🎺13:─5─東條英機ら戦争回避派は、ハル・ノートを読んで和平交渉は不可能と判断し戦争を決断した。1941年11月28日~No.81No.82No.83 @ 

ハル回顧録 (中公文庫プレミアム)

ハル回顧録 (中公文庫プレミアム)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 政治家も軍人も、日本の国力・軍事力では、十中八九、アメリカに勝てない事は分かっていた。
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 11月28日 閣議に於いて。外交交渉を主張していた東郷外相ですら、「4月以降、半年以上にわたって交渉経過を全て無視した、傍若無人の提案」と激しく非難し、話し合いによる和平交渉を諦めた。
 昭和天皇も、「ハル・ノート」を読んで、平和的解決が不可能であると諦めた。
 東條英機首相は、開戦の責任は昭和天皇ではなく、輔弼の責任者である自分が負うべきである事を覚悟した。決して、責任逃れで誰かに貧乏くじを引かせる気はなかった。
 日本政府は、ワシントンの日本大使館に対して、ハル・ノートに関する重要な電報を打った。
 「交渉は事実上、決裂する。これは不可能である。しかしながら、貴下等には交渉が打ち切られたという印象を与えない様にする事を望む」
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 アメリカ軍情報機関は、日本側の外交暗号電報を全て傍受し、日本が外交を断念した事を報告した。
 来栖三郎全権特命大使は、日米開戦を回避する為に、ルーズベルトから昭和天皇への親書を送る事を提案した。
 ルーズベルトは、日本への配慮として、太平洋上を航行するアメリカ船籍の商船は武装しないと語った。
 そして、昭和天皇への警告文と連邦議会に対する緊急メッセージの作成を命じた。
 ハル国務長官は、イギリス大使に、和平の為の日米交渉は事実上終了してあとの問題は陸海軍の手に移ったと説明した。
 これ以降、ワシントンは日本に対して中国擁護の強硬姿勢を改め、友好的な柔軟姿勢をとり始めた。
 つまり、アメリカは平和の為に努力を惜しまないと。
 ニューヨーク・タイムズ紙は、ワシントン筋はこれまで国務省が行ってき日米交渉での努力を高く評価し、不退転の決意示す為に改めて基本原則を提示したものであると報じた。
 タイムズ紙は、日本政府がアメリカ政府の覚書をもって外交交渉は終結したと判断したとの、東京のオットー・トーリシャス記者の記事を掲載した。
 国際感覚のある者ならば、両記事を読んで、話し合いによる平和解決は終了して後は戦争しかない事を理解した。
 それでも、根気強い話し合いで戦争が回避できると信ずる者がいたとすれば、それは外交史を含む歴史全体が理解できない者である。
 ルーズベルト「選択肢は、第一が、何もしない。第二が、これ以上の事があれば我々は戦うという限界点を明快にした最後通牒の様なものをもう一度出す。第三が、直ちに戦う、だった」
 スチムソン「我が方の戦術と安全という観点から見れば、我々が主導権を握り、さらなる警告なしに攻撃する事が望ましかったのです。攻撃が最大の防御であるのは自明の理です。敵の動き待って先手を許すのはどのような場合でも危険な事です。日本がタイに向けてさらに行動を起こす事に対して、8月に大統領が与えた警告が、再度の警告なしに攻撃する事を正当化すると考える様になっていました。まして日本の新たな南下行動は警告に背こうとしている事を示唆していたのでなおさらでした。一方、世論の観点からすれば、さらなる警告が与えられた方が、状況はより明快になるという事も認識していました」
 ルーズベルトは、ホワイトハウスに閣僚を召集し、ヒロヒト天皇に平和を求める親書を送る事を決めたが、戦争回避の為の具体的な提案はしない事にした。
 アメリカは、日本との戦争を決定していた。
 ルーズベルトは、全員に、日本軍がアメリカのフィリピンを攻撃せず素通りし、イギリスのシンガポールやオランダのインドネシアを攻撃した時、アメリカは参戦すべきかを聞いた。
 全閣僚が、参戦すべきであり、議会や国民は納得するとの意見で一致した。
 ハル国務長官は、イギリスの駐米大使ハリファックス卿に「日本との外交関係は、事実上、終わった。仕事は、すでに陸海軍の手に移った。日本は突然に動き、それも完全な奇襲となるはずだ」と告げた。
 オーストラリアの駐米公使ケイシーは、戦争回避の為に調停の労を執ろうと申し込んだが、ハルは「もはや、外交の舞台ではない」と断った。
 ハルゼー中将は、空母エンタープライズと最新鋭艦11隻を率いてウェーク島に向かって出航した。
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 サイパン島近海で。アメリカ海軍ブルックリン型軽巡1隻と輸送船5隻は、日本海軍潜水艦隊旗艦・香取と遭遇した。
 アメリカ海軍情報部は、香取が発信した電波を傍受し、日本海軍艦艇や海軍基地が慌ただしく出している電波を傍受し、その多さからただならぬ気配を感じていた。
 日米交渉が破綻した事を知っているアメリカ軍上層部は、日本軍の攻撃が近いと分析した。
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 11月29日 東條首相ら主要閣僚は、参内して昭和天皇に、昨日の閣議で開戦を決定した事を上奏した。
 昭和天皇は、なをも開戦を決意する事にはためらいを持っていた。
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 ルーズベルト昭和天皇に対する書簡は、アメリカが平和の為に努力したという実績を残す事はできても、戦争回避の効果は疑わしいとして見送られた。
 ハル国務長官は、イギリス大使に「日本との関係で外交が果たす役割は事実上終わり、問題は今後、陸軍と海軍の高官の手に移る」と語り、「日本は突然、しかも可能な限りのあらゆる意外性の要素を持って行動を起こし、広範に及ぶ地域に展開して、特定の陣地や基地を獲得するかもしれない」と日本軍の攻撃について警告した。
 スターク海軍作戦部長は、全部隊に電報を送った。
 「戦闘行為を避けられる事ができない繰り返す できない のであれば アメリカは日本が最初に明白な行為を取る事を希望する」
 アメリカの軍当局は、「日本軍がフランス領インドシナからタイに進撃した場合、太平洋地域で大規模な戦闘を招くのか」という質問に対して、明解な回答を行わなかった。
 アメリカ陸軍司令部は、真珠湾守備部隊に対して、第一段階の警戒態勢を命令じたが、日本軍の攻撃が近くなってもそれ以上の臨戦態勢の命令を出さなかった。
 真珠湾はつんぼ桟敷に置かれ、日米交渉の破綻と開戦近しという情報を得る事がなかった。
 アメリカも、日本軍同様に、陸軍と海軍は仲が悪く情報交換は消極的であった。
 陸軍と海軍の関係が悪く、共同作戦が上手く行かないのは何処の国でも同じ事であった。
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 ベルリンの大島浩駐独大使は、陸軍省に「リッベントロップ外務大臣は日本がアメリカと戦争に入った時は、ドイツは直ちに参戦すると確約した」との電報を打った。
 陸軍省は、「情報はもっとも危険な段階に達し、日本とアングロ・サクソン諸国との戦争は、一般の予想より早い段階に勃発するであろうとドイツ側に伝えよ」との返電を送った。
 ルーズベルトは、12月1日に「日本が開戦すればドイツは参戦する」という、待ち望んでいた報告を受けた。
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 ハル国務長官は、親しい新聞記者ジョセフ・リーブに「フランクリン・ルーズベルトは、日本が数日のうちに真珠湾を攻撃する事を知っている」と漏らした。
 リーブは、同情報をユナイテッド・プレス(UP)に持ち込んだ。
 ユナイテッド・プレスは、ニュース配信する事を拒否したが、内容の一部を外信として配信した。
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 11月30日 昭和天皇は、対米戦を担当する嶋田繁太郎海相永野修身軍令部長をお召しになって、不安な思いを問い質した。
 昭和天皇「ドイツが戦争を止めてしまったら、どうするか?」
 嶋田海相「人も、物も、すべて万端の準備が整っております。大命降下をお待ちするばかりで御座います。この戦争に石にかじり付いても、勝たねばならなぬと考えております。ドイツを決して頼りにしておりません」
 東郷外相、野村・来栖両大使にハル・ノートに対してアメリカに反省を求める様に訓令を送った。
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 アメリカの新聞各社は、前日の29日に、ジョージア州ウォームスプリングスに滞在中のルーズベルトが、アメリカの諸制度を防衛する為に「一年以内に戦争になる可能性がある」事を表明したと報じた。
 ニューヨーク・タイムズ紙「大統領はここ数週間ワシントンで国際問題に取り組む中で、あと一年のうちにアメリカの青年達が戦争を戦っている可能性について深く考えてきたと演説で述べた」
 日本は、ベルリンの日本大使館に対し「開戦は予想よりも早くなる可能性があり」と、ドイツ政府に助言するように指示した。
 30日 ハワイ島のヒロの新聞社ヒロ・トリビューン・ヘラルドの記事「日本、来週末にも攻撃の可能性」「日米交渉の失敗で日本(東京)は、自暴自棄になっている」
 オアフ島の有力新聞紙ホノルル・アドバタイザーも、日本軍の真珠湾攻撃を報じていた。
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 チャーチルは、ルーズベルトに「日本のこれ以上の攻撃は、ただちに最も深刻な結末に至ると日本に宣告すること」の提案する電報を送った。

