🎺85:─3─戦後民主主義世代への失望。宗教心なき戦後日本人のA級戦犯観と靖国神社認識。〜No.379 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 日本民族は、数万年前の縄文時代から日本列島に流れ着いて生活していた人々である。
 日本天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代からの歴史を持つ古い血筋・家系である。
 私家の皇室祭祀は縄文文化から、国家の宮中祭祀弥生文化から、の伝統的宗教祭祀である。
 日本国・日本民族の中心は政教一致の「祀り」であった。
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 現代日本人が「無宗教」と答えるのは、宗教心を捨てた戦後民主主義世代が原因であった。
 戦後民主主義世代とは、反宗教無神論マルクス主義史観に洗脳された、60年安保・70年安保の安保世代、団塊世代団塊ジュニアである。
 戦後民主主義世代は、日本民族が数万年前の縄文時代から受け継いだ来た争いを嫌う穏やかな「和の民族宗教」を否定し、衰退させ、そして破壊した。
 日本民族は宗教の民であったが、現代の日本人は無宗教の人間である。
 現代日本人が「私は宗教を持たない」と答える時、それは現代日本人の「廃神毀釈」つまり脱神仏革命=脱宗教革命=人民革命である。 
 現代の日本人が主張する「政教分離の原則」とは、反宗教無神論マルクス主義価値観に洗脳された戦後民主主義世代による宗教否定の神殺し・仏殺しである。
 戦後民主主義世代が信じている死後とは、天国なし極楽浄土なしそして地獄なしの「完全無欠の無」、肉体も魂・霊もない跡形もない「消滅」であり、よって如何なる葬祭を拒否し、墓も位牌も拒絶する。
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 戦後民主主義世代の理想は、家の繋がりや家族の絆を断ち切った核家族・結婚しない独身・子供が欲しくない夫婦であった。
 民族消滅の原因になる少子高齢化の人口激減をつくったのは、政府が行った人口政策の失敗ではなく戦後民主主義世代である。
 そして、日本を衰退させ勝ち逃げする世代とは戦後民主主義世代である。
 今後の貧困で悲惨な生活を強いられる子供達は、勝ち逃げする戦後民主主義世代の犠牲者である。
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 戦後民主主義世代には、特権を利用して大金を貯めた富裕層・上級国民・勝ち組と、稼いだ金を遊んで浪費し貯めなかった貧困層・下級国民・負け組に分かれる。
 1兆数百億円の日本国の借金を、つくり増やしているのは勝ち逃げの戦後民主主義世代であり、その恐怖の「負の遺産」を押しつけられるのが哀れな子供世代である。
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 2021年4月号 正論「昭和の大戦とあの東京裁判
 ──同時代を生きた比較史家が振り返る──
 第13回 戦後民主主義世代への失望
 第17章後世が下す判決(承前)
 シンガポールにおける戦争イメージの変化
 ここでシンガポールにおける『あの戦争』におけるイメージの変遷にふれたい。私はシンガポールには過去60年間に何度も立ち寄った。最初と2度目はヨーロッパへの洋行する留学生としてであった。1954年に寄港した時は英国に奪還されてまだ英領であった。その後私は独立したシンガポールの国立大学へ招かれて外部試験官として論文審査に何度か関係した。このexternal examinerを招くというのは英国の習慣が踏襲されたからである。またその地で開かれた国際学会で、基調講演者として、また総括者として招かれた。そのように何度もシンガポールに行くうちに、判断が落ち着くべきとこおに落ち着くのを感じた。歴史資料館(今はセントーサ島にある)では歴史解釈も最初のうちは旧宗主国の英国の立場をそのまま反映して、第二次世界大戦で日本軍が降伏した場面の写真のみが大きく掲げられていた。
 ところがそれがシンガポール独立後のいつからであったか、1942年2月15日、シンガポール島に敵前上陸した山下奉文中将がイギリスのパーシヴァル司令官に降伏を迫った歴史的会談を描いた宮本三郎画伯の絵の大きな複製も展示されるようになったのである。
 そればかりではない、いわゆる大東亜戦争に至る遠因が『日本はロシアを日露戦争で撃破した。これは有史以来アジアの一国が初めて西洋の一国を負かしたのである』という説明である。これは大英帝国のクラウン・コロニーから独立したシンガポールであればこそ、西洋植民地支配とそれに対決したアジアの反撃の歴史を説明する必要があるから書かれたのであろう。それで反日的感情が強いといわれた漢民族が主流のシンガポールですらも、日本が20世紀前半に果たした歴史的役割に言及したのである。
