👹3:─4・D─安倍総理の外交戦略は世界を動かしていた。~No.14 

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 2023年10月11日 MicrosoftStartニュース zakzak西村幸祐「ロスト安倍」時代 「自由で開かれたインド太平洋」安倍晋三氏の戦略通り世界が動いてきた事実 功績の客観的評価が「未来」を照らす
 G20大阪サミットで笑顔を見せる(左から)トランプ米大統領安倍晋三首相(いずれも当時)、インドのモディ首相=2019年6月、大阪市
 © zakzak 提供
 陸上自衛隊とフランス陸軍が9月10~30日、南太平洋にあるフランス特別自治ニューカレドニアで共同訓練「ブリュネ・タカモリ」を実施した。戦闘を想定した訓練で、「日本とフランスがなぜ?」と不思議に思う人もいるはずだ。
 この訓練は、安倍晋三元首相が第2次政権発足翌日の2012年12月27日、チェコに本部がある国際NPO言論機関のサイトで発表した「アジアの民主的安全保障ダイヤモンド」という英語論文で示唆されていた。論文には次のように記されていた(抜粋)。
 「太平洋における平和、安定、航海の自由は、インド洋における平和、安定、航海の自由と切り離すことはできない」「にもかかわらず、ますます、南シナ海は『北京の湖』となっていくかのように見える」「もし日本が屈すれば、南シナ海はさらに要塞化されるであろう」
 「私が描く戦略は、オーストラリア、インド、日本、米国ハワイによって、インド洋地域から西太平洋に広がる海洋権益を保護するダイヤモンドを形成することにある」「私はアジアの安全保障を強化するため、英国やフランスにもまた太平洋の舞台にカムバックするよう招待したい」
 今やG7(先進7カ国)を中心とする欧米諸国やアジアで、「自由で開かれたインド太平洋」構想という外交戦略のスローガンが当たり前に使われるが、そのベースがこの論文だ。そして、安倍氏の戦略通りに世界が動いてきたという事実を誰も否定できない。
 今年はペリーの浦賀来航から170年目で、それは日本が世界秩序の荒波に投げ出されてからの歴史になる。この間、日本からリアルに世界を動かす提言をして実行した人物は誰もいなかった。唯一の例外が、安倍氏ということだ。この事実はあまりに重い。
 岸田文雄首相は、安倍氏の悲願だった防衛費大幅増額に踏み切り、原発再稼働方針を進め、憲法改正の意欲も示しているが、その動きは目立たない。そして、多くの国民にも「安倍氏のレガシー」が達成されている面が周知されていないように感じる。
 時代の活力を生むのは、未来に向けた肯定的なマインドが多くの国民に共有されるときだ。安倍氏のレガシーについて、客観的な評価で広く伝えなければそれが不可能になる。その結果、安倍氏の功績を世界で一番知らないのは日本人ということになる。
 今月3日、コソボの首都プリシュティナ安倍晋三記念公園が開園した。安倍氏コソボのEU(欧州連合)加盟に尽力したからだ。昨年、オーストラリアには安倍氏の慰霊碑、台湾には銅像が建っている。
 私が9月に上梓した『安倍晋三黙示録』(エムディエヌコーポレーション)にも、安倍氏のレガシーを客観的に評価することで、未来への課題がはっきり見えることを記している。
西村幸祐(にしむら・こうゆう) ジャーナリスト。1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。在学中、「三田文学」の編集を担当し、80年代後半から、作家、ジャーナリストとして活動。2002年日韓サッカーW杯取材後、拉致問題や歴史問題などにも、取材・執筆分野を広げる。アジア自由民主連帯協議会副会長。著書に『報道しない自由』(イースト・プレス)、『安倍晋三黙示録 「安倍晋三回顧録」をどう読むべきか』(エムディエヌコーポレーション)など。
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 安倍晋三氏は、戦後日本の歴代総理大臣の中でも、内政面では多くの失敗があったが、日本はおろか世界の外交史において記録を残すべき功績が数多くあった。
 それ故に、先の先まで見る事ができない外交無能で今の自分に関係した内政しか興味がない近視眼的なエセ保守とリベラル左派、メディアと教育によって潰された。
 現在の日本には、安倍晋三総理のように愚にも付かない理想論を排した真剣勝負の現実論で、諸外国の首脳と日本の国益と世界の利益な為に外交ができる政治家は誰もいない。
 そして、彼等の大半、特に戦後民主主義教育に基づく超難関校出の高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達は「本当」の日本の歴史はもちろん「現実・事実」の日本民族の歴史を知らないし、理解できない。 
 安倍晋三氏は、日本の歴史や日本民族の歴史はもちろん世界の歴史を理解していた。
 戦後民主主義教育とは、愚民化教育であった。
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