🎷87:─1─脆弱化した日本を立て直す為には「新・国家像」の構築が急務である。~No.364No.365No.366 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦後日本は、明治から続く人口爆発期で、若者が多く老人が少ない人生50年時代であり、地方・農村での余剰人口であった多くの若者は仕事を求めて都市・工場へ大移動した。
 明治元(1868)年頃は約3,000万人、昭和20(1945)年は約8,000万人、昭和55(1980)年頃は約1億3,000万人。
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 2022年5月19日号 週刊新潮「シリーズ『ポスト・コロナ』論
 顕在化した『社会の脆弱性
 日本に急務は『新・国家像』構築」
♦『COCOA』を覚えていますか
♦合理性追求で『見通しの良さ』=善?
♦『個人主義』『自由』『民主主義』戦後アイデンティティーの限界
♦キーワードは『尊厳』と『コモン・センス』
 インバウンドの〝結末〟と『数字いじり』
 川は経済のみにて生くるのもにあらず
 この2年あまり、日本社会は激しく動揺し、迷走を続けた。だが、その真因は新型ウイルスではない。30年以上にわたり、目先の利益を追い続けてきた我々自身の浅薄(せんぱく)さがもたらした必然的な混乱だったのだ。『ポスト・コロナ』時代に求められる新・国家像に迫る。
 矢崎彰容
 コロナ禍で顕在化したのは『日本社会の脆弱性』だ。では脆弱性とは、何か。
 端的に言えば、私たちは『見通しの良い社会』を作りすぎた。その〝負の現実〟が、新型ウイルスによって浮き彫りとなったということだ──。
 {こう分析するのは、近代日本思想史を専門とする日本大学危機管理学部の矢崎彰容教授だ。
 40代の気鋭の論客として知られる矢崎教授は、2011年当時、福島県いわき市にある私立大学に勤務していた『3・11』の被災者である。以来、国のあり方を問う論考を発表し続けてきた矢崎教授が、コロナ禍において、改めて明らかとなった。〝日本の病巣〟を斬新な視点で読み解く。}
 『見通しの良い社会』の話に入る前に、今の社会をどう見るかは。現代日本を診察しておきたいと思います。一言でいえば『短期的な成果』ばかりを求めてきたのが日本の社会です。
 『失われた30年』と言われるように、日本が全体として停滞した社会になっていることは、誰もが同意するところでしょう。良く言えば成熟社会、悪く言えば衰退社会です。もうバラ色の成長は叶わない。しかし1980年代以降も、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の成功体験からぬけ出せなかった。新自由主義経済、すなわちグローバル化を追いかけ続け、短期的な成果を目指した。
 象徴的だったのは民主党政権時代の『事業仕分け』です。これが極めて短期的な視点で、細かい数字をいじって成果があがったように見せるパフォーマンスに過ぎなかったことは改めて説明するまでもないでしょう。コロナ禍においても、短期的な成果を求めようとする姿勢は全く変わりませんでした。
 例えば、国策として導入されたCOCOA(新型コロナウイルス接触確認アプリ)。多額の税金を投入し、官僚たちが徹夜して必死に作りあげたこのアプリを、果たして今どれだけの人が利用しているか。『あー、そんなものがあったな』という感覚でしょう。付け焼刃で成果(らしきもの)を出そうとした典型的な事例です。
 なぜこのようなことが起こるのか。それは、成長が望めない閉塞した社会状況では、〝簡単〟に成果をあげることが〝賢く〟映るからです。
 インバウンドが格好の例です。インバウンドとは、日本社会を人体に喩(たと)えると、毛細血管(地方)の隅々にまで外国人観光客が落とすお金を回らせて儲けようとするシステムです。国がインバウンド推進という液体をポトッと垂らすことで、地方の至るとこまでその恩恵が薄く、広く、行き渡らせる単一的な社会構造を目指したわけです。一見、簡単で賢く、合理的に見えます。つまり、『見通しが良い』。