 しかもそこにはさらにこんなオーストラリア兵士の感想も大きな活字で出ていた。〝After Singapore,Asiachanged. For the British it would neverbe the same again 〟『シンガポール陥落以後、アジアは変わった。英国人にとってはもはや戦前とおなじであることはあり得ない』。チャーチル大英帝国維持のために戦ったが、英国は結局はアジアの植民地は手放さざるを得なかった。
 木村久夫上等兵の場合
 第二次世界大戦中、日本軍が占領したインドの領土はニコバル・アンダマン諸島である。チャンドラ・ボースを首班とする自由インド仮政府はその島々を英国支配から脱した最初のインド領とした。だが日本の敗戦後、その地における英国側の戦争犯罪追求はそれだけ厳しかったにちがいない。木村久夫は京都大学経済学部学生、1942(昭和17)年入営。陸軍上等兵だったが、敗戦後、戦犯としてシンガポールチャンギィ刑務所で刑死の憂き目にあった。ニコバル島で米泥棒として捕らえた住民が信号弾を打ち上げてイギリス軍と連絡していたことを白状したからである。英語のできる木村が取り調べを委ねられた。その際一人を殴打したことを認めたとして他の4人とともに死刑に処せられたといわれる日本戦歿学生の手記『きけわだつみのこえ』に24頁にわたり載った木村久夫の文章は印象深い。
 ……
 第18章 戦後民主主義世代
 国会桃色事件
 ここで転じて内地での軽薄な事件に言及する非礼を許していただく。戦後とは一方では戦争犯罪人として日本人が処刑されながら、そしてそうした意味では戦争がまだ続いていながら、地方ではそういう現実に目をやれば、女性は解放された、自由は与えられた、と敗戦国民が奇妙に浮かれてはしゃいだ時代でもあった。以下の椿事(ちんじ)も東京裁判で判決が下され、死刑が執行されようとしている時期に起こった。
 ……
 山下春江議員の趣旨説明
 1952(昭和27)年、日本が独立を回復するや、12月9日《戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議》が、労農党のみの反対という圧倒的多数で可決された。改進党の山下議員が共同提案者の一人と趣旨説明を行った。
 ……
 山下春江は、翌1953(昭和28)年7月21日、戦犯遺族へも戦没者遺族同様、弔慰金などの援助をすべきでないか、という問題提起を衆議院厚生委員会で行なった。
 ……
 外務省省議決定
 ……
 この異族援護法改正に自由党、改進党、社会党右派、左派も賛成し、強く支持した。
 ……
 同年8月3日、国会は『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議』を可決した。山下春江がこの時も提案趣旨説明に立ち、戦犯犯罪そのものを降伏した者の上に加えられた災厄といい、連合国にその権力を誇示したにすぎないのではないか、とパル博士の言葉にふれた。
 ……
 山下春江が属した改進党の総裁は重光葵で、重光は5年前に東京裁判A級戦犯といて禁固7年の判決を受けたが、1950年11月に仮釈放され、52年3月には公職追放を解除される。独立回復後、大分2区から衆議院議員に出馬し、いまや吉田茂と首相の座を争う地位にいる。そのような人の存在そのものが東京裁判に含まれた不当性の生きた証左でもあった。
 A級戦犯と呼ばれた人も1956(昭和31)年までに関係各国の同意を得て全員出所した。BC級の人も1958(昭和33)年に出所した。BC級の人も1958(昭和33)年に出所した。
 ……私は『あの戦争』は間違っていたとし、その戦争を止めようとした鈴木貫太郎昭和天皇の功績を述べようとしていたからである。
 戦後民主主義世代の登場
 そもそも日本人が『あの戦争』について拒否的になるのは当然だった。負けたからである。多くの日本人が戦災に遭ったからである。そんな下手なことをした指導者が愚かなことは明白だった。対米英戦争の開始に際して閣僚たちは戦争終結についてどのような見通しを持っていたのか。そんな東條を日本国内の全報道機関が一致して悪者扱いにして描いたのだから、新聞を読むほどの人の多くがそう思い込んだのは当然だろう。
 そうなると、東京裁判の公正を信じる人にとって、いや、信じない人にとっても、東條内閣の閣僚だった人が首相になる、それ自体が許されないことに思われた。それこそ『逆コース』の最たるものであった。……
 1952年の日本独立回復直後は新憲法に対する賛否は相半ばしていたが、若い世代の台頭とともに憲法護持の声の方が次第に大きくなった。戦後民主主義世代の登場である。彼らは日本のかつての国家主義に反撥して国際主義を唱え出した。A級戦犯と聞けば、もうそれだけでアレルギー反応を呈する人たちである。
