☂03:─2─日教組と日本共産党は団塊世代に反戦平和、反米親ソ、反天皇反民族を教えた。~No.9No.10 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 令和5年1月号 正論「産経新聞の軌跡 昭和20年代編  河村直哉
 日教組、基地、総評うごめく左派との戦い
 昭和20年代の終わり、日本では左傾したさまざまな社会問題が噴出する。日本教職員組合日教組)の偏向教育や、米軍基地・施設をめぐる反米闘争がそれである。労働組織、日本労働組合総評議会(総評)が仕掛けるスト攻勢も激化した。総評は労働運動を超えて政治問題にも関与を深めた。
 過去の連載で見てきたように、戦後日本では戦争を行った日本を否定する力と、旧来的な国家を否定する共産思想が共振するようにして広がった。偏向教育や反米闘争もこうした左傾思潮の現れである。産経はあちこちに現れた左傾と戦っていくことになる。
 『反米親ソ』教育
 28年6月5日の産経に『〝反米親ソ〟と非難 岩国 教組発行の児童日記』との見出しの記事がある。山口県教組が編集した小中学生の日記の、欄外時事解説記事について報じたもの。記事が反米、親ソに偏っているとして、同県岩国市教委が調査に乗り出したとの内容である。市教委の調査では、欄外記事には戦争反対、再軍備反対が11件、反米思想が7件あったという。
 日教組編『日教組30年史』が挙げられている『再軍備と戸締まり』という例では、こうある。『ソ連を泥棒にたとえ、戸じまりは再軍備と同じだという人がいます。〔略〕とられは品物は何にかとみると、それが日本の軍事基地だったのです。一体どちらが本当の本当の泥棒かわからなくなってしまいますね』。再軍備否定に子供を誘導し、基地を置くアメリカを泥棒扱いしてる。露骨に反米親ソである。
 あるいは、時事通信なっで活動した塚原嘉平治の『日教組』(昭和34年)という本が伝える『気の毒な朝鮮』というタイトルの欄外記事。引用文中、(北朝鮮)の補足は原文のまま。『人民は働く者の国(北朝鮮)がよいと考えていたのですが、南鮮の李承晩(引用者・韓国初代大統領)はこれに反対し、アメリカの助けをうけて何度も北鮮を攻めましたが、いつもうち破られました。1950年6月25日、北鮮は攻めてきた南鮮を追って、南鮮深く攻めこみました』。朝鮮戦争北朝鮮侵略戦争だが、この文章は北を正当化している。また、ソ連社会主義について述べた『ソ連とはどんな国か』という記事。『「社会主義」というのは労働者と農民の幸福を第一とする主義なのです。工場を持っている資本家が安い金で労働者を使って、自分のふところを肥したり、米の値段を安くして農民を苦しめたりしている「資本主義」とは反対です』
 これも露骨に親ソである。そんな教材が県教組によって作られ、配られていた。当然、子供もそのような見方に染められただろう。塚原は同書で、山口県内のある小学校を28年に卒業した児童の作文についての調査を紹介している。男子26人中14点、女子23人中18点が親ソ平和論、ソ連礼賛などを書いていたとのことである。また塚原によると日教組が28年に全国から募った作文集は『いたるところに自衛隊反対、共産党讃美のことばがみられ』た、という。
 政治的偏向
 日教組は22年6月8日に結成された。26年には、『「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを高く掲げて中央委員会を開き、全面講和、中立堅持、軍事基地提供反対、再軍備反対の平和4原則の立場を鮮明にした』(『日教組30年史』)。これは社会党の平和4原則と同じである。しかしここでは政党とのかかわりを問うより、日教組がこの段階で左傾していたことを見ておけばよいだろう。過去の連載で述べてきたように、これに類する容共的な主張は政党に限らず知識人や朝日新聞によってもなされてきた。
 日教組の偏向は山口県の日記問題が表面化する前から指摘されていた。27年8月には『教員組合が一党一派を支持しあるいは反対するなどの政治活動を行うのは適当でない』と文部次官が勧告している(同年8月21日産経)。産経は28年1月25日の社説『教育研究大会に望む』で、『階級的基盤の上に立った教育』という表現を使って日教組の偏向を警戒した。共産思想の階級闘争史観に基づいた教育、ということだ。私の推測を交えて読んだ文字は()でくくる。
 『階級的基盤の上に立った教育が青少年の上に押付けられることは、到底黙過することは出来ない。〔略〕〝教育の政治的中立〟という大原則が根底から覆されているからである』『教職員の教育に対する〔態〕度を、一つの片寄った方向に引ずって行くために日教組の組織が利用されるということになると問題は極めて重大である』
 日記問題は重視され、文部省は28年7月8日、都道府県教委に次官通達を出した・山口の日記のように特定の立場に偏した内容を持つ教材、資料があるから、取捨選択に注意すること──など(同年7月9日産経)。28年8月28にち産経社説『社会科問題の新展開』は、社会科教育の改訂に関連して山口県の日記について述べた。
