💢79:─7・C─日本にはゼレンスキー大統領の様な政治家は現れない。~No.345 

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 2022年4月8日 MicrosoftNews JBpress「もし日本が中国や北朝鮮から核の恫喝を受けたら総理は何と答えるか
河合 達郎 
 ウクライナを舞台にしたロシアのプーチン大統領による「核の恫喝」に、国際社会が揺さぶられている。差し迫った脅威に際し、日本でも核を巡る議論が飛び交い始めた。
 世界は、核の悲劇をいかに防ぐのか。日本は、自国の安全をどう保つのか──。第2次安倍政権で国家安全保障局次長や内閣官房副長官補を歴任し、今年3月に共著『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)を上梓した兼原信克氏に話を聞いた。後編では、台湾有事の現実味と核共有を巡る議論を読み解く。(聞き手、河合達郎、フリーライター
 ※前編「プーチン氏による小型核兵器の先制使用、国際社会は止められるか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69616)から読む
──ロシア寄りの立ち場を見せる中国ですが、習近平国家主席はロシアの戦いぶりをどう見ているでしょうか。
 兼原信克氏(以下:兼原):
 中国は、決して好んでロシア寄りというわけではありません。共通の敵である米国が困るのはいいことだから、気持ちちょっとロシア寄り、というのが本音です。カザフスタンへの影響力など、相反する利益も抱えています。
 ただ、今回、出現した西側の団結には恐怖を感じていることでしょう。近年は、トランプ氏の登場で西側の足並みが乱れ、これからは中国の時代だと確信して、西側を侮っていたのだと思います。
 ところが、西側が結束すれば、経済はおよそ中国の2.5倍に上ります。軍事面でも中国の正面は日本とオーストラリアくらいですが、NATO北大西洋条約機構)軍はかなり大きい。今回、改めて、西側全体を敵に回すと怖いとの認識を強めたのではないでしょうか。
──台湾有事の現実味についてはどう考えますか。
 現実味を帯びて語られるようになってきた台湾有事
 兼原:今は起きないと思います。まだ米国の方が強いからです。ただ、ここ10年で急激に現実味を帯びてきたのは事実です。10年前なんて、誰も台湾有事が現実のものとなるとは思っていませんでしたから。
 10年前の中国は、経済力では日本と同程度でした。それが10年間で3倍になり、米国の7割5分というところまで大きくなってきました。もうあと10年すると、米国を抜いているかもしれません。
 中国の軍事力は、25兆円の軍事費に200万人の軍隊です。日本は5兆円で25万人、英仏独などのヨーロッパの軍事力のサイズ感も5兆円で20万人といったところです。中国の軍事力がどれほど大きいか、ということがわかると思います。
 こうなると、習氏が、いつの日かプーチン大統領みたいなことを考えないとは限りません。習氏にとって、「台湾は取れるかもしれない」というところまで来てしまっている。
 © JBpress 提供 台湾から中国・厦門を望む(写真:AP/アフロ)
 今年は国家主席の任期を伸ばすのに専念するでしょうが、さらに5年、10年と権力を握れば、プーチン氏と同様、老いた絶対的独裁者が陥りがちな間違いを犯す危険があります。
 独裁権力を20年も握り続けると、周りにモノが言える人はいなくなります。ロシアは名前ばかりの民主主義国家で、まだ独裁国家です。国民世論がクレムリンを動かすことはありません。民主的なコントロールも効きません。
 老いていく独裁者の周りは、いつしかお追従の上手い若いイエスマンばかりとなり、誰も皆、聞き心地のいい話しか上げようとしない。現実から遊離がはじまります。そうなると万能感が出てきて、「何かでかいことをやって世界史に名前を残そう」というような発想になる。今回のプーチン氏がそうだと思います。10年後、習氏が権力の座に座っていれば、そうなっていない保証はありません。
──将来起こりうる台湾有事では、日本はどのような状況に立たされるのでしょうか。
 兼原:日本が台湾有事で中立ということはありえません。かなり高い確率で、すぐ日本有事になります。
 1960年に改訂された日米安保条約には、第6条に「極東の安全」条項が明記されています。「極東の安全」とは、戦前の日本の領土か、あるいは米国の植民地で、西側に残った台湾、韓国、フィリピンのことを指します。ここを守らなければ日本にも危機が迫るということから、米国が守り、代わりに日本の基地を使う、という立て付けになっています。
 そのため、台湾有事では即、日本から米空軍が出ていく可能性が非常に高い。米空軍が出ていけば、日本はそれを支えます。周辺事態法に基づく後方支援や、集団的自衛権の行使を含めて、日本側の積極的な対応がありうるわけです。
 台湾有事は、NATOの防衛圏の外側にあった今回のウクライナとは、まったく事情は異なります。日米同盟はこの周辺の安全保障の要ですから、米国の対応も当然違ってくるわけです。
