🎶27:─2─戦前日本は虚構で美化された「孫文物語」に騙された。孫文の裏切り。~No.61No.62 ⑨ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 孫文の業績は、個人の物語であって偉人の伝記ではない。
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 中国共産党によるウイグル人チベット人・モンゴル人・少数民族に対する非人道的ジェノサイドの端緒をつくったのは、孫文であった。。
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 中国には、民族主義で証明する中華民族は歴史的に実在しない。
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 日本が正しい歴史を取り戻し正常な国に立ち返るには、嘘八百に近い美談で表面を塗り固められた「孫文物語」を破棄する事である。
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 中国の静かな侵略とは、中国人移民が多数派となった土地は全て中国の土地となり、中国語が公用語となり、中国の法律が適用され地元政府の法律は無視され、中国人の権利は地元住民の権利より優先される。
 ウイグル内モンゴルチベットに大量の中国人が移住し多数派になるや、ウイグル内モンゴルチベットは急速に中国化し、少数派になったウイグル人・モンゴル人・チベット人中国共産党・中国軍・武装警察による恐怖の弾圧に襲われた。
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  2021年5月号 WiLL「中国暴虐の元凶は孫文
 日本が中国に歴史問題で利用された背景には、当の日本人が深く絡んでいた。
 酒井信彦
 水に落ちた犬は打て
 中国の新疆ウイグル自治区ではジェノサイドが行われているとの情報が話題だ。これはトランプ政権の最末期に、ポンペオ国務長官が言明したものだが、その見解に賛同する意見も、世界で出始めている。
 ジェノサイドと言えば、単なる人権侵害問題ではなくさらに高度に悪質な『集団殺害』だが、一般的な人権侵害問題でも国際問題と考えられているのだから、単なる内政問題であるはずがない。しかし中国の王毅外相は3月の記者会見で、ジェノサイドは完全なデマだと強く否定し、あくまでも中国の内政問題だと強弁した。ジェノサイドとは『集団殺害』『集団虐殺』であるが、中国の現実においてなぜそのような非道が行われているのか、そのことを正確に理解するためには、この問題の背景にある、シナ人のものの考え方、上品に言えば『思想』『哲学』を押さえておく必要がある。
 そして重要なのは中国の民族問題の歴史的な背景であり、さらに戦後の中国を巡る国際情勢も、回顧しておかなければならないであろう。
 ところで、ヨーロッパ世界で最も有名な書物と言ったら聖書であるが、東アジアの世界では孔子論語である。日本にも古くから紹介されており、内容的には数々の素晴らしい言葉が列記されている。その中でも孔子が最も強調した、儒教の中心概念とは何であろうか。論語の『衛霊(えいれい)公』編に『子貢問うて曰(いわ)く、一言にして以って身を終わるまで之(こ)れを行うべきもの有や。子曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所を人に施(ほどこ)すこと勿(なか)れ』という有名な章句がある。
 『恕』とは大和言葉で言えば『思いやり』である。それを具体的に、『自分が他人にからやられたくないことは、他人にやってはいけない』と言っているわけである。日本では『恕』という表現はあまり馴染みがないが、同じような意味で、日本では良く知られているのは『仁』である。平安時代から、歴代天皇の実名(じつみょう)の下の文字に使われ、現在も使われ続けている。ただし『ヒト』と訓読する。従って儒教が広まっていた中国そして朝鮮では、思想としての『思いやり』は、極めてよく知られていたはずである。
 特に律令国家の官人になるには、科挙という難関を通らなければならなかったが、そのための教科書に論語は当然入っていた。ただし学んだからといって、それが身についていたかどうかは、まったく別の話である。中国でも朝鮮でも、高級官僚である知識人ほど、激しく血を流す権力闘争をやった。それを『党争』とか、朝鮮の場合は『士禍(しか)』という。