 『日教組の活動の政治的偏向はこの問題(筆者注・社会科改訂問題)と密接な関係をもっている。いままでの社会科の(課)程は日教組の表現をかりれば、わが国を「アメリカの(傭)兵となり死の商人のいけにえとなる」ことから守るための教育闘争の格好(かっこう)な場であったそうだ。例の山口県の「平和日記」問題、青森県でも同じ問題が持ち上がっているが、これらは「生活の現実を見つめる教育」として、巧みに社会科教育の上に持ち込んだ日教組の戦術である』『教育の場を通して講和、安保条約或(あるい)は基地問題反対など具体的な政治問題を批判することは、民主政治否定の思想を教えこむのも同然である』
 『民主政治否定の思想』とは、独裁を認める共産思想のことだ。まっとうな批判である。社説はまた『〝教育の中立性〟はいまや累卵の危うきにあるといっても過言ではない』と憂慮した。日記問題を報じた先の28年6月5日産経記事には、日記に関する山口県教組文化局長の談話が添えられている。言い分はこうだ。『子供を戦争にやらないという平和教育の立場からやったもので、決して誤りではないと思っている。中ソ認識の正しい教育こそ教育の中立性を保持するものだ』。ソ連、中国について教えることが教育の中立性を保つ、といっている。中立にこじつけた左偏向以外の何物でもない。しかしこのような『教育』が戦後、行われてきたのだった。
 中学に赤旗、ピケ
 29年には京都市立旭丘中学を舞台に世間を揺るがせる騒動が起こる。同校の偏向した『教育』が問題となり、京都市教育委員会が3教員の異動を内示した。3教員は異動を拒否、市教委は懲戒免職処分とすることにした。これに反対するほかの教員や生徒、保護者が校長に辞職を迫る事態となった。教員たちは旭丘中で自主管理授業を行い、市教委は離れた建物で補習授業を開いた。学校が分裂する事態となったのである。
 産経はそのつどニュースを報じている。29年5月8日紙面は生徒や教員、労働者らが『辞表を書け』と校長をつるし上げたことを伝えた。校長はいったん辞表を書かされた。『この日校門には京教組、総評などの赤旗がひるがえり、朝から生徒会行動隊、京教組行動隊員が校舎の周囲に厳重なピケを張り、私服警官の侵入を警戒』していた、と記事で伝える。ピケとは労働争議で配置される見張りのこと。争議の手法が中学に持ち込まれているわけである。
 ……。
 記事はまた『アクチブ』すなわち活動家の育成についても言及している。めぼしい生徒に社会運動家の本を貸す。脈があれば教員の家に出入りさせるなどし、共産党の外郭団体に加入させるという。『こうして育てられたアクチブが生徒会やホームルームを牛耳る結果になっていた』と記事は述べている。市教委の授業に向かう生徒が乗ったバスに『戦争に近づくバスが走る』と叫んだ生徒会委員もいたという。偏った『教育』が行われていたと考えるべきである。
 知識人の支持
 前掲『旭丘に光あれ』は、タイトルからわかるように教組側、活動家側に立った本である。旭丘中問題を調査した教育者の文章が収録されている。……。
 ……。
 旭丘中の『教育』を持ち上げる風潮が、知識界にはあったということだ。勝田や五十嵐も東大教育学部で教え、日教組の指導グループである講師団のメンバーも務めた人物だった。
 『憑きもの』
 京都大・関西大名誉教授、竹内洋の『革新幻想の戦後史』は戦後日本の知識界の左傾を追っている。旭丘中問題にも一章を割いた。そこで挙げられた29年6月の『公安調査月報』によると、最初に異動を拒んだ3人を含め旭丘中の教員のうち8人が共産党員、6人が同調者とのこと。同中の教員は四十数人だから、相当な比率である。共産党は京教組の闘争に全面的支持を行っていたと同書はいう。
 ……。
 共産思想と対決してきた産経は当然ながら旭丘中の事態を批判した。29年5月11日の社説『旭中問題、教委との団交に進め』は教組側を強く非難した。『生徒をそれが如何に自主的なものであるとしても、赤旗をかかげ、ピケをはり、生徒も混えて校長に辞表を書かせる、インターナショナルを生徒会で歌うといったことが、〔略〕一般の世間や父兄の現在の感情や常識ではどう考えるだろうか。平和教育に共感するものら、これでは反ぱつを覚えるであろう』。同月13日の一面コラム『点心』(現在の『産経抄』)も、異様さを指摘した。……。
 だが教育の偏向はその後も進行した。露骨な共産寄りの教育でなくても、いわゆる自虐教育として現代もなお尾を引いているものである。自国を否定する左傾した力が戦後日本ではあまりにも強く働きすぎた。日教組の活動は昭和30年代、さらに戦闘的となる。
 内灘闘争
 別の左傾した動きも昭和20年代の終わりから顕著になる。米軍の基地や施設をめぐる反対運動である。
 ……。
 『反米のための反対』
 ……。
 基地と清水幾太郎