 しかし、コロナ禍によって外国人が入国できなくなってしまい、日本社会は、いわば『口を塞がれた』格好となった。結果、毛細血管に酸素は送り込まれず、日本全体が一気に窒息してしまいました。銀座には中国語と韓国語のアナウンスが響き渡っているのにどこにも中国人や韓国人観光客はいない。地方には外国人観光客用のホテルが林立しているのに、ホテルどころか周辺にも外国人観光客はひとりもいない。これが『見通しの良さ』がもたらした結果であり、私が社会全体をが脆弱化いた、と言うことの意味です。
 合理性を追求し過ぎたあまり、社会に少しでも〝菌〟が侵入してくると、それが全体に一気に広がって『全員共倒れ』となってしまう。社会のどこにも防波堤がないせいで、〝菌〟をブロックすることができない。地方にはその地方に合った経済の回し方や人間関係があるべきなのに、それを国の号令一下でなくしてしまったがために社会が弾力性を失った。
 国家権力は悪か
 そもそも、見通しの良さは『善』なのでしょうか。
 川が曲がっている。船で木材を運ぶには障害となるから川を真っ直ぐにしてしまおう──。これが、この数十年の間、〝賢い〟とされる人が進めてきた〝合理的改革〟です。
 しかし、川は運搬・物流のためだけに存在するのではありません。曲がりくねった淀みにフナが生息し、そこに子どもたちが集まって憩いの場となる。社会にはこうした余裕や凸凹(でこぼこ)が必要であるにも拘(かかわ)らず、川の価値の多様性を顧みずに運搬・物流、すなわち経済合理性の面だけから『見通しの良さ=善』という社会をつくってきてしまった。この傾向は、徹底した個人主義と競争社会を肯定し、規制緩和を推し進めた1980年代のレーガニズムの影響によって強まり、今なお日本は後生大事にそれを守り続けています。
 目先の利益、見通しの良さのみを追い求める姿勢を見直すためには、長期的な視野、すなわちしっかりとした国家観・国家像が必要不可欠です。混沌とした時代には、様々な処方箋が唱えられ、乱立する。しかしその多様な処方のうち、どれを優先し、取捨選択するのか、その決定の基準となるのは、結局、日本人の価値観・死生観すなわち国家像にしかないからです。
 では、新たな国家像はいかにあるべきなのでしょうか。
 戦後の日本は、アメリカ由来の個人主義と経済成長に加え、『自由と民主主義』を自らのアイデンティティーとしてきました。しかし、ウクライナ危機で明らかなように、『正義は我らにあり』と単純に自由と民主主義を叫んでおけば事は済むという時代は終わりました。何よりも、トランプのポピュリズムと、国民の分断を招いたバイデンのコロナ対策が奏功しなかった点を見れば、本家本元のアメリカで民主主義が揺らいでいることは明白です。
 また自由も同様に、戦後以来の捉え方はすでに耐用年数を迎えています。例えばコロナ禍が始まった頃、『ロックダウンすべきだ』という立場と、『国家が国民を縛るなかれ』という立場が対立しました。
 後者の主張の前提となっている国家権力=悪という図式が、戦後の基本的な国家をめぐる議論をつくってきた。しかしこの図式も耐用年数を超えています。むしろ今、有形、無形に私たちの言動を縛り、権力を振るっているのは、目先の利益と見通しの良さを是とするグローバルIT企業によるイメージ操作です。そのとき、世界規模で広がるイメージに、一定の規制をする国家こそ、情報の真偽を取捨する最後の防波堤になり、自由を保障してくれるのかもしれないのです。
 こうして国家からの逃走、組織からの逃走、『~からの自由』という発想を、コロナ禍以前までの日本人は肯定してきました。良い例は『フリーランス』の礼賛です。企業や組織から離脱した彼らは自由な存在であり、その自由から創造的な発想が生まれてくると考えた。こうした発想の根底にあるのも、最初に述べた合理的で『見通しの良い社会』観です。組織に所属するとは、いろいろなしがらみがあるということ。こうしたもの『から自由』になり、自分の発想が即座に形になる方が、短期的に成果がでる。つまり合理的に考えると正しいし、見通しが良くなるわけです。
 1980年代には『フリーター』という言葉が時代を席捲し、肯定されました。しかしその後、バブル崩壊とともに、フリーターは『非正規雇用』と呼ばれるようになった。『フリーランス』も『フリーター』も『非正規雇用者』です。彼らの自由とは、組織によって守ってもらえない不自由であり、安定した人間関係を構築しづらい不自由でもあるのです。
