にし、人から後ろ指を指されないよう神経を使い、人に言われなくて絶えず立ち止まり内省して、自ら行いを正した。
 人に嫌われ仲間はずれにされない為に、他人に迷惑をかけない為に自分の抑え、自分の利益よりも相手を思い他人に尽くす事を心掛けた。
 それが、日本を支配する同調を強要する「空気」である。
 利己主義の中国人や朝鮮人は、利他主義の日本人とは正反対である。
 中国人や朝鮮人は、日本人の心情を無視して土足で家の奧まで上がり込み其処等中を破壊し穢し汚して傍若無人に暴れ回り騒ぎまくり、日本人が耐えられなくなって苦情を申し立てると、自分達の方が道徳、礼儀、行儀・マナーに正しいのだから理解して受け入れよと開き直った。
 自分が利益を得る為ならば、他人を非難中傷して、嘘八百を捲し立てても辱とは思わない。
 2014年以降、日本に来て爆買いをし、観光地で顰蹙を買う中国人観光客達。
 日本人の中には、中国人を隣人として理解を示し、中国人の振る舞いを正当なものとして受け入れるべきだと訴える日本人がいる。
 日本人には、中国人や朝鮮人の人を見下した傲慢な態度・振る舞いが理解できず我慢できなくなって爆発した。
 中国人や朝鮮人にとって一度の人生は、好き勝手ができる遊びであった。
 日本人にとって生きるという事は、生死をかけたやり直しができない一度きりの真剣勝負であった。
 日本人には、中国人や朝鮮人の、無邪気すぎるほど子供っぽい、自分本位で他人を無視した、常識ない度を超した悪ふざけが理解できなかった。
 同様に、中国人・朝鮮人には日本人の遊びが嫌いであった。
 日本人と中国人・朝鮮人とでは、正反対の死生観、人生観を持っていて、幾ら話し合おうとも分かり合えるはずがなかった。
 その違い、数千年かけて住んできた自然環境に由来する。

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近代日本と朝鮮人像の形成 (遊学叢書)

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