🎷102─1・A─日本の若者は右傾化したのか? リベラル台頭の裏にある不都合な現実。~No.415 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年7月14日 YAHOO!JAPANニュース PHPオンライン衆知(Voice)「“日本の若者は右傾化”したのか? リベラル台頭の裏にある不都合な現実
 「日本の若者が右傾化している」説は本当か? 橘玲氏が、リベラリストの捻じれた解釈について追及する。
 「日本の若者の右傾化」が取り沙汰されている。しかし、これは事実なのだろうか? 橘玲氏は「右傾化論」を俗説と切り、若者が自民党や維新を支持している真の理由、そしてリベラリズムの台頭によって社会に生じた不都合な問題について解説する。
 ※本稿は『Voice』2023年7月号より抜粋・編集のうえ、一部加筆したものです。
 世界が急速にリベラル化していった理由
 社会がよりリベラルになることは、総体としては人びとの幸福度を上げるだろうが、リベラル化がなにもかもよいことだとはいえない。一人ひとりがより自由になれば、社会が複雑化して利害の調整が困難になり、政治は機能しなくなるだろう。
 ここで私は、リベラル化を「自分らしく生きたい」という価値観と定義している。人類史の大半において、生まれたときに身分や仕事、暮らす場所や結婚相手が決まっているのが当たり前で、「自由な人生」など想像すらできなかった。だが第二次世界大戦が終わると、欧米先進国を中心に、これまで人類が経験したことのない「とてつもなく豊かで平和な社会」が実現した。
 この巨大なパラダイム転換を受けて、1960年代後半のアメリカ西海岸で、「自分の人生を自分で選択する」という驚くべき思想が登場し、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」とともに、またたくまに世界中の若者たちを虜にした。これが社会をリベラル化させる理由は、自由の相互性から説明できる。
 私が自分らしく生きるのなら、あなたにも同じ権利が保証されなくてはならない。これに合意しないのは、人権を否定し、奴隷制や身分制を擁護する者だけだ。
 このようにして、人種や民族、性別や性的指向など、本人には選べない「しるし」に基づいて他者(マイノリティ)を差別することはものすごく嫌われるようになった。
 私と同じ自由をあなたがもっていないのなら、あなたにはそれを要求する正当な権利があるし、先行して自由を手にした者(マジョリティ)は、マイノリティが自由を獲得する運動を支援する道徳的な責務を負っている。
 ここまではきわめてわかりやすいし、自分を「差別主義者」だと公言するごく少数を除けば、異論はほとんどないだろう。誰もが「自分らしく生きたい」と願う社会では、「自分らしく生きられない」人たちの存在はリベラルの理想への冒涜なのだ。
 リベラルな若者に「右傾化」のレッテルを貼っている
 10年ほど前までは日本の「右傾化」が熱心に論じられていたが、私は一貫して、「世界も日本もリベラル化の巨大な潮流のなかにある」と述べてきた。
 日本は北欧と並んで世界でもっとも世俗的な社会で、ほとんどの親は子どもに「自分らしく生きてほしい」と願っている。いまの若者には親が決めた相手と結婚することなど想像もできないだろうが、世界にはまだこれが当たり前の社会がたくさんある。
 リベラリズムの基本原理は、19世紀イギリスの哲学者J・S・ミルが唱えた「他者危害原則」だ。自由について徹底的に考えたミルは、他者に危害を加えるおそれがないのなら、悪癖も含め、国家は個人の自由な選択に介入してはならないと主張した。
 日本社会のリベラル化がよくわかるのが同性婚問題だ。同性愛者が法的に結婚したからといって、異性愛者の私になんらかの直接な危害が及ぶわけではない。だとしたら、「自分らしく生きたい」と思う同性愛者の婚姻に反対する根拠はリベラリズムにはない。
