🎼05:─2─共産主義の宗教弾圧と天皇制度打倒・皇室廃絶・皇族根絶は同じ理由であった。〜No.6 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国共産党政府では、反宗教無神論から、個人の信仰の自由を認めてはいない。
 日本国内に、中国共産党に同調する反天皇反日的日本人が少なからず存在する。
 日本にとって油断も隙もない共産主義者は、中国共産党である。
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 共産主義マルクス主義)体制とは、人民の楽園・人民の天国ではなく人民を抑圧する地獄の様な暴力と死の恐怖体制である。
 共産主義には平等という言葉は存在するが、実生活での道徳・倫理、人権、自由は存在しない。
 つまり、非科学的曖昧な人間性を抹消するのが共産主義マルクス主義)である。
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 2019年5月26日号 サンデー毎日「世界透明術  金子秀敏
 中国の廃仏毀釈
 令和時代の始まりとゴールデンウィークが重なって、正月休みがまた来たようなのどかな日本だった。ところが、所さん、ではなくてお釈迦様、中国が大変ですよ。排仏希釈のようなことが起きている。
 イタリアに本拠を置いて中国の仏教事情を観察している『寒冬』というオンライン雑誌の情報によると、山東省・平度市にそびえる高さ21メートル、白い大理石でできた『聖泉観音』の立像が、共産党の指示によって首から上を儒教の聖人、孔子様に作り替えられてしまった。白いお姿は古い銅像のように黒褐色に塗り替えられ、上は儒教様式、下は仏教様式という奇妙なことになってしまったという。
 中国では昨年2月、新しい『宗教事務条例』が施行され、宗教に対する管理が強化された。これまでも十字架を掲げたキリスト教会の教会を強制的に取り壊したり、イスラム教徒の多いウイグル人を収容所に入れ愛国教育を強要するなど、宗教に対する管理は厳しかったが、新条例になって仏教も取り締まりの対象になった。今年2月、河北省・石家荘で高さ約58メートルの『滴水観音』が爆破された。
 ……
 『聖泉観音』の看板も外した。しかし首から下の予算の関係で改造できず観音様が残った。孔子の顔も胴体に比べて大きすぎる奇妙な像になった。民俗文化圏の客寄せになると思えないが、これを見て宗教的な感情は湧かないので宗教弾圧の目的は達成された。
 なぜ中国はこれほどまで宗教を禁圧するのだろうか、経済力や軍事力も米国を脅かすほど大国化、強国化し、習近平国家主席が呼びかける広域経済圏『一帯一路』の国際会議には多くの外国首脳が集まるというのに。
 習主席は5月4日の『五四運動100周年』を前に、人民大会堂で開かれた記念大会で長い演説をして、繰り返し『愛国』を強調した。『愛国とは共産党を愛することだ』『共産党の言うことに従え』と言った。五四運動だったが、それへの言及はなかった。一見、強固な共産党独裁政治の中国だが、実は共産党には観音像や十字架ほど大衆の心を捉える力がない。習主席は誰よりもそのことが見通せる。だから宗教を禁圧するのだ」
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 レーニンスターリンなどのロシア人共産主義者は、世界の平和と人民の幸福の為に、日本と天皇を滅ぼすべくアメリカとの戦争へと追い込んでいった。
 共産主義者は、陰険で信用できない。
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 日本人共産主義テロリストはキリスト教朝鮮人テロリストと共に、昭和天皇や皇族を殺すべくつけ狙っていた。
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 軍国日本は、天皇制度(国體)を共産主義マルクス主義)の毒牙から守る為に軍備を強化した。
 日本軍は、ソ連中国共産党などの共産主義勢力から母国を守るべく大陸を侵略した。
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 中国の仏教とは、革命宗教である。
 仏教の革命思想とは、衆生を救い助け癒やすのは如来や菩薩など慈悲の御仏としているところである。
 中華思想・中華儒教では、世界を統べるのは天帝・天御一人だけであり、衆生を支配するのは天子・皇帝一人である。
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 共産主義マルクス主義)と中華儒教は、異母兄弟のように親和性が強い。
 共産主義マルクス主義)は全体主義一党独裁体制であり、中華儒教は封建主義の一君独裁体制である。
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 歴代王朝は、仏教の影響を受け宗教集団の反乱で衰退し、そして滅亡した。
 その為に、歴代王朝の多くは仏教とその影響を受けた宗教集団を弾圧していた。
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 日本仏教は、中国仏教や朝鮮仏教とは根本的に別の仏教である。
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 中国の歴代王朝時代、中華儒教による仏教弾圧を逃れて多くの高僧や名僧が日本に逃れてきた。
 日本は、仏教伝来に対して中国や朝鮮に恩義を感じる必要はない、それどころか、むしろ仏教界から感謝されて然るべきである。
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