 その世代の文学界におけるチャンピオンが大江健三郎で、政界においけるヒロインが土井たか子だった。この二人は並行現象で、戦後民主主義の彼女は『朝日新聞』の言い分通り、護憲を唱え、北朝鮮の肩を持ち、衆議院議長にまで昇りつめた。片や大江は時流に敏感で、中国に文化大革命が起きれば紅衛兵の肩を持ち、日本で大学紛争となれば造反学生を持ち上げて、サルトルばりのことを言い、ノーベル賞まで昇りつめた。だが日本の文化勲章の方は拒んだ。左翼の知的ヒーローは女学大生に向かって『自衛隊員のところへお嫁に行くな』といった。そんな職業差別的発言が大江に許されたのは、背後に大江を担ぐ大マスコミがあったればこそである。
 『大地の子』に感動する人、しない人
 敗戦直後の日本では、戦前に治安維持で逮捕された左翼の人が、軍国主義に抵抗した人として良心的とみなされた。しかしマルクス主義を奉じて共産主義讃歌をうたった人も、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦の威信が地に堕ちると、さすがにマルクスレーニンにしがみつくことはできなくなった。
 そんな中で日本のマスコミは中国に対する日本人の贖罪意識を強めるように努力した。山崎豊子原作の『大地の子』は日本国内で空前の共感を呼んだ。しかし中国では日本人の善意の協力で日中合作の宝山製鉄所が建設されたという事実を伝えるドラマは、放映されなかった。NHK制作の大テレビ・ドラマを日本で見た中国人留学生はおよそ冷淡で、上川隆也演ずる陸一心は労働改造に送られるが『あんなきれいごとですむものか。労改(ラオガイ)には尻を拭く紙もないんだぞ』と冷ややかに言い放った。
 『日本兵が殺したよりも、何十倍、ひょっとして何百倍の中国人が国共内戦や大躍進や文化大革命を通して殺されている。ナチス・ドイツユダヤ人に対したと同じ事を共産党政権はウイグル族チベット族に対して行っている。民族浄化政策だ』
 それもそうかもしれない。だが人民中国では漢族の犯した悪事に対して箝口令をしくことはいたって容易だが、日本軍の犯した悪事はいかに誇大に宣伝しても許される。東洋永遠の平和と称して軍を大陸に進めた日本は愚かであった。他国に軍を8年間も駐留させれば不祥事が起こらぬはずはない。きわめて多くの日本人が、昭和の末年から平成の初めにかけて『まだ、あの戦争にかける日本の責任は清算されていない』と感じるようになった。そうしてそう言うことが良心の証しのような雰囲気が醸成されていた。
 悪い人間は誰か
 昭和58年、小林正樹監督がドキュメンタリー映画東京裁判』を作成した。すべて実写フィルムを集めたといいながら、その写真がない南京大虐殺、中国人がいうところの南京大虐殺の場面があるのは、日本が中国戦線で虐殺行為を働いたのは間違いないからとして、たとえ本物ではなくとも、中国側の宣伝用のでも、ともかくなにか写真を入れなければならない、監督がそう思ったからに違いない。雰囲気に押された結果だろう。
 戦後直後の多くの連合国軍の裁判では偽証で多くの人が有罪とされた。悪いのは本人か。偽証した人か。その証言を基に有罪判決を下した人か。
 しかしこの小林監督のドキュメンタリー映画のお陰で、先に触れたように、ブレークニー弁護人の『キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名を挙げる事ができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の国家元首の名前も、我々は承知している』などの発言は広く日本人に知られた。
 しかし人間は一度『反動』とある著者のことを思いこむと、その著者の書物を手にとらなくなるものである。そして同じように一度『悪者』とある政治家のことを思いこむと、その政治家の評価を変えないものである。その事を私が自分自身のこととして感じたのは、津川雅彦東條英機を演じた伊藤俊也監督の『プライド──運命の瞬間』について抱いた先入主があったからである。
 思い込みによる呪縛
 『プライド』が日本で公開された1999年5月、私は北京で教えていた。『人民日報』に『戦犯美化は許せない。この映画は日本の右翼思潮拡大の産物』と出て、中国外交部も『東條讃美の内容に衝撃と憤りを覚える』などと非難した。ありきたりの文言だからそれらはさほど気にもしなかった。私は北京滞在中、より信頼性のある。客観的情報を手に入れたかったから、アメリカの週刊誌『タイム』英語版も海外から取り寄せた。すると東條英機が登場するこの映画が猛烈に非難されている。その語調があまりに激しいので、当時の私は『そんな余計な映画は作らなければよいのに』と漠然と思っていた。帰国して私の周辺には『プライド』を見たという人がいなかった。
 そして何年か経って偶然テレビで『プライド──運命の瞬間』を見た。キーナン首席検事の反対尋問とそれに答える東條英機被告のやりとりが如実に再現されている。私は食い入るように映画を見た。そして『タイム』誌の記事は、あれは東條悪玉論を信ずる米人記者のアレルギー反応だったのだと気が付いた。もしキーナン・東條対決の場面を実写のフイルムを挿入しておけば『タイム』記者とても、とてもあんなに居丈高な非難は書けなかったはずだ、と感じたからである。
