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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
フランクリン・ルーズベルトは、親中国反日派として日本を滅ぼそうとしていた。
フランクリン・ルーズベルトのレイシストとは、良い品種を作り出す科学的品種改良に類似した、邪悪な民族を善良な民族に改良する事であった。人種改良の対象が日本民族であった。
それが、フランクリン・ルーズベルト神話である。
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フランクリン・ルーズベルトは、欧州の対独戦争に参戦するべく日本を追い詰めていた。
ホワイト・ハウスと米軍首脳は、ハル国務長官が進めている対日交渉の裏で対日戦の準備を進めていた。
アメリカの対日交渉は、平和の為ではなく 戦争準備の為の時間稼ぎにすぎなかった。
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ルーズベルトの陰謀を打ち砕いたのは、昭和天皇、カミカゼ特攻、靖国神社であった。
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2024年3月14日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
トランプは正しい
先の戦争でF・ルーズベルト(FDR)はかなり無理して日本を戦争に引きずり込んだ。
それで米国は晴れて参戦し英仏を助けドイツを叩きのめす。第一次大戦と同じ構図を考えていた。
では参戦の口実に使った日本はどうするのか。
『3ヶ月あればいい』とFDRは言った。
そのためにチャーチルに戦艦プリンス・オブ・ウェールズを出させ、同艦は開戦直前の12月2日にシンガポールに入った。
同じころフィリピンのマッカーサーの許にも米本土から108輛のM3戦車部隊が送られた。
戦車隊員には後に『バターンを歩かされ、拷問もされた』と嘘ばかり並べたアリゾナ州立大教授レスター・デニーもいた。
彼は開戦の日、配備されたクラークフィールドで米戦爆機130機が破壊されるのを目撃している。
FDRの予定では15万米比軍が上陸する日本軍を叩き潰し、海ではプリンス・オブ・ウェールズがマレー攻略に向かう日本の艦船を悉く屠り、空では『空飛ぶ要塞』B17が日本本土の枢要部を爆破粉砕して降伏させるはずだった。
そこまで『3ヶ月』と読んでいた。
しかし現実は違った。真珠湾で米太平洋艦隊がやられ、2日後にはプリンス・オブ・ウェールズが沈み、米比軍はたった2日間で敗れ、バターンへ潰走した。
FDRの誤算はマッカーサーが無能だったのと日本軍を見くびり過ぎたことにある。日本人は飛行機もろくに飛ばせない、お化けが出るからと森にも入らないと信じられていた。
ところが最強の零戦を持っていて、独戦闘機でも落とせなかったB17をいとも簡単に落としていった。
マレーの密林も怖がるどころか1日20キロの速度で突き抜けてシンガポールまで落としてしまった。
日本軍はFDRの言う3ヶ月が過ぎても元気いっぱいで蘭領東インド、英領ビルマなど欧米がアジアに持つ植民地から白人どもを追い出し、民に独立の気概を持たせていった。
戦後、猫より大人しい蘭領東インドの民は、戻ってきたオランダ人と4年も雄々しく戦って独立した。
ビルマも英国から独立すると英語も左側通行も紅茶もやめ、外語大では変わりに日本語を教えた。
蘭印を失ったオランダの収入源は飾り窓くらい。見る間に落ちぶれていった。
ド・ゴールは『栄光のフランスの復活には仏印がいる』と再占領に出た。
しかしベトナム人は抵抗し、ディエンビエンフーの戦いに勝ってフランス人を追い出した。
ド・ゴールは怒る。『FDRが日本を怒らせ、とばっちりで我々は植民地を失ってしまった』と。
英蘭も頷(うなず)く。米はその償いに100億ドルの復興資金マーシャルプランを出した。その名は対日戦を推進し失敗したジョージ・マーシャルに因(ちな)む。
欧州諸国も貧しい者同士で助け合い互助会を作った。それが今のEUになる。
FDRはソ連には甘くて東欧をみなくれてやった。結果、共産圏が西側も軒先まで迫っていた。
貧乏EUに余計な軍事費などない。米国はここでもFDRの尻拭いにNATOを設立し、欧州防衛のためのカネを出し続けた。
それでも昔の栄華が忘れられない欧州諸国の不満が澱んでいた。
ジャン゠ピエール・レーマンがそれを代弁する。
『我々は黄色い連中に捕虜にされ、使役され、植民地も失った。米国はまだ原爆を落として憂さを晴らしたが、我々は日本に何もやり返していない』
日本人はそんなに恨まれているなんて考えてもいない。仏女首相が『黄色い蟻(日本人)を踏み潰せ』と悪態をつき、オランダ女王が来日の度に賠償を要求するのが理解できなかった。
トランプがまだ米国に縋(すが)るダメ欧州に『NATOに自腹を切れ。攻められても助けないぞ』と言ったことが話題になった。
でも正論だ。日本も『恥を知れ』くらいは言ってやりたい」
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江崎道朗「戦没学徒からの宿題
左派系への違和感
世界における国家、民族の興亡の歴史を学べば分かることだが、自由と独立を勝ち取ろうと奮闘した国家と民族は生き残り、その努力を怠った国家と民族は滅んだ。
日本が現在の独立を保ち、自由と繁栄を享受できるのは、先人たちの無数の奮闘の歴史があったからだ。そんな自明の、しかし意外と誰も意識しない冷厳な事実を私が意識できるようになったのは家庭環境の影響が大きかった。
……」(令和6年4月号『月刊 正論』)
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中世キリスト教会・イエズス会修道士会群と白人キリスト教徒商人は、日本人とアフリカ人を奴隷として世界中に輸出していた。