 つまり儒教の根本思想が、恕あるいは仁にあっても、シナ人や朝鮮人のやったことは、その正反対だと考えなければならない。恕や仁はあくまでも建前にすぎないのである。それではシナ人の本音は何であるのか。それは『水に落ちた犬は打て』。落ち目になった者は、さらに徹底的に痛めつけろ、という意味である。
 シナは歴史が長く、したがって言葉の宝庫であるから、この建前と本音の使い分けを表現する言葉も立派に存在する。それは『羊頭(ようとう)を懸けて狗肉(くにく)を売る』である。羊の頭を看板にしておいて、実際は犬の肉を売るという意味である。
 悪逆非道な侵略
 さて、ウイグルのジェノサイド問題を理解するための、歴史的背景とは何だろうか。それはウイグル人の土地は、中国人、正しくはシナ人によって、現実として侵略支配されているいる土地であるという根本的な真実である。
 しかしこの根本的事実は、世界史的に、特に日本において驚くほど認識されていない。侵略地域であることは、チベットでも南モンゴルについても、まったく同じである。つまり中国の民族問題の本質とは、この21世紀の時代に、シナ人によって現在進行形で行われている、悪逆非道な侵略問題なのである。そもそも中華人民共和国は、これらの地域を侵略することになって成立した。これら侵略地域の面積は500万k㎡に達して、中国全体の面積960万k㎡の半分以上になるのである。第二次世界大戦後の、世界に広まった民族独立の時代に、その時代の潮流と全く逆行して、侵略併合されてしまったのである。以下、そこに至る歴史の経緯を簡単に説明しよう。
 日本の江戸時代には、中国では清帝国という巨大な国家が成立していた。この国家は満州人が、シナ人など多数の民族を支配して成り立っていた。つまりシナ人は清帝国の時代には侵略された側であったのである。したがって近代に孫文清帝国を打倒し、シナ人が独立しようとしたとき、1906年の『中国同盟会軍政府宣言』で、『駆除韃虜(くじょだっりょ)、回復中華』のスローガンを掲げた。韃虜・満州人を追い出して、シナ人の国・中華を回復するという意味である。
 しかし、1911年の辛亥革命が成功すると、1912年年頭の『臨時大総統就任宣言』では、孫文は一転し『五族共和』と言い出した。五族とは、シナ人と満州人にモンゴル・チベットウイグルを加えたものを言う。すなわち新しく誕生した中華民国の領土は、清帝国の領土をそのまま引き継ぐと、前言を翻(ひるがえ)したわけである。つまりシナ人の土地だけで独立すると、他の4民族の広大な土地を失ってしまうので、簡単に変節したのである。
 さらに孫文は、1921年の『三民主義の具体的方策』で、五族は完全にまとまって、シナ人に同化することにより、一つの『中華民族』になるべきだと言い出した。これが『中華民族主義』というべき、侵略正当化のイデオロギーである。このイデオロギーはその後の中華民国の時代も継承された。ただし、この時代は国内がまとまらず、日中戦争もあって、このイデオロギーを実現できなかった。
 しかし戦後、中華人民共和国が成立して、強力な軍事力を保持することができ、シナ人の宿願であった侵略の野望を実現したのである。
 つまり、中華人民共和国による侵略は、共産主義によるものではない。この点、往々にして誤解されている。ただし、清帝国時代に外蒙古であった現・モンゴル国は、ソ連の勢力圏であったために併合できなかった。
 中華民族主義について、もう少し詳しく説明しておこう。中華人民共和国は56の民族で構成する多民族国家であるということになっている。ただし多民族国家でも、憲法にあるように『統一的多民族国家』であるとする。中国の民族概念は二重構造になっていて、モンゴル人やチベット人は下位の民族概念であって、全ての民族を統一する上位の民族概念が『中華民族』なのである。したがって中国は中華民族として『単一民族国家』である。この単純・明快な事実を、日本人は全く理解していない。逆に日本では、日本人は単一民族だと言った途端に、大臣の首が飛ぶ国である。例えば麻生内閣中山成彬国土交通大臣である。
 さらに中国には、中華民族主義を標榜(ひょうぼう)するために、下位の民族概念の民族をことさらに『族』と呼ぶ。すなわち『モンゴル族』『チベット族』『ウイグル族』のように。これは何のためにやっているかといえば、これらの民族をあたかも『部族』段階の集団のように見せるためであり、かつ、独立資格がない弱小集団であるかのように思わせるためである。そのためにシナ人を公的にわざと『漢族』と称する。
