🎹10:─4・B─世界恐慌で拡大する格差 日本はテロと戦争の時代へ。昭和5(1930)年。〜No.41 ⑦

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年5月3日 YAHOO!JAPANニュース Wedge(ウェッジ)「世界恐慌で拡大する格差 日本はテロと戦争の時代へ
 初公判を受ける血盟団事件の実行犯。井上準之助前蔵相と三井財閥団琢磨総帥が暗殺された(AP/aflo) 
 日本が戦争へ突き進んでいった道筋は、政治や軍事だけでは語れない。世界恐慌に伴う不況、ブロック経済、都市と地方の格差、高まる社会不安と繰り返されるテロ……当時の経済の動きを振り返れば、なぜ日本人が戦争を望んだのかが見えてくる。  第2回で見たように国際秩序に対する不満が高まりつつあった日本だが、ではその国際秩序はどのようなものだったのか。それは政治面では国際連盟を基礎としつつ各国の軍縮を目指す「ベルサイユ体制」と「ワシントン体制」、そして経済面では「国際金本位制」であった。
 19世紀初めから世界の主要国が採用した金本位制は、金と貨幣単位を結びつける制度である。日本では日清戦争の結果得た賠償金を基に1897(明治30)年の貨幣法で金0.75グラム=1円と定められ金本位制に移行した。
 各国が金本位制を採用すれば、国際収支の不均衡が生じても金の自由な輸出入を通じた自動調整により通貨は安定するとされ、貿易や国際資本移動が活発に行われる自由貿易体制を支える制度となった。ただし、実際は大幅な国際収支黒字国の英国が海外投資を行って他国の国際収支赤字を補うことで、金本位制が維持されていた。金本位制自由経済の象徴であると同時に、英国中心の国際秩序でもあった。
 第一次世界大戦勃発により、交戦国は膨大な財政支出が必要になったため、財政支出拡大の制約となる(発行する紙幣に応じた金の準備が求められる)金本位制を次々に停止し、米国の金輸出禁止(1917年)に日本も追随した。
 その後、大戦終結に伴い多くの国が1920年代半ばまでに金本位制に復帰し、同時期の国際経済会議では金本位制再建が目標として掲げられた。しかし英国の経済力が低下する一方で、新たに大国となった米国が世界経済に積極的に責任を持とうとしなかった戦間期の世界では、国際金本位制は不安定なものとなっていた。
 一方で貨幣一単位が含む金の量(平価)の切り下げは認められており、戦争中にインフレの進んだドイツ、イタリア、フランスなどは平価を大幅に切り下げた新平価で金本位制に復帰した(たとえばフランスは復帰に際し戦前の約5分の1にまで切り下げた)。
 これに対し、英国は大戦前と同じ金の量を含む旧平価で1925年に金本位制に復帰した。旧平価での復帰で英国ポンドは約1割上昇し海外投資に有利になったが、輸出品価格上昇と輸入品価格低下により国内産業に大きな打撃を与え多くの失業者が生じた。
 日本では大戦終結後、金本位制への復帰が目指されたが、大戦後の恐慌や関東大震災昭和金融恐慌への対応に追われ先延ばしされていた。金と円とのリンクの喪失で為替相場は国際収支により大きく変動し、財界からは為替安定のため金本位制への復帰(金輸出を解禁するので当時は「金解禁」と呼ばれた)が強く求められた。
 1928年にフランスが金本位制に復帰して主要国で日本だけが復帰していない状態になったこともあり、1929年に発足した立憲民政党浜口雄幸内閣は大蔵大臣に井上準之助を起用し、金解禁の実施を公約に掲げた。
 当時の二大政党である立憲民政党立憲政友会、また世論も金解禁の必要性についてはほぼ一致していた。これは金本位制の採用が当時の「一等国」の条件だったことに加え、金解禁が当時の「慢性不況」を打破するものになるという期待があったためである。
 日本経済の苦境を打開するため、産業技術の高度化、品質の向上などの産業振興を図り生産性を向上させ、輸出を促進することによって不況を克服し社会問題を解決していくことは当時の国民的課題であり、それゆえ輸出促進のため国際協調下で自由貿易体制を維持していくことを目指す「経済外交」が推進された。当時のグローバルスタンダードである金本位制への復帰はこうした経済外交の一貫として目指されたものであった。
 最悪のタイミングで行われた金本位制復帰
 ただ金解禁の時期や手法については意見が分かれていた。第2回でも取り上げた石橋湛山のほか、高橋亀吉(経済評論家)・小汀利得(中外商業新報<現・日本経済新聞>経済部長)・山崎靖純(読売新聞経済部長、のち山崎経済研究所所長)ら民間エコノミストは、英国の経験を参考にして、旧平価は日本経済の実力からは割高のため、平価を切り下げて金解禁を行うべきだとする新平価解禁論を主張し、「新平価四人組」と呼ばれた。
 一方、財閥系銀行中心の財界主流派は産業界の徹底的な整理と合理化のために早期の金解禁を主張していた。また、当時の民政党少数与党であり、新平価解禁に必要な貨幣法改正は困難であったが、旧平価解禁は大蔵省令廃止という行政措置だけで実施可能であった。
