🎵31:─3─日本人は文明人ではなく野蛮人である。日比谷公園焼き討ち事件。~No.79 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代日本の政治家や官僚には、公文書の持つ歴史的価値や重要性が理解できない人間が少なからず存在する。
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 「日本人は一部の軍国主義者に欺された被害者である」は、悪意あるウソである。
 日本人こそが、政府や軍部に戦争をんだ軍国主義者・国粋主義者民族主義者の主体で、国民の責任と義務として兵士となって戦場におもむき、命を賭けて敵兵と戦った。
 戦う事が嫌な日本人は、兵役を拒否して逃げ出した。
 戦った日本人が多数派で、逃げだした日本人が少数派であった。
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 2020年5月22日号 週刊朝日司馬遼太郎講演録 再録❶
 文明人は資料を保存し、野蛮人は資料を保存しない。『資料軽視という伝統が日本にあるんです』と司馬さんはいう。この指摘は森友問題、桜を見る会と、公文書問題に揺れた現代に当てはまる。
 「野蛮と文明のちがいは後世を意識することですね。野蛮人は今現在しか思っていない」
 小村寿太郎の悩み
 司馬遼太郎 
 ……
 今日は、公文書館の開館を記念する集まりで、題名は『歴史と資料』ですから。題名を聞いただけで私なんか退屈になります。ですから、何の準備もしておりませんので、思いついたままのことをお話ししたいと思います。
 これは私自身の言葉ではなく、貝塚茂樹さんがおっしゃった言葉です。
 『文明人と野蛮人お区別する方法は、ひとつしかありませんな』
 この場合、文明人とは古代アジアにおける中国人のことですね。野蛮人とは、モンゴル人とかウイグル人とか、当時の周辺の民族のことです。夷(えびす)と呼ばれています。中国人の考え方はこうでした。
 野蛮人はひいじいさんのことを何も知らない、名前も知らない。しかし、文明人の中国人は、ひいじいさんどころか、かなり上まで名前を知っている。つまり、野蛮人は死んでしまった人のことは記録にしない。文明人はすべて記録する。これだけがちがいだ。貝塚さんはそうおっしゃって、さらび付け加えました。
 『日本人は野蛮人やな』と。
 つまり、これまで公文書館を持っていなかったということです。
 中国では一つの王朝が滅びますと、新しい王朝が前の王朝の歴史を編んできました。こんな不思議な伝統を、だれがいつ始めたのかはわかりませんが、非常に古くからありました。
 唐という中国にとって誇りの時代が二百数十年ありまして、唐を事実上おこした人は太宗(李世民)という皇帝です。
 中国の慣習によって、太宗(たいそう)は寝ても覚めても一人の人間から逃げることができません。紙と筆とを持った一人の人間がいつもそばにいて、太宗の言うこと、なすことを全部記録し続けています。太宗があるとき少し悪いことをしまして、少し筆を曲げてくれと言ったところで、記録官はだめだと言う。
 記録官つきで生活してたんですね。歴代の皇帝がすべてそうだったわけではなく、唐の太宗は熱心なほうでしたが、こうして歴史は残されます。断片的に公文書の形で残り、唐が滅んでからその資料は生かされる。唐の歴史、正史が生まれるわけであります。
 そうすると、人間は後世を意識しますね。後世を意識しないと政治家は悪いことをするでしょう。もっとも、本当は後世を意識しても政治家は悪いことをするものですが、野蛮と文明のちがいは後世を意識することですね。野蛮人は今現在しか思っていない。
 文明人は後世を意識するものだということも、二千年ほど前の中国人の意識の中にはありました。
 これは明快な定義であり、今の時代でも十分に当てはまります。
 イギリス人もそうですね。自分の経験が後世、社会の役立つように回顧録を書く人が多い。19世紀ごろの政治家はほとんど回顧録を書いています。この場合は政治家ですから非常に悪いこともして、それは悪いことじゃなかったんだという弁解もする。弁解ばかりでできているような本もありますが、それはそれで役に立つこともあります。
 そして、イギリスが最初だったと思いますが、政府の外交文書は30年たちますと全部公開する。当時のイギリス政府はこんな悪いことを考えていたのかということも、三十年たつと曝(さら)け出すようになっています。