 またシナ人はシナ人以外の民族、すなわち非シナ人・ノンチャイニーズを一括(ひとくく)りにして『少数民族』と呼ぶ。数百万人、あるいは1,000万人以上の人口を有する民族も、何億もいるシナ人と比較して少数ということで少数民族なのである。『~族』にしても、少数民族にしてシナ人の侵略支配を正当化するための、あるいはごまかすための究極の政治的用語、差別用語であると言っていい。
 驚くべきことに、日本のメディアはこれらの政治用語・差別用語を無神経極まりないことに、漢字が共通するからといって、そのまま使っている。私は産経新聞のコラム『新聞に喝!』欄でこの誤りを何度も指摘したのであるが、一向に改まらない。日本のメディアが、いかに深刻極まる中国の民族問題に無知・無関心であるかの端的な表れである。
 最大の標的
 要するに中国の民族問題は、世界中の孔子学院をつくっていながらシナ人が孔子の教えを全く理解していない最高の具体例だと言っていい。自身は過去の侵略されあ体験を訴えるのに、自分自身は侵略しているからである。すなわち『己の欲せざる所』を他人にこれ以上もないほど完璧に『施し』ているのであるから。
 そして、歴史問題を利用した最大の標的こそわが日本であった。1972年の日中国交回復の際に共同声明に日本の謝罪を盛り込んでおいて、10年後の1982年の第一次教科書事件で、それを爆発させた。以後、第二次教科書事件、靖国参拝問題など常に歴史問題を利用してきた。それによって日本人に精神的な負い目を負わせることで、ODAなどの援助を引き出すことが目的だったのである。現・習近平政権では、民族主義はさらに強調されたが、トランプ政権との対立から対日攻撃を手控えて、歴史問題の利用は韓国の方が主役になっている。だが、簡単に復活するだろう。
 ただし、日本が中国に歴史問題で、さんざん利用された背景には日本人が深く絡んでいたことを忘れることはできない。それこそ中国の手先となって活動した人間であり、その代表が朝日新聞である。72年の国交回復以前に日中間で記者の交換が行われていたが、朝日の記者は社長の命令で正しい情報を送らなかった。この命令を当時の社長・広岡知男の『歴史の目撃者論』(『新聞と「昭和」』第24章)という。歴史の目撃者論こそ、日本の歴史上最悪の『忖度』と言わなければならない。忖度批判で政権を攻撃し続ける朝日新聞こそ、『忖度の王者』であるのだ。
 こんな朝日新聞が、『クオリティーペーパー』などと称されている日本では、中国の最大の暗部・弱点である民族問題についてメディアがまともな情報を提供するはがない。メディアのみならず、日本では真実を研究することが本来の使命である学者・研究者も中国に忖度する傾向が顕著である。かくて日本では中国の民族問題に関して驚くほど重要な情報が知られていないのだ。
 一つ具体的な例をあげれば、チベットでは中国の侵略によって600万の人口のうち、120万人が犠牲になった。これはチベット亡命政府が、ずっと主張し続けていることである。600万のうち120万といえば、人口の5分の1に達する大変な数字である。これはチベット問題に関する基本中の基本の知識である。しかし、メディアが隠蔽するから日本ではまるで知られていない。
 究極の民族抹殺
 以上、日本における中国の民族問題を巡る状況であるが、では世界全体で見るとどうなのだろう。
 中国の民族問題でかつて最も注目を集めたのはチベット問題であった。それは、1951年に建国後間もない中国がチベットを侵略併合し、その圧政に耐えきれなくなったダライ・ラマが59年にインドに亡命するという大事件が起こったからである。その後、チベットで起こった武力による独立闘争をアメリカは支援した。しかし、それは72年のニクソン訪中によって断ち切られる。その後も欧米ではチベット支援運動は継続し、89年、ダライ・ラマノーベル賞の受賞に至る。
 この頃より、ダライ・ラマが完全独立を主張しなくなったこともあり、同時に中国が急速な経済成長と、それを利用した急速な軍備増強によって一段と強気になり、チベットとの対話などを完全に拒否するようになる。
 この中国の経済成長と軍国主義化を後押ししたのは、結局、アメリカであった。その意味で中国の民族問題を、ここまで悪化させ、絶望的な状況に追い込んだ責任は重い。そもそもレーガン大統領が、正しく『悪の帝国』と呼んだソ連が崩壊した時点で、単独覇権国になったアメリカがやらなければならなかったのは、中国という同じ悪の帝国を打倒することだったのである。