 大阪の大学教授や学生が内灘闘争の応援に行く動きがあったことは先述した。……。
 ……。旭丘中問題と同様、基地問題にも知識人の肩入れがあったのである。
 総評の左傾
 ……。
 『日共の総評溶けこみ』
 ……。
 共産思想の影響
 ……。
 連動する左傾勢力
 このように大きく左傾した力が、戦後日本には働いていた。しかもその力は教育界、知識界、基地問題、労働界で連動していた。日教組は総評の準備大会から参加していたから連動するのは当然ともいえる……。
 ……。
 日教組は総評の統一闘争デーに合わせて『教育防衛大会』を各地で開いた。……。
 『熱病的な情熱』
 内灘闘争でも総評、日教組、知識人、左派政党が連動していた。……。
  ……。
 こうした潮流は基地に限ったものではなかった。これまで見てきたように左傾した大きな思想潮流が、各分野を横断して20年代の日本をすでに覆っていた。時局便乗的なものや気分的なものも含みながら、左傾思潮はその後も日本を覆い続けた。1960年安保闘争で『安保反対』が、あるいは平成27年の安保関連法制で『戦争法案反対』が、多分に囃子(はやし)言葉として使われたように、である。
 山口県の日記や旭丘中の容共教育は、共産思想が退潮したいまとなってはいびつとしか見えまい。しかし戦後日本を動かしてきた左傾の残滓(ざんし)は現在もなお残っている。安保関連法の反対騒ぎしかり、憲法擁護のお題目もしかり。傾いた日本をまっすぐに戻すには、なぜそうなったのか、歴史を見る必要がある。
 労働者の祭典の日、29年5月1日の産経社説『平和のメーデーたれ』は、『闘争のメーデー』をスローガンに掲げた総評の闘争方針を警戒した。『MSA受入れ反対』『再軍備反対』『教育悪法反対』など、『歯切れのよい、そして威勢のいいスローガンは、必ずやデモ参加の群衆に対して、心理的に理屈なしで、しかも力強くアッピールするであろう』。さらに社説は群集心理に言及する
 『行動は連鎖的ないわゆる群集心理によって没我的に動かされ、その時々の雰囲気によって醸(かも)し出される熱病的な情熱によって支配され勝ちなものである』
 社説はデモに参加する群衆について述べたものである。しかしこの、時々の雰囲気によって作られた『熱病的な情熱』は、その後も長く戦後日本を縛ってきたものだと私はみなしている。」
   ・   ・   ・   
 天皇・皇室の、宮中祭祀の源流は数万年前の旧石器時代縄文時代であり、天皇制度は数千年前の弥生時代古墳時代に遡る。
   ・   ・   ・   
🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
 お天道様とは、皇室の祖先神である女性神天照大神の事である。
   ・   ・   ・   
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であり、ロシア人とは一切の関係もない。
  ・  ・  
 日本民族は、旧石器人(南方東南アジア系ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)、弥生人(南方揚子江系渡来人)、古墳人(北方満州帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
  ・  ・  
 トライイット
 ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
 中学歴史
 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
   ・   ・   ・   
 江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
   ・   ・   ・   
 現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
 武士道は、明治時代の近代化によって、外敵の侵略から天皇・国・民族、宗教・文化を守る為に民族主義愛国心の中から生まれた。
   ・   ・   ・   
 昔の日本人が最も恐れたのは、中世キリスト教の宗教侵略による日本人奴隷交易と共産主義イデオロギー侵略による天皇制度廃絶であった。
   ・   ・   ・   
 日本人共産主義者は、教育とメディアに潜り込み、最高学府の大学を支配下に組み込み、将来日本を背負って動かす優秀な学生を洗脳していた。そうした洗脳教育を受けた優秀な学生が、後のリベラル派・革新派そして一部の保守派となった。
 敵に公費で、反宗教無神論・反天皇反民族反日本人を育てさせる「托卵」戦術であった。
 現代日本人の無宗教発言は、この時から始まっている。
 彼らに猛反対したのが、国内第3勢力というべき中小零細農民(百姓)、賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他の天皇信奉者・民族主義者・愛国主義者であった。