 メディア各社の調査では、日本でも同性婚への支持は全体で6~7割、若年層では80%以上に達している。高齢者が保守的で、若者のほうがリベラルという傾向も顕著で、「日本の若者が右傾化している」というのが俗説であることがよくわかる。
 一世を風靡した「右傾化論」の根拠は、政党支持率の調査で若者ほど自民(安倍政権)や維新を支持し、立憲や共産党への関心が低いという結果が一貫して示されたからだ。
 だがこれは解釈が間違っていて、超高齢社会の日本で「老人に押しつぶされる」という強い不安を抱える若者にとっては、福祉社会をめざす(自称)リベラル政党は「保守」で、ネオリベ新自由主義)的な改革を唱える自民や維新が「革新」政党なのだ。
 日本の社会保障は、現役世代が高齢世代に仕送りをする賦課方式だから、少子高齢化が進むほど現役世代の負担は重くなる(世代間会計では、孫の世代は祖父の世代より一億円も損をする)。
 そんな若者から見れば、年金などの既得権を守ろうとするのは「守旧派」以外のなにものでもないが、日本の(自称)リベラルはこの不都合な事実から目を背け、リベラルな若者に「右傾化」のレッテルを貼って自己正当化したのだ。
 リベラリズムの原理では、見ず知らずの他人への「仕送り」を国家が強制する賦課方式は正当化が難しい。個人勘定で年金原資を積み立てるのが理想だが、すくなくとも世代間の損益を公平にしなければ、リベラルな若者から支持されることはないだろう。
 世界的な格差拡大とリベラルの関係性
 世界的に格差の拡大が大きな問題になっている。その元凶とされるのが「グローバル資本主義」や「新自由主義」だが、それが真っ当な「資本主義」や「自由主義」とどこが違うのかが定義されているわけではない。
 リベラルな知識人は認めたがらないだろうが、誰もが「自分らしく」生きられる社会では、必然的に経済格差は拡大する。なぜなら、リベラルな社会ほどもって生まれた能力を発揮できるし、知識社会に適応できる能力にはかなりの個人差があるからだ。
 北朝鮮は、一部の者を除けば、国民のほとんどがきわめて貧しい、格差の小さな社会だろう。市場が自由化されれば、それぞれが自らの才覚で商売を始め、格差が拡大すると同時に社会全体が豊かになっていく。これが、鄧小平(とうしょうへい)の改革・開放以降に中国で起きたことだ。
 ここから、「リベラルな社会ほど遺伝率が上がる」という、一見奇妙な結果が導かれる。能力は、遺伝と環境によってつくられる。「自分らしく生きられる」社会では、誰もが生得的な資質を開花させられるから、北朝鮮のような社会と比べて遺伝率は高くなるのだ。
 このことは、行動遺伝学の多くの調査によって明らかにされている。ノルウェーでは、第二次世界大戦前は、大学進学における遺伝の影響が41%、環境の影響が47%だったが、戦後になると、男性は遺伝的な影響が67~74%に上がり、環境の影響は8~10%まで下がった。
 この調査で興味深いのは、女性の場合は教育達成度における遺伝と環境の比率に違いがなかったことだ。
 これは、1960年代のノルウェー社会にはまだ男女の性役割分業が深く根づいていたからだろう。その結果、リベラル化の恩恵を先に受け、貧しい家庭からも大学に進学できるようになった男の遺伝率だけが上がったのだ。
 ここから、「男女が平等な社会ほど性差が拡大する」という、もうひとつの奇妙な結果が導かれる。男と女の平均的な知能は同じだが、得意分野が異なるからで、経済的に発展した国のほうが数学の平均点が高くなると同時に、男のほうが数学の成績がよいという一貫した傾向が見られる。
 それに対して経済発展が遅れた国では、成績に顕著な性差は見られないが、全体として平均点が低い。
 これは、「男は生得的に論理的・数学的知能が高く、女は言語的知能が高い」という(これまで性差別と批判されてきた)主張が正しいことを示唆している。