 文明国というのは古代中国のみならず似たようなことをします。アメリカ人も回顧録をよく書きますね。
 もっとも、それはアメリカが上等な国になったからであり、20世紀以後のことです。それまでのアメリカ人は野蛮で、少しもそういうことを考えなかったようですが、それでも当時のアメリカ人は、回顧録を書くかわりに寄付をしていたそうですね。たとえばジョンズ・ポプキンズという人が大学に寄付すると、自分の名前が残る。ハーバードは蔵書やお金を寄付した、無名の牧師さんの名前だそうですね。
 そういうようにして、アメリカ人といえども後世をいしきしていて、それゆえに野蛮ではないというのが貝塚茂樹さんの考え方です。
 日本の場合は全くそうではありません。敗戦の日に大騒ぎがありました。それが『日本のいちばん長い日』という題でしたか、大宅壮一さんが編纂された本になり、かつ映画になったのを見たことがあります。
 参謀本部、つまり大本営の少佐や中佐とかが、庭にあらゆる書類を持ち出して焼いているシーンがあったのを覚えています。
 やっぱり野蛮国なんだという感じでした。本人が主観的にどう思っているかは別として、彼らは悪いことをしたわけです。ここでいう悪いこととは、刑法にかかわる悪いことではありませんよ。国家を博打の掛け物にしたという、日本の歴史の中にかつてなかったことをした。そういう意味での悪いことをしたのは、昭和初年の軍人たちです。その悪いことを知られないために、書類を全部焼いた。アメリカ軍が来るから焼いてしまった。
 戦後まもなくのことですが、アメリカが第二次世界大戦史を編むことになり、歴史家に依頼したという記事を読んだことがあります。たしか軍人が入っていなかったと思います。軍人が入ると依怙贔屓(えこひいき)があるからでしょうね。
 私のまだ若かったころですが、感動的な思いを持ったことがあります。
 アメリカは文明国だなと思った。
 編まれるためには資料が必要ですが、そうすると戦争ですから、こんな悪いことをしていたのかという資料も出てくるかもしれません。それをすべて歴史家という裁判官のもとに提出される。そして編まれるんだなと思いました。
 陸軍の日露戦争史は紙くず同然でした
 日本の場合ですと、私が『坂の上の雲』という小説を書いたときのことです。私は日露戦争は、あの当時の状況を考えるとすると、祖国防衛戦争だったと思います。しかし、その歴史はついに書かれずに終わりました。陸軍省海軍省は戦史を書くのが仕事の一つなのです。そのために予算をとっている。ですからたしかに書いたことは書きました。
 特に陸軍は膨大な日露戦争史を残していまして、これは昭和29年(1954)の記憶ですが、道頓堀の古本屋で天牛書店という店があり、棚の上のほうにその陸軍の本が積まれていました。『明治卅七八年日露戦史』という本で、全十巻。参謀本部の編纂でした。あれはいくらですかと聞いたら、その当時の雑誌一冊の値段でした。番頭さんは、
 『あれは紙くず同然でして』
 と言っていた。
 読んだら、土木工事の日記のように、何日、どこの道路を掘ったという程度の記述でした。これをよく文章にして、活字にし、十巻編んだものだと思いましたね。われわれの税金でつくられた本です。価値観は何もない。その将軍は悪かったのか良かったのか、その作戦は失敗だったのか成功だったのか、何にも出ていない。
 あのとき、もし民間の学者が政府の予算によって歴史を編んで、しかも、裁判のごとく軍人に勝手な口出しをさせないものだったら、どうだったか。唐の時代の絶対権力者の太宗がどうにも自由にならなかったのは、自分の身近にいる低い身分の記録者だったことを思い出してください。もしそういう状態で資料を自由に集めさせ、自由に日露戦争史を書かせたならば、私は太平洋戦争は起こらなかったと思っています。
 なけなしのポケットマネーで日露戦争をやり、きわどいところで勝ったとはいえ、しょせんロシアにとっては辺境での出来事です。ポーツマス条約は、たしかに戦勝国としては考えられないほど貧しい条約でした。賠償金もロシアは出すつもりはなかった。文句があるならもっとやるぞというのがロシアの姿勢で、あれが限度でした。
 そのことが書かれていれば、日本は太平洋戦争のようなことはしなかった。国民は欺されてましたね。
 ……
 ……民衆は、何も情報を持っていませんから大騒ぎとなり、そんな状況にあって小村寿太郎は貧しい条約を締結した。その締結の日、日比谷公園で大会が行われて、そのあたりは火がつけられました。内相官邸も襲われました。群衆のパワーですね。私はこう考えています。