 現代の同和利権活動家と昔の部落解放活動家とでは、その本質、思想信条からして全然違う。
 日本で搾取され虐げられる貧困の下層階級や低学歴の労働者階級によるマルキシズム人民革命が起きないのは、この為である。
 つまり、明治期まで日本には庶民はいても人民、大衆、民衆は存在しなかった。
 歴史的事実として、労働争議や農業争議などが急増したのは大正期からであり、明治期と大正期では労働運動の意味が違っていた。
    ・   ・   ・   
 共産主義は、結果往来として、結果的に成功すればその途中で息を吐くように嘘をつき人を騙す。
   ・   ・   ・   
 共産主義の5%支配理論。
 ボルシェビキとは、人民の多数派ではなく少数派であった。
   ・   ・   ・   
 有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校イデオロギー支配できる。
   ・   ・   ・   
 日本人の共産主義者無政府主義者キリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
   ・   ・   ・   
 戦前・戦中、国内外で反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズム日本人の多くが巧みに潜伏して、ソ連中国共産党の支援を得て人民革命の機会をうかがっていた。
 それを食い止めていたのが、戦後に公職追放された天皇信奉者・民族主義者・愛国主義者達であった。
 が、現代日本を陰で動かし国民世論を誘導しているのが、マイノリティ・ファシズムエコ・テロリストなどの隠れリベラル左派全体主義勢力である。
 リベラル左派全体主義者には、民族的な歴史力・伝統力・文化力そして宗教力・言語力はない。
 それは、第二次安倍政権以前の歴史教育を見れば一目瞭然である。
   ・   ・   ・   
 戦後日本の超エリート層である高学歴の政治的エリートと進歩的インテリは、マルクス主義戦後民主主義教育を優秀な成績で卒業した学生達であった。
 彼らは卒業し学閥を利用して社会に出て、リベラル派・革新派そして一部の保守派となって政治家、官僚、学者・教育者、法律家・弁護士、経営者・企業家=資本家、メディア業界人、宗教家・聖職者、労働者=市民活動家として社会や組織の重要な地位に就き、左派イデオロギーを信奉する者の数が一定数以上を超えて日本を動かし始めたのが1980年代頃からである。
 その証拠が、日本を支配する改竄された歴史教育による偏狭した歴史認識である。
 つまり、彼らはレッドパージを免れた2流活動家の申し子であった。
 そして、彼らが60年安保、70年安保を主導し、闘争に敗北してより過激な赤色事件や左傾テロ事件を繰り広げた。
 彼らはリベラル左派全体主義者として、その流れは現代日本でも存在し、日本を大改造する為に、科学・平等・自由のマルキシズム価値観で反天皇・反民族・反社会・反家族・反宗教・反文化・反伝統・反歴史のマイノリティ・ファシズムエコ・テロリズム、神殺し・仏殺しなどを行っている。
 それを食い止め正そうとしたのが、暗殺された安倍晋三元総理であった。
 それゆえに、教育者とメディア関係者は急進的「アベガー」勢力として故安倍晋三元総理を口汚く批判・非難した。
 アベガー勢力の、多数が左傾偏向教育を真面目に受けてきた優秀なシニア世代で、若者世代は少数であった。
 マルキシズム教育者は、生徒を洗脳してイデオロギー・思想信条を同じくする同志に育て、自分の学識・技能・技術を超える優秀な学生の才能を「出る杭は打たれる」式的に潰した。
 自分より優秀な人間を育てない、と言う事である。
 その証拠に、日本人が優秀な日本を自画自讃するのに比べて、2000年以降の現実として日本の大学と学生の世界的レベルの低下が止まらない。
 2020年代においても、リベラル派や左派が行っている学校教育とメディア報道による子供の誘導や学生の洗脳が続いている。
 その最たる証拠が、東京裁判史観に基づく靖国神社昭和天皇戦争犯罪・戦争責任である。
 その痕跡が、数多くの地方議会で採択された「平和都市宣言」「非武装都市宣言」などである。
 リベラル派・左派が目指す理想像は、国民国家であって民族国家ではない。
 日本を非民族国家に作り替える為に、「心ならずも」保守派を標榜し、民族性を潰している。
 つまり、保守派を自称しても信じられない、信用できないと言う事である。
   ・   ・   ・   
 戦前までの日本民族日本人は、歴史常識としてイデオロギー侵略の共産主義と宗教侵略のキリスト教を知っていただけにそうした外国勢力を嫌っていた。
何故か、それは日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストが昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていたという、正しい歴史的事実を知っていたからである。