 1948年マッカーサーも東條の弁明が『深甚(しんじん)な波及効果』をもたらすのではないか、と懸念したことがガスコイン英国大使の本国向け報告に出ている。東條英機巣鴨の獄中で判決の迫ったある日、同じA級戦犯とされた部下の佐藤賢了陸軍軍務局長にこう言ったという。

 君もどんな判決を受けるか知らないけれども、敵に罰せられるとおもえば腹もたとうが、陛下と国民から罰をいただくと思うて甘んじてもらいたい。敗戦により、国家と国民とが蒙(こうむ)った打撃と犠牲とおもえば、僕が絞首台に登るが如きはむしろ勿体ない。八つ裂きにされてもなお足りない。(略)僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの鞭を受けなければならないからである。

 津川雅彦が、よくぞそんな、いつまでも罵るの鞭を受けなければならぬ人の役を引き受けたものだ、と思った。その津川に1999年、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を授けたのである。『タイム』記者がその受賞を聞かされたなら、それこそまた怒り狂ったであろうな、と思うと、かすかに笑いがわいてきた。
 荒木貞夫の弁護をつとめた菅原裕は1948年11月12日午後、被告と裁判長の中間に位する弁護人席を与えられたので、無礼と思ったが被告諸氏の最後の態度を見とどけようと、後ろ向きになって至近の距離から注視した。被告の中には見ようによっては、試験官の前に立たされた受験生のような感じがしないでもない。ところが、と菅原弁護士は『東京裁判の正体』(時事通信社、1961年刊)でいう。
 ……
 法廷で整然と自己の立場を述べた東條は淡々としていた。陛下に御迷惑をかけず、自分が死ぬことに意義を見出した人は、三年余の獄中生活で品位を失うことはなかった。しかも東條はその間に日本の立場をきちんと弁じようと、不自由な獄中で問題点を丁寧に調べ、いかに説明すべきか想定問答を自分で用意し、法廷に立ってきちん、きちんと応答したのである。
 多くの被告たちの中には国際法廷の被告の地位になれきって、かつての大臣・大将の自覚に立って、連合国の裁判の不法を憫笑(びんしょう)する気概を失った人もまた見かけられたようだったが。
 戦後民主主義世代への失望
 A級戦犯は悪者である──人間一度そう思いこむと、その見方をなかなか代えられないものである。戦犯とされて獄死したことを法務死と呼ぶが、その人々の遺族に対しては、戦犯遺族へも他の戦没者遺族同様、弔慰金などの援助をすりことが1953(昭和28)年の国会で可決された。ところが敵国によってBC級戦犯とされた人のみならずA級戦犯とされた人を靖国神社に合祀したことについては、近隣諸国をまきこんで、問題が生じた。
 1985(昭和60)年11月8日、衆議院外務委員会で土井たか子社会党議員が『戦犯は日本も受けいれた東京裁判によって《平和に対する罪》で処刑されたのであり、戦没者とは違う。どうして戦犯を祀っている靖国に参拝するのか』と質問した。翌86年8月19日、衆議院内閣委員会で後藤田正晴官房長官東京裁判について『サンフランシスコ対日平和条約第11条で国と国との関係において裁判を受諾している事実がある』と述べた。
 この種の議論はその後も繰り返された。2006年2月14日衆議院予算委員会岡田克也民主党議員は安倍晋三官房長官に対して『東京裁判についてどういうふうにお考えなのか』と問い、安倍長官が『サンフランシスコ条約の第11条については、(戦犯とされた)そういう人たちを連合国の承認なしには勝手に釈放してはいけないというのが11条なわけでありまして、その後、我々は何回かの、累次にわたる国会における決議等々を積み重ねていく中で、国民の圧倒的な指示のもと、連合国と交渉をした結果、先にA級戦犯、そしてBC級戦犯が釈放されたというのが歴史的事実なんだあろう、こう思っているわけであります』と答えたのに対し、こう述べた。
 岡田克也『今のお話しですが、確かに赦免、減刑あるいは仮出獄ということは認められておりました。しかし、赦免というのは、そのもとになった東京裁判の判決そのものを無効にするものですか。そういうふうに聞こえますよ。今のお話しは。・・・日本の国内法上、有罪判決を受けていない、そのことは事実です。しかし、日本国として受諾している以上、そこに法律があるかないかということではなくて、日本国政府として、あるいは日本国として、そのことに拘束されるのは当然じゃありませんか』
 安倍晋三『岡田委員は、何かまるでGHQ側に立っておっしゃっているように聞こえるんですが、あの11条を、私たちは、あのときはあのサンフランシスコ講和条約を受け入れるしか、当時は単独講和、全面講和という議論もありましたが、あれによって日本は独立を回復したわけであって、今日の繁栄があるんですが、しかし、あれを受け入れなければ独立を回復することはできなかったんですね。・・・私は、この条約を、サンフランシスコ講和条約を、日本もそこにサインをしている以上、当然これが、今、いわゆる政府の立場として、全く無効だから、かつての損害賠償をしろと異議を申し立てる立場にあるとは全く、むしろそういう立場にはないということを累次申し上げているわけであります』