 しかしその後、共和党民主党政権を通じて、対外的関心は中東に集中してしまった。その間に中国は急成長し、特にアジア太平洋では、侵略意志をむき出しにして行動するようになった。アメリカは、トランプ政権のそれも後半になって『悪の大帝国』になった中国を倒さなければならないという、本来の責務にようやく目覚めた。 だが、トランプ大統領は、落選させられたため今後の見通しは全く予断を許さない。というより、バイデン大統領では、かなり悲観的にとらえざるを得ないだろう。いまだに対中忖度者、正確に言えば隷中人間が各界で勢力を握っている日本などは言うまでもない。
 さて、最後にジェノサイド問題についてまとめておこう。ウイグル問題がジェノサイド=『集団虐殺』だと言っても、中国の民族問題について無知にさせられてしまっている日本人には、すぐには理解できないであろう。中国のジェノサイドは、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺とは、同じではない。ウイグルでも、強制収容所に閉じ込めるとか、不妊手術を強制するとか、直接人体に関わる犯罪もあるが、実態はもっと間接的なものであり、しかもさらに凶悪なものである。
 中華民族主義の本質は、シナ人以外の、いわゆる少数民族・非シナ人の個性を奪ってシナ人化することであった。すでに孫文の段階で、そのように構想されていた。基本的には侵略地域にシナ人を大量に移住させて、人口構成を逆転させて、シナ人に同化させるという方法である。中でも特に大切なのは、その民族本来の言語を奪うことである。言語こそ民族の文化の核心である。なぜなら、民族を区別・区分する標識は言語であるからである。
 そして最近、習近平は非シナ民族に対するシナ語教育の徹底を命令した。中国の各民族をすべてシナ人にする戦略を明確に打ち出したわけである。アメリカでは人種差別問題で大騒ぎしているが、中国に存在するのは極度の民族差別であり、さらに民族抑圧・民族弾圧であり、究極は民族抹殺である。習近平の言う中華民族は、一応、中国の全民族を包含しているが、それはあくまで建前であって、その本音では中華民族はシナ人だけなのである。
 したがって非シナ人に存在価値はなく、シナ人に吸収・同化されて消えてゆくべき存在なのである。だからこそ中国の民族問題はジェノサイドなのだ。王毅外相はデマだといったが、とんでもないデマを飛ばしているのは王毅自身である。」
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 日本人共産主義テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
 軍国日本は、天皇家・皇室を守る為に大逆罪・不敬罪を、国家を守る為に治安維持法を制定して取り締まりを強化して、大逆罪・不敬罪の犯罪者を死刑にし、治安維持法違反者を死刑ではなく禁固刑にして転向すれば釈放した。
 戦後の高学歴の知的エリートと進歩的インテリは、主権在民国民主権から大逆罪・不敬罪治安維持法は市民・人民に対する悪法であるとして廃止した。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人奴隷交易で金儲けしていた。
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 蒋介石ファシスト中国(中国国民党)の党幹部・政府高官・軍上級将校らはキリスト教に改宗し、反天皇反日本のキリスト教会の支援・協力・支持をえた。
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孫 文(そん ぶん、英語: Sun Yat-sen、中国語: 孙文、拼音: Sūn Wén、注音: ㄙㄨㄣ ㄨㄣˊ、1866年11月12日(清同治5年10月初6日) - 1925年(民国14年)3月12日)は、中華民国の政治家、革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。広東省客家出身。
 「中国革命の父」である。中華民国では長らく国父と呼ばれ、近年は中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」の「国父」として、再評価が進んでいる。
 中国語圏では孫文よりも孫 中山(そん ちゅうざん)の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。中国国民党では現在も、孫文は「党総理」であると党則第15章で定めている。

 孫文・ヨッフェ共同宣言