 日本の帝国主義はこの瞬間から始まった。なにも偉い人が始めたのではなくて、群衆が始めた。群衆がもっと勝て、もっと取れと。何も資料を持たず、日露戦争の実態も知らない。戦争をこれ以上継続するには、兵隊もいない、大砲もない状態だということも知らない。そこでアメリカに頼んで講和をしてもらったんですね。行司役を引き受けてもらった。セオドア・ローズベルト大統領は日本贔屓のところもあり、講和を取り持ってくれた。
 この人はアメリカのポーツマスを会場にして、一生懸命サービスしてくれた。自分自身は会議にでないんですが、陰になり日向(ひなた)になり、日本を応援してくれたんですね。それが、日比谷公園で群衆は爆発してしまって、アメリカ人と見れば石を投げ、アメリカ大使館を攻撃しようとし、アメリカ人が牧師になっている教会を焼こうとし、また現に焼いたりした。これは野蛮人であります。
 つまり、資料を持たされていない野蛮国の政府は、国民に何も知らせません。国民はわずかな情報のかけらを頭に入れまして、そのかけらを電気みたいにして頭の中でともします。電気がともったまま走り回り、日本は世界一強いとか、ロシアをやっつけたとか、訳のわからないことを言う。情報を持たないのでは、いくら大人でも、東大の教授でも、4歳か5歳ぐらいの子供の知能とさして変わりはありません。
 そして日露戦争が終わった後、もし新聞なりが日露戦争はこうだったと、本当のことを連載したら違ったかもしれません。資料と言論とは、重なった深い関係にあるものです。そういう記事があったら、当たり前の国民が、当たり前の国ができたかもしれません。
 後の太平洋戦争のようなばかかなことをやる国にはならなかったかもしれないのです。力もなく、世界中を相手に戦争をしたというのは信じがたい。試験採用で官吏になり将軍になった人たちが、本当の愛国ということではなくて、戦争に反対すると自分の昇進にかかわると思うから反対しない。
 元気のいいやつが太平洋戦争を始めようと言い。その前に満州を取ってしまえと言う者もいます。おさまらなくて日中戦争も始めてしまう。
 何のメリットもない。
 韓国を併合して、恨みを買っただけで、何かいいことがあったでしょうか。……
 ……
 ……わが国は韓国を併合して、その恨みを買う。しかも、儲けない。持ち出しばかりになるぞということぐらい、よその国の資料を読めば、だれでもわかります。
 しかし残念ながら、資料軽視という伝統が日本にあるんですな。
 よその国がいかに物をきちっと取っておくかと話しで、……
 ……
 保存したら儲かります、ということではありません。保存したらどれだけの儲けがありますというのは、つまり野蛮なんですね。
 ですから、公文書といった儲かるわけではないものをどれだけ多く持っているかが文明の尺度です。われわれもそろそろ文明人に近づいてきたなという感じがするわけであります。……」
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 ウィキペディア
 日比谷焼打事件は、1905年9月5日、東京市麹町区(現在の東京都千代田区日比谷公園で行われた日露戦争講和条約ポーツマス条約に反対する国民集会をきっかけに発生した日本の暴動事件。日比谷焼打ち事件、日比谷焼き打ち事件、日比谷焼討事件、日比谷焼き討ち事件といった表記揺れがある。

 日比谷の暴動

 決起集会
 9月5日、東京・日比谷公園でも野党議員が講和条約反対を唱える民衆による決起集会を開こうとした。警視庁は不穏な空気を感じ禁止命令を出し、丸太と警察官350人で公園入り口を封鎖した。
 しかし怒った民衆たちが日比谷公園に侵入。一部は皇居前から銀座方面へ向かい、国民新聞社を襲撃した。すぐあとには内務大臣官邸を抜刀した5人組が襲撃し、棍棒丸太で裏門からも襲われた。銀座からの群衆も襲撃に加わった。そうして、東京市各所の交番、警察署などが破壊され、市内13か所以上から火の手が上がった。
 この時、日本正教会がロシアと関係が深かったことから、ニコライ堂とその関連施設も標的になりあわや焼かれる寸前であったが、近衛兵などの護衛により難を逃れた。また群衆の怒りは、講和を斡旋したアメリカにも向けられ、東京の駐日アメリカ公使館のほか、アメリカ人牧師の働くキリスト教会までも襲撃の対象となった。
 これにより東京は無政府状態となり、翌9月6日、日本政府は戒厳令(緊急勅令による行政戒厳)を布き、近衛師団が鎮圧にあたることでようやくこの騒動を収めたのである(戒厳令廃止は11月29日)。この騒動により、死者は17名、負傷者は500名以上、検挙者は2000名以上にも上った。このうち裁判にかけられた者は104名、有罪となったのは87名であった。