 現代日本の左派系歴史教育とリベラル系メディア報道は、正当史観に基づく歴史的事実を意図的に消し去っている。
   ・   ・   ・   
 日本国は、皇室を護る不敬罪・大逆罪や国家を守る治安維持法で、大正時代から戦前・戦中にかけて日本の中に潜んで暗躍している反宗教無神論・反天皇反民族反日的な共産主義者を取り締まり、イデオロギー弾圧を行っていた。
 GHQは、皇室を護る不敬罪・大逆罪や国家を守る治安維持法を廃止し、天皇制度を廃止し皇室を消滅させるべく公職追放の対象者である数十万人の国家主義者・軍国主義者の中に天皇信奉者・民族主義者・愛国主義者を含めるように命じ、その穴埋めに国内外で潜伏していた反宗教無神論・反天皇反民族反日マルクス主義者や共産主義者を公職に就け権力を与えた。
 GHQの対日占領政策を法律としてまとめたのが日本国憲法であり、将来において皇室を消滅させる為に法律化されたのが「民族神話の消滅」「華族制廃止=皇室の藩屏廃止」「皇籍剥奪=皇族追放」「新制皇室典範」「皇室財産没収=皇室経済法」などであった。
 護憲派の真の目的はそこにある。
 敗戦利得者とは、マルクス主義者や共産主義者の事であり、その継承者が現代日本の超エリート層と言われる高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達である。
 朝鮮戦争前後にレッドパージされたのは、日本共産党の一部とその同調者だけであり、左派系敗戦利得者はリベラル系敗戦利得者の中に潜り込んで今日に至っている。
 その正体が、中国共産党に忖度する親中派媚中派や親韓国派・親北朝鮮派であり、その一部が保守派にも存在する。
   ・   ・   ・   
 リベラル左派全体主義者とは、日本の国益を毀損し国民の安全を脅かす親中派媚中派、反米派・反安保派・在日米軍基地反対派、護憲派・反自衛隊派、反宗教無神論・反天皇反民族反日的日本人達、その他である。
 彼らの主職業が、学者・教育者、メディア業界人とメディアで活動する教養人・知識人・専門家などである。
   ・   ・   ・   
 ソ連コミンテルンは、昭和7(1932)年に日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
   ・   ・   ・   
 旧陸軍大将・今村均氏は、中国共産党が60年安保で荒れる日本の日教組日本共産党、反天皇反民族反日的日本人らに対して日本転覆のカギは「皇室と神社とより隔離」にあるとの指令を出した事を公表した。
 「中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日『われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う』というような指令を打電した」(『修親』昭和41年1月号)。
   ・   ・   ・   
 戦後日本を混乱させていた左派系イデオロギー闘争は、大正時代から高学歴な政治的エリートや進歩的インテリの間に浸透していた反宗教無神論マルクス主義共産主義が原因であった。
 反天皇反民族反日的日本人達は、ソ連コミンテルンからの指示を受け、中国共産党からの協力・支援を得、国際的共産主義勢力と連携して人民革命を起こして天皇制度を廃絶し皇室を根絶やしにするべく策動していた。
 彼等にとって、数万年前からの民族的な歴史・文化・伝統・宗教・神話には興味がなくむしろ唾棄すべき「諸悪の根源」に過ぎなかった。
 それ故に、彼らは宗教を滅ぼすべき諸悪の根源として社会、政治、教育など表舞台から排除する政教分離、教教分離を主張している。
 彼等のイデオロギーDNAは、教育と報道で、現代日本の闇に、現代日本人の心に刻み込まれている。
 その象徴が、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%近くが、歴史ある正統性の男系父系天皇制から歴史なき正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
   ・   ・   ・   
 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は、歴史は浅く、実績や功績そして貢献がない、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
 極左組織フランクフルト学派の哲学者達は、1930年代後半にアメリカに亡命した。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25 
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
   ・   ・   ・