 近年では芥川賞直木賞の候補者の大半を女性作家が占めるのも珍しくなくなったが、社会がより豊かになり、リベラル化が進めば、男女ともに自分が好きなこと、得意なことを伸ばせるようになるのだ。
 リベラルな知識人は多くの基本的なことを間違えているが、そのなかでももっとも荒唐無稽なのは、「リベラルな政策によって格差を解消できる」だろう。なぜなら、リベラル化が格差を拡大させているのだから。
 このことはどれほど強調してもし足りないが、リベラル化によって格差が拡大しているにもかかわらず、「リベラルな政策で格差を解消できる」という強固な信念を抱いていると、破滅的な事態を引き起こしかねない。
 どれほど社会がリベラル化しても格差が拡大する一方なら、現実と信念の不一致(認知的不協和)を解消する唯一の方法は陰謀論しかない。
 「レフト(左翼)」「プログレッシブ(進歩派)」と呼ばれる過激なリベラルの主張が、「世界はディープステイト(闇の政府)によって支配されている」というQアノンの陰謀論と不気味なほど似ているのは、どちらも世界に対する認識が根本的に間違っているからだ。
 自由恋愛が生み出した暴力と絶望
 リベラリズムは「自分らしく生きられる」社会をめざすが、「自分らしく生きられる」ことを保証するわけではない。これはヒトが徹底的に社会化された動物で、私たちが社会に埋め込まれているからだ。
 私とあなたの「自分らしさ」は、つねに一致するわけではない。その典型が自由恋愛の市場で、私が「自分らしく」生きるためにあなたとの恋愛関係(あるいは性交)を望んだとしても、あなたもまた「自分らしさ」を追求しているので、それに同意するとはかぎらない。これが経済学でいうマッチング問題だ。
 生物学的には、男はほぼ無限に精子をつくることができるので、最適な性戦略は「妊娠可能な女性と無差別にセックスしてできるだけ多くの子どもをつくる」になる。
 それに対して女は妊娠・出産までに9カ月かかり、子どもが生まれてからも授乳や子育てに多くの資源を投入しなければならない。この場合は、自分と子どもの生活を長期にわたって支援してくれるパートナーを「選り好み」するのが最適戦略になる。
 この男女の性の非対称性から、自由恋愛の第一段階では女が男を選択し、第二段階では、選ばれた男が女を選択する。この競争はきわめて過酷なので、人類社会は男が結託して、平等に女を分配することで共同体を維持してきた。
 ところがリベラルな社会では、このような「女の分配」が不可能になり、恋愛(男女のマッチング)は完全に自由化された。このことによって、第一段階で女から選択されず、恋愛市場から脱落してしまう若い男が大量に生まれることになった。
 これは日本では「モテ/非モテ問題」と呼ばれ、英語圏では「インセル(「不本意な禁欲主義者」の略称)」を自称している。
 リベラルな社会のもっとも不都合な真実は、この問題が原理的に解決できないことだ。家父長制社会が女性の権利を制限してきたのは、女を分配されない男が既存の秩序を破壊するのを防ぐためだった。
 ところが恋愛に「自分らしさ」を求めることが当然とされる現代社会では、国家が非モテの男に女を分配することなど許されるはずがない。
 このようにして、リベラル化は必然的に(非モテの)男の暴力を誘発することになる。最終的にはVR(ヴァーチャルリアリティ)とセックスロボットがこの問題を解決するのかもしれないが、それまでには多くの驚くような出来事が起きるだろう。
 ※本稿は5月23日に長野で起きた猟銃立てこもり事件の前に執筆されました
 橘玲(作家)
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 現代日本を動かしているのは、文化マルクス主義の敗戦利得者の教育とメディア報道で育った優秀な超エリート層であるリベラル左派とエセ保守派で、彼等が理想社会として目指すのは反宗教無神論・反天皇反民族反日本である。
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