 当時時期が迫っていた外債借り換えに円への信用が必要とされたこともあり、浜口首相と井上蔵相は早期の旧平価金解禁を選択し、緊縮予算を組むと共に、旧平価金解禁に伴う不況は産業合理化と国際競争力強化により後の発展につながるというPR活動を国民に向けて盛んに行った。
 1929年10月には世界恐慌の前触れとなるウォール街の株価大暴落が発生するが、当時は米国でも楽観論が支配的であり、1930年1月に旧平価金解禁が実施された。2月の総選挙では金解禁による景気回復への期待感から民政党は圧勝し、国民は金解禁を支持した。
 しかし金解禁後、円為替引き上げと世界恐慌の深刻化により輸出は大幅に減少し、財政も緊縮されたため昭和恐慌と呼ばれる未曾有の大不況が生じた。都市部で失業者が急増する一方、農村も第2回で取り上げたような構造的問題による苦境に恐慌が追い打ちをかける。日本の主力輸出品だった生糸は主要需要国だった米国が大恐慌となったため大きく輸出が落ち込み、農村部の児童の栄養失調などが社会問題化する事態となった。
 恐慌の深刻化に加えて、英米との協調路線から浜口内閣が進めたロンドン海軍軍縮条約について、それが天皇統帥権を干犯するとの批判が政友会から起こり(統帥権干犯問題)、経済と政治の両面から政府への批判が高まった。1930年11月には浜口首相が右翼に狙撃され重傷を負い、翌1931年4月に辞職し、8月に死去する。
 浜口内閣の後継の若槻礼次郎内閣でも井上準之助は蔵相として金解禁の維持を続けるが、1931年9月には満洲事変が勃発し、ほぼ同時に英国が金本位制から離脱する。こうした内外の情勢から日本も早晩金本位制を離脱し円相場が下落するという観測が高まり、三井銀行など大手銀行や投機筋が円を売ってドルを買う動きが盛んになり、財閥のドル買いとして強い批判を受けることになった。
 結局、1931年12月に政友会の犬養毅内閣が発足し、蔵相に就任した高橋是清は即時に金輸出を再禁止した。円為替急落による輸出急増に加え、日本銀行による国債引き受けを通じた軍事費・農村対策費を中心とする財政支出拡大(高橋財政)により景気は急速に回復に向かった。一方で昭和恐慌を引き起こした政党政治家や恐慌下で利益を追求したと見なされた財閥への批判は強く、1932年2~3月の「血盟団事件」では、金解禁を推進した井上準之助前蔵相と、ドル買いが批判された三井財閥の総帥の団琢磨が暗殺された。
 また高橋財政下で工業は急速に回復したため都市部は好景気になったがその効果は農村にはなかなか届かず、凶作もあってかえって都市と農村との格差が注目され、農村の苦境を救うための「国家改造」が叫ばれるようになる。
 発展する都市と停滞する農村との間での相対的貧困が「相対的剥奪」(他人と自分を比較して不満や欠乏の気持ちを抱く)を強化し、それがテロや国家改造への支持につながり社会を不安定化させたという指摘も近年ではされている。
 軍事費を中心に続く財政膨張
 そして新天地としての満州への期待が高まり、満州事変と満州国建国が国民に歓迎される。満洲国への投資は、高橋財政下での拡張的財政政策や為替低落による輸出の増加とともに昭和恐慌後の日本の景気回復に貢献した。この「成功体験」がさらに中国北部(華北)を日本の支配下に置こうとする「華北分離工作」を引き起こし、日中関係をさらに悪化させていく。
 一方、1935年になると景気が過熱してインフレの懸念が出てきたことにより、高橋是清蔵相は軍事費を中心とした財政膨張を抑えようとするが、翌1936年の二・二六事件で高橋は暗殺され、財政膨張に歯止めがかからなくなる。景気回復後も軍事費を中心に財政膨張が一層進んだことにより景気は過熱気味となり、それに伴い市場が逼迫したことにより多くの課題が生じ、それへの政策的対応として多くの経済統制が必要となった。
 例えば軍需品生産増大のために多くの原料や資材の輸入が必要になったが、これにより外貨が不足するようになったため、輸入為替管理令が出され貿易為替管理が行われるようになる。さらに1937年7月には前述の日中関係の悪化の結果、日中戦争が勃発し、さらに多くの資源が必要となっていく。こうした中で日本では外貨不足を打開し資源を確保するために東南アジアに進出しようとする「南進論」が台頭していった。
 参考文献牧野邦昭「テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化」『Wedge』2022年6月号
 山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【戦前昭和篇】』ちくま新書
 『Wedge』では、第一次世界大戦第二次世界大戦の狭間である「戦間期」を振り返る企画「歴史は繰り返す」を連載しております。『Wedge』2022年6月号の同連載では、本稿筆者の牧野邦昭氏による寄稿『テロと戦争への道を拓いた大正日本経済のグローバル化』を掲載しております。
 牧野邦昭
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