 NATO核を持ったドイツと日本を分けたもの
──こうした台湾有事や核を巡っては、兼原さんが一員だった安倍内閣でも何か議論があったのでしょうか。
 兼原:もちろん頭の中にはありましたが、本格的に議論して、国民に対して打ち出すという話はありませんでした。当時は、NSC国家安全保障会議)を作って、集団的自衛権の行使容認で精いっぱいです。どんなに強い政権でも、すべて同時にはできません。ただし、安倍政権時に2度策定した防衛大綱(平成25年、平成30年)は、南西重視の方向性がしっかり出てきていると思います。
──その安倍元首相が、核共有の議論の必要性について指摘しました。
 兼原:安倍さんが言うと大きな話題になりますね。
 核抑止の話はまじめに考えなければいけません。核廃絶の理想は正しいです。その理想は正しいのですが、どうやってそこまでたどり着くのか、その途中で核からの安全はどうやって確保するのかという方法論は、日本ではまったく議論されていません。核兵器が誕生して以降、国際社会ではみんなが、核兵器についてものすごく深い議論をしてきたにもかかわらず、です。
 第二次世界大戦後、東西対決の最前線に立ったのが東西ドイツです。核を持つ旧ソ連に対し、西ドイツは核を持っていません。いざ戦争が始まってしまえば、核を撃ち込まれるのは核兵器国のイギリス、フランスではなく、核を持っていない西ドイツです。そうした危機感から、西ドイツのアデナウアー首相(当時)は、米国に大量の核の持ち込みを了承しました。アデナウアーの核持ち込みの決断は、吉田茂の日米同盟の選択と同様、孤高の政治家の決断です。
 ただ、米国の核の西ドイツ領域内配備を認めたとしても、西ドイツ国民の生殺与奪の権を米国に握られるのは許されません。だから西ドイツは「勝手に撃つな」とか「撃つべき時は撃てよ」とか、行使の部分にまで口を出し始めるわけです。こうして生まれてきたのが、NATO核です。今、NATO核は加盟5か国の米軍基地にあり、最後の瞬間には米国の判断とともにNATO加盟国も核を撃つ仕組みです。
 日本は、このドイツの真逆を行きました。朝鮮戦争ベトナム戦争後のアジアは、日米の中国との国交正常化もあり、平和で恵まれていて、まさか核を使うやつが出てくるなんて思わなかった。それで、考えるのをやめてしまったんです。
──核共有を巡っては、自民党内の議論で積極的な意見が出されなかったようです。党国防部会長の「核を置いた時点で攻撃対象になることなどを考えると日本に核を持つ実益がない」という発言も報じられています。
 みんなわかっていない「エスカレートさせないための核抑止」
 兼原:生殺与奪の権を相手に預けて、土下座して許してもらう、という発想は根本的に間違っていると思います。戦争が始まった後は、軍事力を持ってない方がやられるんです。
 ピストルを持っている人に向かって、ピストルを持つのが核抑止です。ピストルを持っている人に対して果物ナイフを持ち出しても、何の抑止にもなりません。
 核を持ち合うことで事態がエスカレートしていくというのは、発想が違います。エスカレートしたら大核戦争になるぞといって、逆にお互いが慎重になり、その結果、通常兵器のレベルでさえ一発も撃たせないというのが本当の相互核抑止です。余りに大きい核兵器の破壊力への恐怖があるから、最低限の信頼醸成、透明性の確保、相互査察、軍備管理軍縮へと進むのです。
 実際、戦後、3四半世紀、米国とロシアは核を撃ち合いませんでした。米国と核武装した中国とも核は撃ち合いません。ですが、核兵器を持っていない同盟国は核でやられるかもしれません。
 米国は「launch on warning」と言って、相手国が核を発射したとの赤外線衛星情報がきた瞬間に核で撃ち返すようになっています。最終判断はコンピューターに任せられませんから、必ずネブラスカの戦略軍司令官がワシントンの大統領に電話するわけです。大統領は「すぐに撃ち返せ」と言うでしょう。
 ところが、日本に向かって核が発射された場合はどうでしょうか。中国大陸から発射されたら、日本にはすぐに着弾してしまいます。すでに日本に核の被害が出た段階で、大統領は即時に撃ち返せと言うでしょうか。東京が核攻撃されればともかく、たとえば本土から離れた小さな島に威嚇のために小型戦術核が撃ち込まれた場合、アメリカ大統領は撃ち返せと言うでしょうか。
 © JBpress 提供 共著『核兵器について、本音で話そう』を上梓した兼原信克氏
 ドイツはこれが怖かったわけです。米国は「核の傘で守る」と言いますが、ドイツはその傘が薄すぎると主張し続けて、NATO核が生まれました。逆説的ですが、核兵器を持たずに前線に立たされる国の方が、緊張を上げる方にいくんです。「持っていないと始まっちゃうし、やられちゃう」という発想になる。だから抑止力を上げて緊張を高め、そうすることによって紛争が起きないようにする。それは冷たい平和の論理です。