 1922年のコミンテルン極東民族大会において「植民地・半植民地における反帝国主義統一戦線の形成」という方針採択を受けて、1923年1月26日には孫文ソビエト連邦代表アドリフ・ヨッフェの共同声明である「孫文・ヨッフェ共同宣言」が上海で発表され、中国統一運動に対するソビエト連邦の支援を誓約し、ソ連との連帯を鮮明にした。 この宣言は、コミンテルン中国国民党および中国共産党の連携の布告であった。ソビエト連邦の支援の元、2月21日、広東で孫文大元帥に就任(第三次広東政府)した。
 しかし、連ソ容共・工農扶助への方針転換に対して、反共的な蔣介石や財閥との結びつきの強い人物からの反発も強く、孫文の死後に大きな揺り戻しが起きることとなる。なお、孫文の妻でその遺志を継いだ宋慶齢は大陸に止まり、中国国民党革命委員会を結成して蔣介石を「裏切り者」と攻撃している。

 国共合作
 1923年6月の中国共産党第三回全国代表大会においてコミンテルン代表マーリン指導で、国共合作が方針となった。
 コミンテルン工作員ミハイル・ボロディンは、ソ連共産党の路線に沿うように中国国民党の再編成と強化を援助するため1923年に中国に入り、孫文の軍事顧問・国民党最高顧問となった。ボロディンの進言により1924年1月20日中国共産党との第一次国共合作が成立。軍閥に対抗するための素地が形成された。黄埔軍官学校も設立され、赤軍にあたる国民革命軍の組織を開始する。1925年にはソビエト連邦により中国人革命家を育成する機関を求める孫文のためにモスクワ中山大学が設立された。
 1924年10月、孫文は北上宣言を行い、全国の統一を図る国民会議の招集を訴えた。同11月には日本の神戸で有名な「大アジア主義講演」を行う。日本に対して「西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか」と問い、欧米の帝国主義にたいし東洋の王道・平和の思想を説き、日中の友好を訴えた。
 民族主義
 三民主義の一つに民族主義を掲げ、秦以来万里の長城の内側を国土とした漢民族の国を再建すると訴えていたが、満州族清朝が倒れると、清朝の版図である満州ウイグルまで領土にしたくなり、民族主義の民族とは、漢とその周辺の五族の共和をいうと言い出した。
 「五族共和」を参照
 しかし、この五族共和論は、すべての民族を中華民族に同化させ、融合させるという思想に変貌する。1921年の講演「三民主義の具体的実施方法」では「満、蒙、回、蔵を我が漢族に同化させて一大民族主義国家となさねばならぬ」と訴え、1928年には熱河、チャハルのモンゴル族居住地域、青海、西康のチベット族居住地域をすべて省制へと移行させ、内地化を行う。
 
 遺言
 日本語訳
 余の力を中国革命に費やすこと40年余、その目的は、中国の自由と平等と平和を求むるにあった。40年余の革命活動の経験から、余にわかったことは、この革命を成功させるには、何よりもまず民衆を喚起し、また、世界中でわが民族を平等に遇してくれる諸民族と協力し、力を合わせて奮闘せねばならないということである。
 しかしながら、なお現在、革命は、未だ成功していない──。わが同志は、余の著した『建国方略』『建国大綱』『三民主義』および第一次全国代表大会宣言によって、引き続き努力し、その目的の貫徹に向け、誠心誠意努めていかねばならない。
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 近代日本の国家戦略は、ロシア・キリスト教ソ連共産主義の侵略から天皇と日本国を守る為に中国と朝鮮に親日派政権をつくり三国軍事同盟を結ぶ事であった。
 それが、軍国日本が目指した儒教漢字使用アジア人種による五族共和・王道楽土、大家族主義の八紘一宇である。
 孫文は、親日派知日派ではなく、策謀を巡らして辛亥革命を成功させる為に日本を利用しただけである。
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 日本人が読んでいる中国の史劇小説は、中国の歴史の極僅かな時代の話であり、日本人が好むように美化されて事実・現実ではない。
 中国の事実・現実を正しく理解していたのは、遣唐使を廃止した菅原道真である。
 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力などが乏しいか、全くない。
 その証拠が、日本を貶める昭和天皇・皇室批判やA級戦犯靖国神社反対である。
 昭和天皇A級戦犯靖国神社には、歴史的人類的な人道貢献や平和貢献が存在する。