 岡田克也『では、あの60年前の戦争の責任はだれが負うべきなんですか』
 そう言った岡田の口吻(こうふん)は『あの戦争』についての責任は東京裁判の判決に従って判断すべきだと言わんがばかりであった。これが戦後民主主義の優等生かと私は失望した。
 死者はひとしく墓に葬る。善人も悪人も墓に葬る。それが神道の考えである。それというのも善悪の判断は恣意的、政治的になりがちだからである。中国ではしばし死者の墓を暴く。汪精衛の墓は戦後、漢奸として爆破された。私は、そんな国でなく、日本に生まれて、まあよかった、と感じている。
 こんな模範解答のままでいいのか
 1931年生まれの私は、戦前・戦中・戦後を生きた。日本が負けたら世間はたちまちみな民主主義者になった。その変わり身の早さに子供心に不信感を抱いた。敗戦の年の秋、中学2年の級友和久本芳彦がある授業の前に黒板に吹き流しを描いたことがある。それが誰の言動を風刺したものかすぐわかった。私たちの世代が受けた最大の歴史教育は、そういう変わりざまを目(ま)の当たりにしたことだった。
 その私は戦後いちはやく日本の『閉ざされた言語空間』の外へ出て、独伊のような敗戦国も、米英のような戦勝国にも、フランスのように敗戦国でありながら戦勝国に仲間入りした国にも、留学した。5年間日本を留守にして帰国すると、浅沼稲次郎社会党書記長は北京で『米国帝国主義は日中共通の敵』などと声明を出している。周囲は教師まで一緒に『安保反対』などと叫んでいる。その異常な雰囲気に黙っていることもできず、私は『安保反対の反対』と言ってしまい、皆から嫌われた。ここで現役の政治家諸氏の名前をあげると、余計な反撥を買うかもしれないが、それでも率直に書かせていただく。
 そんなひねくれ者の私に比べると、若い戦後民主主義世代は、戦後教育のすなおな優等生として、新聞・教科書で教え込まれた見方を頭から信じている。
 ……
 わが国では真面目で勤勉な学生は、卒業後、社会階梯を進む過程で、『朝日』のコラムのような意見の述べている限り、世論にも支持され、社会で相当な地位に出世できる。……○×式教育のせいか、……歴史認識の白黒史観で、A級戦犯と聞けば悪者が正解と決められている。……
 いま自由民主党の古参議員でも、中国でA級戦犯合祀が問題視されると、にわかにおたおたした。古賀誠など自民党の旧有力者が、いまでも元遺族会の会長とかの肩書きで発言し、陛下に靖国神社に御親拝をしていただくために、A級戦犯分祀などと言いだす。それを聞くと、薄ら寒い気がする。廣田弘毅A級戦犯として処刑され合祀されている。古賀も九州福岡出身の議員だ。知らないわけであるまい。A級戦犯重光葵巣鴨出所後、大分県から立候補当選した。そのこともよもや知らないわけではあるまい。
 歴史の表裏を見る
 問題は土井たか子岡田克也も鈍才だから妙な発言をしたのではない。そのぎゃくだからである。問題の深刻さはそこにある。戦後教育の標準的な優等生であるからこそ、『あの戦争』について連合国側の視点に立った判断を下し、A級戦犯批判を行なうのだ。
 あの戦争の開戦責任者はいる。しかし開戦の詔書に署名したからといって、それをただちに犯罪とするのは短絡的に過ぎる。また連合国側がA級戦犯として逮捕したからといってそれを犯罪者などと即断するのは知的怠慢だ。日米戦争の責任者は日本側にもいたが、相手側にもいた。もっとも明確な戦争犯罪人は、米国人弁護士も示唆したように、原子爆弾の使用を命じた人物だろう。しかし人類はその人を処刑できなかった。勝者と敗者とではそれだけの別があり、それだけ判断が異なる。
 米国の『タイム』誌は20世紀の最高の偉人としてフランクリン・ルーズベルトの名を挙げた。その時、私は鼻白む思いがした。国務長官コーデル・ハルは1945年にノーベル平和賞を与えられている。
 そんな私が真にノーベル平和賞に値する人として昭和天皇の名を挙げれば、アメリカでも中国でも眼をひんむく人もいるだろう。だがそんな平川解釈に賛成する歴史通の人々は日本には存外いるかもしれない。
 元旦にあたり昭和天皇は次のように世の中に祈られた方だった。

  朝海   昭和8年
 天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
  迎年祈世 昭和15年
 西ひがしむつみかはして榮ゆかむ世をこそいのれとしのはじめに
  社頭寒梅 昭和20年
 風さむき霜夜の月に世を祈るひろまへ清くうめかをるなり

 1933(昭和8)年は12月23日に皇太子誕生の年である。1940(昭和15)年はフランスが敗れ日本がドイツと手を握る年である。1945(昭和20)年は日本の敗北が迫った年である。
 その昭和天皇は、戦後の平和日本の象徴でもあったが、その前は大日本帝国のシンボルでもあった。シンボル的存在はたとい罪はなくとも事後法により処刑される可能性はいくらでもあった。実をいえば東條英機が絞首刑に処せられたのも、陸軍大将内閣総理大臣の東條が軍国日本のシンボルだったからである。そのシンボルとしての意味において東條は、昭和天皇の身代わりとして、処刑されたという面がある。そのこともひそかに思わずにはいられない。