 もし、台湾有事に際して、日本が中国から、「米軍に基地を使わせるな」「自衛隊は派遣するな」と核で恫喝されたら、時の総理は何と言うのでしょうか。日本が抜けたら、米国はアジアでは戦えません。時の最高指導者は、中国に屈服して日米同盟を終わらせるのでしょうか。それとも数百万人の国民の命を核の危険にさらしても参戦するのでしょうか。政治家がこの議論から逃げるのは、私は無責任だと思います。本番で「想定外」ということは許されない。
 「政治家はサーファーと同じ」
──『核兵器について、本音で話そう』の中でも、座談会の出席者で核共有への是非は分かれましたが、タブー視されてきた核問題の議論を交わすことの必要性では一致しました。
 兼原:核シェアリングを明日やれと言っているわけではありませんし、軽く実現する話でもありません。しっかりとした議論をすべきだということを指摘しているのです。
 政治家というのは、サーファーと同じです。波が来ないと乗りません。賛否両論、国民の世論が盛り上がってきて、初めて政治家は議論に乗り始めます。役人はさらに、その政治家の後をついていきます。ジャーナリズムを含めて真剣に議論してほしいと思います。
 一般の国民は、今日、いきなりこんな話を聞かされても判断できません。道玄坂NHKの記者が道行く人にいきなり聞いても、世論が出てくるわけではありません。国民の代表が右から左まで意見を出し合って、新聞もテレビも参戦して、1年、2年と国民的に議論が盛り上がって初めて、世論の方向性が見えてくるのです。国民に代わって議論するから代議士というのです。議論を始めることが、第一歩だと思います。
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 4月8日06:30 MicrosoftNews zakzak「日本の選択 日本にゼレンスキー大統領は現れるのか? わが国が亡国の危機に陥った時、祖国のために戦う
 ウォロディミル・ゼレンスキー氏が2019年、ウクライナ大統領に選出されたとき、いささかの失望を感じ、当惑せざるを得なかった。「職業に貴賎なし」とはいえ、まったくの政治、行政経験がない素人が、大統領の重責を担うことになったからだ。
 ゼレンスキー氏が人気を博したのは、「国民の僕(しもべ)」と題する政治風刺ドラマで破天荒な大統領役を演じたからだった。ドラマの中で立派な大統領を演ずることと、実際によき大統領として振る舞うことは異なる。子供でも理解できる道理であろう。
 だが、ウクライナ国民はドラマの中の大統領を、実際の大統領に選び出した。私は「衆愚政治の極みではないか」と考えたのだ。
 しかし、危機の際に本質は顕現する。ゼレンスキー大統領は類い稀(まれ)なる偉大な指導者だった。ウラジーミル・プーチン大統領率いるロシア軍の全面侵攻を受けて、米国から国外退避を勧められた際、彼は言下にこれを否定した。
 「戦闘が続いている。必要なのは弾薬であり、(退避のための)乗り物ではない」
 闘うウクライナ国民を、何よりも鼓舞した言葉だろう。
 仮に、ゼレンスキー氏が国外に逃げ出していたならば、ウクライナ国民の士気は消沈し、プーチン氏による傀儡(かいらい)政権が誕生していた可能性も否定できない。
 彼の不屈の闘志が、プーチン氏の野望を打ち砕いた。指導者の胆力が一国の運命を左右した好例といってよい。
 英国議会における演説も、掛け値なしで出色の出来だった。英国が誇る劇作家ウィリアム・シェークスピアや、名宰相ウィンストン・チャーチルの言葉を巧みに引用し、英国国民の心をわしづかみにした。
 『ハムレット』のあまりに有名な問い、「生きるべきか、死ぬべきか?」に対して、「われわれは生きるべきだ」と言い切ったゼレンスキー氏の意志は、多くのウクライナ国民の意志でもあったはずだ。
 誰が見ても、大国ロシアに侵略されたウクライナは不幸である。だが、彼の国の指導者、国民の闘う気概を目の当たりにして、「羨望の念」と「不安の念」がわが胸を去来した。
 果たして、わが国が亡国の危機に陥った際、ゼレンスキー氏のような胆識ある指導者が現れるのか。そして、わが国の国民は、かの国民の如く祖国のために闘う意志を持つことができるのか。
 敵が侵攻してきた際、逃げ出せばよいというのは1つの立場である。生命第一主義の考え方からすれば、それは正解なのだろう。だが、わが国の歴史に思いを致したとき、どれだけおびただしい人々が、わが国を守るために殉じていったことか。彼らの犠牲の上に平和で繁栄した日本がある。
 祖国の為に闘う人々は気高い。国民国家の常識を忘れたわが国の将来が不安である。
■岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。大和大学准教授などを経て、現在、一般社団法人日本歴史探究会代表理事。専攻は政治哲学。著書・共著に『「リベラル」という病』(彩図社)、『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』(イースト・プレス)、『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』(扶桑社)など。ユーチューブで「岩田温チャンネル」を配信中。
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