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 現代日本人、特にリベラル派戦後民主主義世代とその洗脳という薫陶を受けた優秀な革新派と一部の保守派の次世代には未来はない。
 それは、左翼・左派・ネットサハは当然だが右翼・右派・ネットウヨクとて同じである。
 そして救い難い日本人はマルクス主義信者である。
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 マルクス主義は、分けられる利益のパイが拡大する人口爆発期ではそれなりに意味があったが、分け与えられる利益のパイが消滅する人口激減期では百害あって一利なしの有害無益である。
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 日本の中に、中国共産党・中国軍に国土や企業、民生・軍事などの最新科学技術を密かに売り渡して金儲けする日本人が存在している。
 そうした日本人は生まれ育った日本を憎悪し、天皇・皇室はもとより日本国や日本民族の事など眼中になく、滅びようが死のうが気にはしない、と言うよりは望んでいる。
 彼らは、日本を中国化させる為に、外国人移民1000万人計画の中に大量の中国人移民を忍ばせている。
 そして、外国語(英語・中国語)を行政公用語にして日本国語を家庭言語に落とす事が最終目的である。
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 中国人は、性悪説で約束や信用を踏み躙り人を騙す。
 日本人は、性善説で約束や信用を命より大事にして人に騙される。
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 孫文は、新三民主義における民族の独立(民族主義)でウイグル人チベット人などの少数民族の独立を認めたが、後の五族共和で民族の独立を否定した。
 中国共産党も、中国統一までは民族の独立を認めたが、統一後は否定した。
 つまり、中国における民族主義は使い勝手の良い便利な道具でしかなかった。
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 昔の日本人は人を信じて疑わないお人好しの単純思考の為に、複雑思考の漢族にまんまと騙された「馬鹿」であった。
 後先が分からない単細胞ゆえに、孫文物語を偉人の孫文伝記と勘違いして感動した。
 昔も今の日本の高学歴の知的エリートや進歩的インテリらは、賢い中国人の同じような手口で繰り返して騙される。
 彼らを、親中国派・媚中派(新朝貢派)と言う。
 戦前の支那通と現代の親中国派・媚中派は全く違い、どこが違うかと言えば中国との全面戦争を覚悟しているかどうかである。。
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 日本は、江戸時代後期からロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略を、大正中頃から反ソ連共産主義の反宗教無神論・反民族イデオロギー侵略を恐れ、外国勢力の侵略から天皇・日本国・日本民族を守る為に軍国主義政策を採用して強力な軍事国家を作り上げた。
 つまり、軍国日本の海外戦略は積極的自衛戦争であった。
 だが、国際法東京裁判で、日本の積極的自衛戦争戦争犯罪として完全否定し、対外戦争を行った政府要人や軍指導者を見せしめリンチ的縛り首で処刑した。
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 近代日本は、日本一番有害な大悪の漢族中華を生み出す為に、日本にとって頼りになる友国・同盟国になる可能性の大きかった満州族清国を滅ぼした。
 それは、「托卵」であり、夷を以て夷を制す戦略である。
 漢族は陰謀を巡らして、軍国日本を日清戦争(1894~95年)から太平洋戦争(1941年~45年)までの51年をかけて滅ぼした。
 近代国家日本は、日露戦争でロシアと、軍閥内戦で張学良、蔣介石と、日中戦争ナチス・ドイツソ連・国際共産主義と、太平洋戦争でアメリカ・イギリスなどの連合国(国連)と戦って敗れた。
 中国の手先として暗躍したのが朝鮮であった。
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 日本の防衛戦争は、中国と朝鮮に対しては古代から、ロシアに対しては江戸時代後期から、アメリカに対しては日清戦争前から絶える事なく続いていた。