 なお、各地で講和反対の大会が開かれ、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こった。
 その後
 暴動収拾後も人々の反発は収まらず、桂首相は立憲政友会を率いる西園寺公望と密かに会談を持って収拾策を話し合った。この結果、翌年1月に第1次桂内閣は総辞職して代わりに第1次西園寺内閣が成立した。西園寺や新内務大臣・原敬は反政府側から出された戒厳令関係者の処分要求を拒絶して、事件の幕引きを図ったのである。
 被害にあった建物
 内務大臣官邸
 外務省
 国民新聞
 キリスト教関係
駒形町福音伝道館
・三軒町美以教会
・黒船町聖約翰教会
・森下町救世軍分営
・芝崎町浅草美以教会・牧師館(現・日本基督教団浅草教会)
・横川町天主教会・付属小学校
・吉田町天主教信者鈴木房次郎宅
・松倉町同盟教会講義所(現・日本同盟基督教団
向島小梅町同盟教会(現・日本同盟基督教団
・両国矢ノ倉町日本基督教会(現・日本基督教団永福町教会)
・御士町日本基督教会(現・日本基督教団豊島岡教会)
・日本基督明星教会(現・日本基督教団小石川明星教会)
・車坂町美以教会(現・日本基督教団下谷教会)
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 アメリカ世論の日本への悪感情は、日比谷公園焼き討ち事件の日本人暴徒によるアメリカ人牧師が赴任しているキリスト教会を襲撃した事が原因で酷くなっていった。
 敬虔なキリスト教信者は、日本が行ってキリシタン弾圧を神を怖れない残虐非道な重犯罪として憎んでいた。
 反日運動を主導したのは、アメリカ・キリスト教会であった。
 そして白人キリスト教至上主義者は、宗教的人種差別として排日運動を繰り広げ始めた。
 日本人は、アメリカとアメリカ人を勘違いした。
 こうして、日本人移民の苦難の歴史が始まった。
 二世の日系アメリカ人は、国民の責任と義務から祖国アメリカに忠誠を誓い、父母が生まれた日本国を敵国と戦う道を選んだ。
 日本人と日系アメリカ人が戦った根拠は、今持っている国籍であった。
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 日本の帝国主義軍国主義は、国家と軍部が不利な情報を隠して公開せず、無責任なメディアが金を儲ける為に憶測でいい加減な報道をして煽り、何も知らない国民が嘘の情報を鵜呑みにして思考停止で条件反射的に暴走して始まった。
 民族派の政府も軍部も、武士道精神を持たない国民、私利私欲のみで暴利を得ようとする群衆、不寛容で狂信的宗教に染まった信者・信徒・教徒、過激なイデオロギーに洗脳され暴走しやすい人民を信用していなかった。
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 江戸時代の武士精神を持て自分を律してい明治の元勲達は、官軍と戦った賊軍の子弟や欲得で動く庶民が近代教育で淺知恵を付け、エリート軍人となって軍中枢を占拠し跋扈する事を恐れた。
 さらに、近代戦を戦えない薩長出身軍人を軍中央から放逐した。
 元勲達は、軍人能力を一定に保つ為に、薩長出身の中から軍功があった旧武士のみを選抜して大将に引き上げて軍を独占した。
 日露戦争後の軍部は、陸軍大学・海軍大学を優秀な成績で卒業した旧賊軍子弟や庶民出身の軍人が多数派となるや改革運動が起こり、親の七光りで世襲化した薩長出身軍人で能力がない者は軍中枢から外されていった。
 大正期や昭和初期には、軍人勅諭は形骸化し軍人の横暴が酷くなり、軍功を上げたいと望む野心的な軍人が増えて満州事変・日中戦争・太平洋戦争へと暴走していった。
 その兆しが現れたのが、民衆による日比谷公園焼き討ち事件である。
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 アメリカの良識派アメリカ・キリスト教会が反日天皇に傾いていったのは、日比谷公園焼き討ち事件からである。
 つまり、日本人には近代的西洋キリスト教常識が通用しない野蛮人であると。
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 日本の歴史は、勝者が自分の都合いいように、敗れた者を悪役に仕立て改竄・歪曲・捏造して作り上げた偽りの歴史である。