 A級戦犯容疑で木戸幸一に逮捕令が発せられたときき昭和天皇は『米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり』と言って木戸をねぎらわれた。昭和天皇終戦の聖断の際『戦争責任者の処罰等、其等の者は忠誠を尽くした人々で、それを思ふと実に忍び難いものがある』といわれた。1948(昭和23)年12月23日、終日外出されなかった。それを思えば、その人たちの鎮魂のために、これから先も皇室関係者が祈るのは人たる者の道ではあるまいか。股肱(ここう)の臣は黙々と殺されたが、社稷(しゃしょく)墟(きょ)とならず、国体が維持された。そのことを私は日本の為に有り難いと思わずにはいられない。」
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 敗戦後、アメリカ・GHQ、ユダヤ人、キリスト教会そしてソ連・日本人マルクス主義者は、大量の焚書処分を行って日本の歴史を悪意を持って捏造・改竄し、事実に基ずく本当の日本を歴史が消された。
 つまり、戦後に正史として広められた日本の歴史は「死んだ歴史」であり、日本民族封じ込めの反民族主義(反ナショナリズム)の偽史である。
 その証拠に、現代の日本人は民族主義ナショナリズムを蛇蝎の如き嫌う。
 彼らの最終目的は、天皇制度廃絶、天皇家・皇室消滅、国體破壊、国柄壊滅、つまり2000年以上続いた民族国家日本の解体であった。
 昭和天皇は、国内外の非難・批判や針造語に反論せず黙って受け、退位せず、日本の為に一人孤独に闘った。
 「昭和天皇は退位すべきだった」という日本人は、如何に名声がる偉人、賢人、常識人であっても歴史の真実は分からない。
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 昭和天皇は、民族中心神話・血の神話に基づく血筋・血統の正統な男系父系相続を守ろうとした。
 現代日本では、血の継承を消滅させる皇統だけの正当な女系母系天皇即位を求める声が多い。国民世論の70%以上が支持している。
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 現代の日本人は、昔の日本人に比べて事実に基づいた歴史が嫌いで、時代を考察する歴史力・伝統力・文化力そして宗教力が乏しい、そうした日本人はグローバル化した高学歴な知的エリートや進歩的インテリに多い。
 その証拠は、幕末・近代化の発端はペリー黒船艦隊来航であると信じて疑わない。
 彼らは、戦後民主主義世代である団塊の世代とその子供のである団塊ジュニアであり、平和至上原理主義的な戦争を知らない世代であった。
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 天才・石原完爾を持ち上げ、秀才・東条英機を貶める、現代日本の高学歴な知的エリート・進歩的インテリには歴史の事実は理解できない。
 敗戦で作られた「閉ざされた言語空間」は、現代においても日本を覆い尽くし、嘘偽りの歴史教育で高学歴な知的エリート・進歩的インテリを量産している。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者。左翼・左派・ネットサハ。反天皇反日的日本人。
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 国際軍事裁判といっても、ニュルンベルク裁判(主要犯罪人22人)と東京裁判(主要犯罪人25人)は違う。
 ナチス・ドイツの罪で処刑された12人は、人類に対する犯罪ゆえである。
 軍国日本の罪で処刑された7人は、人種差別・宗教差別・社会差別として、白人支配に逆らった懲罰(今後の見せしめ)ゆえであった。
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 明治日本は、近代化として軍国主義以外に選択肢はなく、日本の軍国主義を否定すれば日本の近代化は悪、犯罪行為となる。
 日本民族が怖れたのは、キリスト教による宗教・精神侵略と反宗教無神論マルクス主義共産主義イデオロギー侵略であった。
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 日本人共産主義テロリストやキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易と日本国キリスト教化計画。
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 日本人は極普通の有り触れた人間で取り立てて褒めるほどの秀でた優れた人間ではなく、善い事をする人間(2割)もいれば悪い事をする人間(3割)もいるが、5割近い人間は同調圧力・場の空気・空気圧で嘘や噂・風評に動揺して流されやすい。