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クラウゼビッツ「敵の軍隊を壊滅しても、国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし国民の意志、魂を壊滅させれば、完全に敵国を壊滅できる」
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レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党・日本共産党など極東アジアの共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
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ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言を送った。
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32年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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エセ保守とリベラル左派が利用している、東京裁判史観を補強する「石原莞爾神話」を捨てるべきである。
石原莞爾神話とは、石原莞爾が、東條英機と代わって首相や陸相になっていたら対米戦争は回避できた、戦争を始めていても早期講和が成立したであろう。
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平和主義の昭和天皇は、アメリカとの戦争回避を望んでいた。
東條英機や松岡洋右、政府や軍部は、戦争を避けるべく対米交渉を続けていた。
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昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人の共産主義者と無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストであった。
昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズム、ボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
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歴史的人道貢献とは。昭和天皇とA級戦犯である東条英機、松岡洋右、松井石根らは、ソ連のポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランド・ユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツ、ゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止し上海ゲットーのユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは追い詰めたソ連を敗北させる為に、同盟国日本に対してアメリカの対ソ軍事支援ルートの遮断を求めた。
アメリカの対ソ連支援ルートとは、北太平洋航路であるウラジオストク・ルート、インド洋航路であるアフリカ東沿岸ルート、南太平洋航路であるオーストラリア・インド・ルートを経たイラン・スターリングラード・ルート、そしてもう一つがスエズ運河・エジプト・ルートであった。
日本海軍は、インド洋でイギリス東洋艦隊追い詰めていた機動部隊を、東京初空襲を受けてアメリカ海軍機動部隊を撃滅する為にミッドウェー海戦に振り向けたが敗北した。
日本軍部は、太平洋戦争での激戦で手一杯でそれどころではなかった。
日本首脳部内のソ連派・マルクス主義者・隠れ共産主義者達は、ソ連を救う為にナチス・ドイツの要請を拒否した。
その結果、ドイツ軍は日本軍の間接的支援を受けられず北アフリカ戦線でも独ソ戦でも敗北し、そしてナチス・ドイツは滅亡した。
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日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義=共産主義のイデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
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日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義とキリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇に天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
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マルクス主義と共産主義は、反宗教無神論と反天皇反民族反日本で、天皇と神話に関連する民族の歴史・文化・伝統・宗教の全面否定する。
共産主義者は人民暴力革命を成功させる為に、護憲・反戦平和・無抵抗非暴力を隠れ蓑として使っている。
事実、日本人の共産主義者や無政府主義者はキリスト教系朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
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皇室と福祉
三笠宮家の彬子さま「父はよく、『皇族というのは国民の中に自ら入って行って、国民の求めることをするのが仕事だ』と言っておられました」
三笠宮妃百合子さま、100歳の誕生日「孫や曾孫の成長を楽しみに」
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