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 日本書紀は国外向けの国史であり、古事記は国内向けの国史である。
 日本天皇は、中華皇帝に対して、日本国は文明国である事を主張する為に日本書紀を編纂して提出した。
 日本書紀は、世界に対する建国宣言であり、国の姿であり、趣意書であり、理念である。
 誤魔化さない、嘘偽りを述べない真っ当な国である事を証明する為に、残虐非道な帝の武烈天皇を書き記した。
 天皇家が盤石であり、天皇位は途絶えることなく継承されること証明する為に、傍系出身の継体天皇を書き記した。
 群臣が天皇位の正統性を正しく守り存続させている事を証明する為に、継体天皇を数十年かけて都に入れた事を書き記した。
 飛鳥・奈良時代の日本人は、日本を一つの国、日本を治める大王・帝・天皇を一人にする為に日本書紀を編纂したが、事実でない記述が数多く存在する。
 国内的に矛盾する点が多々あったとしても、日本を侵略してくる恐れがある中華帝国に対して日本は天皇のもとで一つにまとまっている事を主張する必要があった。
 日本国の正しさを主張する為に、天皇を含む国の出来事を良くも悪くも出来うる限り正しく書き記した。
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 消された歴史の中に、東国での渡来系新羅人を中心とした渡来人の反乱という記述が存在する。
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 昔も現代でも、日本は情報公開が進まないモノ知らぬ国であり、日本人は意図的に偽情報を無責任に垂れ流すメディア・報道機関に踊らされている。
 その最たるモノが、江戸時代の瓦版である。
 そして、儒教の「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」である。
 儒教の本質は、人の道を示す道徳倫理ではなく、統治の正統性を明らかにし、支配体制を強化する政治哲学・政治思想・政治理論である。
 儒教を理解する上で重要なのは、中国の父系血縁による宗族制度であり、日本の氏姓制度とは違う。
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 現代日本の高学歴出身知的エリートには、良いも悪いも全て包み隠さず子孫への証言とし、後世の専門家による辛辣で手厳しい研究に堪えうる回顧録や自分史を書き残す者はほぼいない。
 つまり、文才がない。
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 江戸時代頃の世襲の武士・大名や公家そして家元と言われる芸能関係者は、後世に役立てるべく数多くの古文書・書き付けを残した。
 日本の伝統芸能には、一子相伝、門外不出の家伝の書、奥義書が数浮く存在する。
 明治以降の政治家・官吏・学者・軍人などで、特に庶民出身者は後世の為に書を残さなかった。
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 現代の高学歴出身知的エリートの公文書に関する認識は、敗戦直後で、重要な公文書を灰にして責任逃れを図った軍部中枢部にいた高級軍人官僚エリートに似ている。
 彼らは公文書破棄を正当化する為に、「この事は墓場に持っていく」として沈黙の誓いを守る。
 その為に、日本の歴史には不明な点が多々ある。
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 日本人の仕事の一部に、自分の失敗も同輩や先輩の失敗も隠し表に出さない事が含まれている。
 その為、日本では内部告発は起き辛く、もし正義感から内部告発すると後に酷い制裁を受ける。
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 古典的中国価値観からいうと、戦前までの庶民は野蛮人で、現代では政治家や官僚、メディア・報道関係者、学者など高学歴出身知的エリートまでもが野蛮人とっている。
 古典的中国価値観は、現代の中国共産党とは無関係である。
 古典的中国価値観から見れば、中国共産党は野蛮人のさいたる忌むべき人間集団である。
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