 ポスト戦後
 なぜ、『フリーター』なり『フリーランス』が、自由な存在として強調されてきたのでしょうか。それは、自由と民主主義同様、戦後の日本では個人主義が絶対善として位置づけられてきたからです。そこには、人間は生きている時代と場所に制約されざるを得ず、絶対的な自由などないという当たり前の認識が決定的に欠けていました。その結果、『~からの自由』を絶叫して、どことも繋がっていない不安定な人たちが多く生み出され、畢竟(ひっきょう)、社会全体が不安定化したのです。
 コロナ禍で顕在化したのは、こうした人たちが雪崩を打って失職した姿ではないですか。耐性の弱い体づくりを、日本はしてきた。そして危機に陥ると、彼らは『国家』に縋(すが)りついてきた。今まで見向きもせず、権力批判ばかりしてきた、当の国家に対し、『やはり保障せよ!』と迫る人たちもいた。
 しかし、高度成長時代でもバブル時代でもない現代は、国や組織に不平不満をもらし、批判していれば事足りる状況ではありません。なにしろ、コロナ禍のひとり親家庭に代表されるように、国家や組織の保障を必要とする人たちが多数いる時代なのです。組織やなにがしかの共同体に属してこそ安定し、得られる『自由』があります。〝逃走〟とは正反対にひとりの立場・環境を〝求め〟、あるいはそこに与することで得られる、いわば『~への自由』について真剣に考える時代に突入しているのではないでしょうか。『~からの自由』を希求し、しがらみのない立場だからこそ創造的な発想ができるのではない。現代においては、『~への自由』という精神的な安定があってこそ、それを基盤とした個性が花開き、新鮮な発想が生まれるのではないかと思うのです。
 こうして見てくると、個人主義、経済成長、自由、民主主義、あらゆる意味において日本の戦後アイデンティティーが賞味期限切れであることは明白に思えます。したがって、新たなアイデンティティー、すなわち国家観・国家像が求められるわけです。
 戦後77年、私たち日本人は極めて特殊で、例外的な時代を生きてきました。より正確に言えば、2011年までの戦後66年と言えるかもしれません。この間、つまり『3・11』が起きるまで、私たちは日本の存立が脅かされるような事態に遭遇することがありませんでした。平時が続いていたわけです。ところがこの平時は、近代史的に見れば実は異常時なのです。
 年表を振り返ってみます。1914年に第一次世界大戦が勃発し、終戦の年である18年からスペイン風邪が大流行して、23年には関東大震災、29年には世界大恐慌、37年には盧溝橋事件・・・。だいたい3年から5年の間に1回は、国を揺さぶる事態が起きている。つまり、戦後66年間の平和は極めて例外的なものだったに過ぎないのです。
 その例外的な平和時代は過ぎ去り、『3・11』が起き、新型コロナウイルスが襲い掛かってきて、日本も今後はかつての状態、つまり3年から5年のうちに一度は存立の危機に晒されるという『異常事態』が起きることが『通常状態』であるという時代に戻るかもしれない。戦後66年の『例外的平時』は終わり、起きてほしくはありませんが首都直下地震なのか、中国の侵攻なのか、株価大暴落なのか、命の危険を感じるような事態が断続的に起こり得る時代を私たちは今迎えている。すなわち、『3・11』が戦後の終わりを告げ、コロナ禍もその一環にある、私はそう捉えています。そう考えると、戦後アイデンティティーに代わるものが求められていることの喫緊性が理解できると思います。
 住宅ローンにおける価値観
 そして私は、『尊厳とコモン・センス』こそが、令和の国づくりの基礎であるべきだと考えます。
 この場合の尊厳とは、個人主義に基づいた『私を尊重せよ!』という類いのものではありません。そうではなく、先に述べた不自由化とは対照的な、他者から役割を与えられ、承認されることによってもたらされる心の安寧を意味します。
 コロナ禍では、肉親の死に際しても最期に立ち会うことができず、亡骸(なきがら)に触れることさえ許されないケースがありました。そして、専用の袋に入れられて火葬される。私たちはこれを酷いと感じます。なぜか。それは何よりも人間の尊厳を持った生き物だからです。