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 11月下旬頃、中国・朝鮮人民同盟は、アイオワ州選出上院議員ガイ・ジレット国務省に対して、「日本軍がクリスマス前にハワイを奇襲する計画を立てている」と警告した。歴史的に、仲間と信じていた朝鮮人や中国人が、強大な敵に寝返って寝首を掻きに来るか分からないという恐怖感を生んでいた。いつ裏切るかも知れないという潜在的不信感が、朝鮮人と中国人への差別を増幅させ、信用することなく日本人社会から無意識に疎外した。
 アメリカは、日本の外交暗号を解読して、日本の意思と行動を知っていた。
 フランク・E・ビーティ海軍中将「1941年12月7日以前な段階で、私達は確かに日本を追い詰めていた。……それほどの無理難題を日本に私達は押し付けていたのだから、合衆国に対する、日本が軍事行動に出る事は当然予想された」
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 昭和16年度内の治安維持法違反による逮捕者は、1,094人であった。
 反天皇反日的日本人は、ソ連コミンテルンの指示で行動していた。
 中国共産党政権に亡命していた野坂参三らは、日本人兵士捕虜を天皇制度打倒の革命闘士に改造すべく、マルクス主義による洗脳教育を行っていた。
 中国のキリスト教会は、反天皇としてファシスト中国を支援していた。
 朝鮮人は、日本人の、親日派として味方か?それとも反日派として敵か?
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