 つまり、日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 現代日本を支配している同調圧力・場の空気・空気圧とは、現代の日本人が吐く呪いの言葉であり、それはあしき言霊による呪縛である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は昔の日本人とは違って自分の損を嫌い、口先で正論を訴えても実際に行動を起こさない為に、悪い事、戦争、戦争犯罪を行わないが、同時に、いい事、平和貢献、人道貢献もしない。
 つまり、自分の利益・金儲けの為に他人を貶めて助けない、それが現代日本人である。
   ・   ・   ・   
 日本人と中国人・朝鮮人は水と油の様に異なる。
 中国では歴代皇帝陵の破壊と盗掘を行い、秦檜や汪兆銘の墓を暴き辱め、儒教はその蛮行を正当化してきた。
   ・   ・   ・   
 アメリカ・イギリス・ソ連などの連合国(後の国連)には、戦時国際法を捻じ曲げ、国際法を改悪的に書き換え、国際正義を偽っても、軍国日本を犯罪国家として裁き、昭和天皇に汚名を着せ、東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯を処刑しなければならない、隠したい理由があった。
 現代日本歴史教育は、実際に存在しない連合国の正当性を強引に証明する為に改竄・歪曲・捏造されている。
 それが、戦後レジーム(ヤルタ極東密約体制・戦後体制・東京裁判体制・サンフランシスコ対日講和条約体制・国連体制=戦勝国連合体制)の醜悪な真の姿である。
 ポツダム宣言には、歴史的意味はない。
 日本の、護憲派人権派反戦平和団体、左翼・左派・ネットサハ、リベラル派・革新派、メディア・報道機関、反天皇反日的日本人、その他は、日本国内の戦後レジームを守護・維持・補強する為に、アメリカとソ連・国際共産主義勢力によって意図的に作られた。
 日本を自縛する象徴が、A級戦犯合祀による靖国神社問題である。
 が、右翼・右派・ネットウヨクと一部の保守派は無能である。
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 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯は、アメリカ・イギリスなどの連合国、バチカン、国際赤十字社ができなかった事、やらなかった事、拒絶した事などの世界の常識および国際法に反した、日本だけで通じる人道貢献や平和貢献を行っていた。
 その為に、戦前の近代国家日本=軍国日本は全世界を敵に回したのである。
 昭和天皇は、国家元首・総司令官・祭祀王として世界で唯一人、如何に戦争に勝つ為とはいえ原爆(核兵器)は人倫・道徳に反した非人道的大量無差別虐殺兵器であるとして開発中止を東条英機に厳命していた。
 昭和天皇は、文化人であり、宗教家であり、そして科学者であった。
 東条英機は、戦前に軍人として陸軍での原爆開発を許可し、戦時中に首相として原爆開発を中止させたが非軍事での原子力研究は黙認した。
 ヒトラーは、原爆開発を断念し、戦争勝利の為に通常兵器の量産を優先した。
 昭和天皇東条英機は、原爆開発中止を決断して世界核戦争を食い止め、玉砕とカミカゼ特攻による戦争勝利を目指した。
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 日本に伝えられた西洋民主主義は、明治では近代民主主義であり、敗戦後ではアメリカ民主主義(戦後民主主義)である。
 アメリカ民主主義教育を受けた敗戦直後小中学校世代と戦後生まれ世代が、戦後民主主義世代である。
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 現代日本が昔の日本とは違う日本に変わったのは、戦前の教養を持った日本人が引退し社会の一線から消え、戦後民主主義世代が社会の指導的地位に就き始めた1980年代後半からである。
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 ホロコースト戦争犯罪において、ドイツではドイツ国民とヒトラーナチス・ドイツは切り離されているが、日本では昭和天皇A級戦犯・日本軍部・日本国民・日本民族・日本人は一体とみなされている。
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 日本人は兵士として、戦場で、人を殺す戦争犯罪を行ったし、人を助ける人道貢献も行っていた。
 そして、日本人は凶悪な戦争犯罪者という、100年後1000年後まで、未来永劫、子々孫々まで、日本民族が一人でも生きている限り絶滅・死滅・消滅するまで消えず残る「負の烙印」を押された。
 その事を忘れないように、日本人極悪非道の凶悪犯罪者史観による戦後歴史教育が行われ、子供達はその洗脳教育を受け続けている。
 メディア・報道機関も、戦後歴史教育を増幅し強めている。