 そして、経済合理性を価値基準とする戦後アイデンティティーでは尊厳は得られません。なぜなら、自由と民主主義に加え、個人主義と経済成長を〝教義〟としてきた戦後アイデンティティーは、端的に言えば『カネ』を全ての価値基準にしているからです。
 学生時代の友人である銀行マンにこう言われたことがあります。
 『先崎くん、月額6万円で35年の住宅ロ-ンを組むなら、15万円で20年にしたほうがいい。その分、利払いが減るからさ。実質的に100万円得るぞ。月額6万円は損しかしない。ナンセンスだ』
 私はこう答えました。
 『それは一つの価値観に過ぎない。100万円損するかもしれないけど、低額をゆっくり返していったほうが、精神の安定を買うことができる。カネよりも心の安定が大事なこともある』と。
 カネの損得は『絶対的な価値観』ではない。『ひとつの価値観』に過ぎないのです。カネに照らして全てを考えようとする姿勢を改めるべきなのです。その上で、先の意味での尊厳を軸に置かない限り、『効率的であることが絶対』であり『目先の成果』『損得勘定』を追う事態が続くことになるでしょう。
 そして、もうひとつ重要なのが『コモン・センス』です。これは共通感覚・常識とも訳されますが、どの地域や国にも歴史を湛(たた)えた生活スタイルや死者の葬送(そうそう)の行き方があり、それを支えているのは『時間』です。さまざまな時の試練を乗り越えてきた先人たちの叡智がそこには集積しています。この時間、歴史の集積であるコモン・センスを無視して、刹那的な有用性、合理性、効率性を追い求めてきた果てに、私たちが現在に 辿り着いたことはこれまで見てきた通りです。
 『尊厳』と『コモン・センス』。いずれも抽象的な概念に過ぎません。しかし抽象論を語らずして、個別具体案件の優先順位を決めることはできません。したがって、国家像・国家観を持たなければ、私たちの社会はまたCOCOAのような付け焼刃の対応を繰り返すことになるでしょう。
 もはや、戦後アイデンティティーとかつての成功体験を引きずったままの、効率性一本槍の社会は限界に達しています。折しも、コロナ禍に続いてウクライナで戦争が勃発しました。この不確実な時代を、新たな国家像の構築なくして生き抜いていくのは困難であることは論を俟(ま)たないように思えるのです。」
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 敗戦後の焦土と化した日本、生きる目的と意欲を失い不安と焦燥でその日を生きていた日本人に、夢と希望を与える様な「りんごの唄」と「青い山脈」などの明るい唄が世の中に流れ、古い日本を捨て新しい日本を作ろうという気分・気持ち・気力を日本国と日本人に与えた。
 現代日本の世間に流れているのは、人々の心を魅了し無気力・無感動へと引きずり込み、未来・将来への夢や希望を奪い打ち砕く「オヤジ=オス及びオバン=メス」が吹くハーメルンの笛や滅びの笛の甘い音色である。
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 現代の日本は、阪神淡路大震災東日本大震災の惨状を起爆剤として変わる絶好の機会が訪れたが潰され逆に衰退を深化させたが、次の国外からの新型コロナウイルスウクライナ戦争、円安などの現実と国内での南海トラフ地震・首都直下地震などへの恐怖から否応なしに変化を迫られる事になれているが、それでも変化を拒絶するリベラル派・革新派・一部の保守派からなる抵抗勢力は根強い。
 抵抗勢力ハーメルンの笛や滅びの笛を吹き、1980年代頃から戦後民主主義教育で洗脳された歴史と現実を見なくなった日本人はその甘い音色に魅了され狂喜し乱舞して、世界に適応できない古い日本に固執し、時代の要請である新しい日本を作る若者達の動きを非常識として全て潰した。
 少子高齢化による人口激減、コロナ禍、ウクライナ戦争、円安による食糧価格高騰に見舞われた日本は、未来・将来に向けての夢と希望を与える様なりんごの唄や青い山脈などの明るい唄がない。
 戦後民主主義教育を受けた大人達は、貧困に喘ぐ若者達、少年少女、子や孫に、未来・将来への明るい夢や希望を語らない。