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 中国の現実・事実に基ずく歴史とは、自然災害、疫病、餓死、内戦、無法による地獄のような残酷・悲惨・凄惨な歴史であった。
 近代天皇、軍国日本は、隣国の誼として、地獄のような惨状に苦しむ中国を助ける為の人道支援を繰り返していた。
 が、中国は日本のお節介のような救援・支援を恩とも思わず、よって感激もしなければ感謝もせず、逆に逆恨みして反日・敵日になって暴走した。
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 昔も今も高学歴の知的エリートや進歩的インテリの中に、東洋の中華思想孫文物語や西洋のマルクス主義レーニン物語を信奉する者がいて、親中国派・媚中派=新朝貢派も彼らの中に数多く存在する。
 彼らの正体は、反天皇反日的日本人達である。
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 そもそもが、孫文辛亥革命は日本の右翼・右派の支援で成功した。
 初期の中国共産党幹部は、日本の大学に留学して日本人マルクス主義者から共産主義社会主義、民主主義、資本主義、民族主義など多くの事を学んだ。
 中国共産党幹部の、第1期は日本留学組で、第2期がソ連留学組で、第3期が毛沢東の国内組で欧米留学組はその参加に入っていたが、それは権力闘争として粛清の歴史であった。
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 戦前のアメリカ・イギリスなどの連合国及びバチカンや国際赤十字社は、敵国ナチス・ドイツが行っているユダヤ人虐殺のホロコースト情報を得ていても反ユダヤ主義・人種差別主義からナチス・ドイツの国内問題として取り上げず抗議もせず、世界平和と世界正義の為の戦争勝利を優先し人道は二の次としてユダヤ人の人命・人権は無視された。
 それが、人道を大事にした戦前の日本人では理解できなかった世界の常識である。
 ただし、天安門事件、香港弾圧、ウイグル・ジェノサイドなどを中国の内政問題と冷静に処理する親中国派・媚中派現代日本人には理解できる。
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 近代日本の失敗の原因は「孫文を信用し辛亥革命を支援した」事である。
 当時の日本人は、孫文に弁舌に騙されそして裏切られた。
 孫文は、親日派でも知日派でもなく、蔣介石などの反日派・敵日派と同様に辛亥革命の為に日本を利用したに過ぎない。
 孫文の裏切りとは、中国国民党による中国統一の為に、軍国日本が最も警戒したソ連・国際共産主義勢力を中国内戦に引き込む、第1回国共合作で弱小勢力であった中国共産党を政権や軍隊内の要職を与え勢力拡大に道を開いた、事である。
 この時から、中国の内戦は強欲戦争からイデオロギー戦争に変貌し、日本陸軍は軍事顧問派遣の間接的内政干渉から軍隊派遣の直接的武力介入への方針変更を強いられた。
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 漢族中国人は、古代から現代まで一貫として日本との対等関係での友好・親善など望んではいなかった。
 漢族中国人は、儒教中華思想華夷秩序で野蛮な日本を敵と認識していた。
 日本人が、好きな三国志時代のシナ人と現代中国人は人間的民族的部族的な繋がりがなく、尊敬し憧れる隋や唐は漢族中国人ではなく異民族である。
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 現代日本は、ウイグル人・モンゴル人・チベット人少数民族へのジェノサイド、法輪功キリスト教徒への宗教弾圧、香港民主派へのイデオロギー弾圧などは中国共産党政府の国内問題として黙認している。
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 伊藤博文山県有朋ら明治期や大正初期の日本人は、漢族の悪だくみを知り、清国との友好関係を保っていた。
 その重大な失敗に気づいた日本人は、世界に反対されても、世界を敵に回しても、孫文の漢族中華を排除して満州族を中心とした五族共和の満州帝国を建国させた。
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