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 昭和天皇には、左翼・左派・ネットサハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者が声高に怒鳴るような戦争責任や戦争犯罪はない。
 よって、昭和天皇が退位する必要はなかった。
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 日本民族は、2000年以上継承してきた天皇中心の伝統宗教文化である国體をキリスト教マルクス主義共産主義)から守る為に、助けてくれる味方、援軍を送ってくれる同盟国・友好国も共に戦ってくれる友人・親友・戦友もなく、一ヵ国、一人で孤独に死闘を繰り返し、死体の山を築いていた。
 日本民族の歴史とは、国體護持の歴史である。
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 日本人は個性も主体性もなく、理不尽で横暴な権力者・実力者・支配者に反発・反抗せず愛想笑いを浮かべ媚び諂う賤しい根性を持っている。
 日本人にとって、権力者・実力者・支配者が日本人であってもアメリカ人はもちろん中国人・朝鮮人・ロシア人・ユダヤ人であろうと気にはしないし、占領国・宗主国アメリカであろうとソ連(ロシア)・中国・朝鮮であっても気にせず、抵抗も反攻もせず受け入れる。
 つまり、日本人には奴隷根性が染みついている。
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 日本人の盲信的お題目は、「平和の為に戦争反対」であった。
 そうした狂信的日本人が、左翼・左派・ネットサハ、反米派・反安保派・反米軍基地、護憲派人権派、反自衛隊派、反戦平和団体、反天皇反日的日本人である。
 その反動としての狂信者が、右翼・右派・ネットウヨクである。
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 アメリカ・イギリスなどの連合国、ソ連バチカン、国際赤十字社は、ヒトラーナチス・ドイツユダヤ人大虐殺というホロコースト情報を得ていたが、ユダヤ人による陰謀、嘘と決めつけて取り合わなかった。
 アメリカは、逃げてきたユダヤ人難民をドイツ軍占領下のヨーロッパに追い返し、絶滅収容所に送って見殺しにした。
 イギリスとユダヤシオニストは、イスラエルパレスチナに入港しようとするユダヤ人難民船を阻止し、中には轟沈して数多くの溺死者を出していた。
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 第二次世界大戦・太平洋戦争・大東亜戦争で日本帝国は甚大な犠牲者を出して惨敗したが、本当の敗北者は植民地を失ったイギリス・オランダ・フランスなどの西洋白人キリスト教諸国であった。
 そして、勝利者アメリカ、ソ連中国共産党などの共産主義勢力と植民地支配から独立したアジア諸国である。
 アジア諸国は、不利な独立戦争を戦って勝利した。
 韓国は、独立戦争を行わず平和的に独立した。
 北朝鮮は、戦前からソ連中国共産党の軍事援助を受けて絶望的ゲリラ戦を続け、戦後にソ連中国共産党の軍事支援で独立した。
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 東条英機は、忠臣として昭和天皇に科せられた戦争責任・戦争犯罪などの平和に対する罪を一身に引き受け、生き残る為に見苦しく責任を他人に転嫁せず、A級戦犯の汚名を甘受し凜としてリンチ的縛り首で処刑された。
 現代日本人で、誰もその潔さと覚悟において東條英機にはかなわない。
 特に、左翼・左派・ネットサハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者などの高学歴な知的エリートや進歩的インテリなどは足元にも及ばない。
 それは、右翼・右派・ネットウヨクも同様である。
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 アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フィリピン、カナダ、オーストラリア、オランダなど連合国(後の国連)は、敗戦国を断罪・解体・崩壊させる戦勝国の権利として、昭和天皇戦争犯罪者として裁き、軽くて退位追放、重くて死刑、そして天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の消滅による日本改造を求めた。
 実例が、ドイツ皇帝退位追放・ドイツ帝国解体による自由・民主主義制度のワイマール共和国樹立である。
 中国共産党政府や韓国・北朝鮮は、連合国に参加して日本軍と戦っていない以上、戦勝国ではなく、よって戦勝国の権利は今も昔もそして将来においてもない。
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