 つまり、現代日本人とは「歌を忘れたカナリア」である。
 日本民族とは、天皇神話、日本書紀古事記万葉集の昔から歌を愛し歌を詠む歌心を持った心豊かな人びとの事であった。
 日本民族日本人とは、皇室の祖先神である女神・天照大神が天の岩戸に隠れて世の中が暗黒に包まれても、八百万の神々の働き信じ、神々の御利益に命を預け、岩戸の前に皆が集まり、焚き火をたき、不安・不平・不満など心の弱さを捨て去り生きている事のみを喜び、何もかも忘れ、憂さを晴らす様に酒を飲み笑い泣きそして唄い踊る人々の事である。それが神国神話における天の岩屋物語である。
 その意味で、昔の日本人と現代の日本人は別人の様な日本人である。
 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない。
 そして、当然の事ながら現代の日本には歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 現代の日本人は、自分が自力で道を切り開いて前に進もうという意欲や気力を捨て、ただただ、ひたすら、他人がどうかしてくれる事を待つ愚かな他力本願に陥っている。
 が、現代の日本人は宗教心がない為に、本当の、真の「他力本願」を知らない、と言うよりは理解できない。
 現代の日本人が信じている他力本願をたとえれば、確実に死ぬであろう大津波が迫っているのに、走って逃げるのは疲れる、辛い、しんどい、面倒くさい、だから逃げず助けが来るのを待つという「依存の他力」、つまり大津波が一瞬に消滅して助かるという「他力の奇蹟」である。
 それは、奇蹟・恩寵・恵を売り物に押し売りする一神教的な「さもしい他力」である。
 現代の日本人は、何ら御利益のないまがい物の「貴方任せの他力」に身も命も委ねている。
 そこには、命を失うというリアルは存在しない。
 昔の日本人は「てんてんこ」で生きていた。
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 新型コロナウイルスの感染爆発は、日本の真の姿を暴き出し、先進国ではなく途上国並みであり、一流国ではなく三流国並並であること、そして現代の日本人が昔の日本人とは全然違う別人の様な日本人である事をさらけ出した。
 現代の日本には武士道は存在しないし、現代の日本人は武士・百姓ではないし武士・百姓の子孫でもない。
 現代日本には、昔ながらの活き活きとした伝統文化は生きてはいない。
 現代の日本と昔の日本との断絶はどこにあるかと言えば、それは戦後民主主義教育が日本全国隅々まで浸透した1980年代後半(昭和60年代)である。
 それは、戦前・戦中そして敗戦復興の日本人が世界の一流を目指して命を削って積み上げた遺産を、「売り家と唐様で描く3代目」を地で行く様に苦労知らずのどら息子と言うべき戦後世代(団塊の世代団塊ジュニア)がバブル経済で食い潰した事で始まった。
 日本人が悪いと言っても、それは1980年代までの日本民族ではなく、1980年代以降の日本国民である。
 その象徴が、若く優秀・有能な政治家が多かった民主党政権時代における、事業仕分け「何故、一番でなければいかにのか、二番手・三番手でもいいじゃないのか」、オンリーワン信仰によるナンバーワン拒絶、経済成長無用論である。
 一言で言えば「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の煽て言葉である。
 日本の衰退を回復不能な状況の袋小路の奥まで追い込んでいったのは、リベラルを広めた左派的な政治家・官僚・企業家、メディア報道関係者と学者・教育関係者であった。
 実の所、時代の流行を生み出したエコノミスト、アナリスト、アドバイザー、専門家らは、今が分かっても、過去・昔が理解できず、未来・将来など見通せなかった。
 子供達から夢や希望を潰し奪うのは、少子高齢化による人口激減、人生100年時代で老人が多く若者が少ない多死少生の社会である。
 バブル経済までのビジネス・モデルや成功モデルは、全て人生50年時代の若者が多く老人が少ない人口爆発期にある。
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