🕌2:─1─日本メディアはテロリストの主張を無責任に垂れ流して反省しない。~No.2 

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 2023年10月11日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮「テロリストの主張を垂れ流すメディアに反省はないのか その「共生」「共犯」関係に専門家が警告
 メディアとテロの「共犯関係」
 (左)山上徹也被告(右)銃撃を受け亡くなった安倍晋三元首相
 安倍晋三元首相が暗殺された後、容疑者の「背景」「生い立ち」「思想」についての報道が過熱したのは記憶に新しいところである。それはテロリストの狙い通りなのでは、といった声も無かったわけではないのだが、大量の報道の前にはかき消された。
 【写真を見る】銃弾に倒れ救急車へと運ばれる「安倍晋三元首相」
 その状況を見てか、事件から1年もたたないうちに岸田文雄首相が襲撃された。この時は容疑者の素性に加えて、メディアが注目したのは、最悪の事態になるのを防いだ地元の漁師たちだった。
 テロリストは常にメディアを利用し、メディアも数字を獲得するためにテロを活用する。
 両者は「共生関係」あるいは「共犯関係」にあるのではないか――そう指摘するのは、福田充・日本大学危機管理学部教授だ。福田氏は新著『新版 メディアとテロリズム』で、両者の不適切な関係にメスを入れている(以下、引用はすべて同書より)。
 (前後編記事の前編)
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 テロから始まるメディアスクラム
 そもそもテロリストの目的は何か。
「敵」と認定する対象を直接攻撃することに加えて、彼らが重視しているのは「宣伝」だと福田氏は指摘する。
 「テロリストやテロ組織は自分たちの政治的主張を世界に宣伝(プロパガンダ)するために事件を起こしてメディアを利用する。これがテロリズムという現象である」
 国内における直近の典型的な例であり、また「成功例」となってしまったのが、安倍元首相銃殺事件だ。山上徹也被告が攻撃したい対象は本来、統一教会であり、安倍元首相ではなかった。しかし、安倍元首相を標的としたことで、彼の主張は広く知られることとなる。
 「社会から注目を集め、メディアによって報道されることにより、自分の窮状を社会に知らしめ、社会から同情を集めることで、旧統一教会の問題にフォーカスがあたるように仕向けた。それが、山上被告が安倍元首相を暗殺した動機であると考えられている。
 事件後、テレビや新聞、ネットなどのメディアは、その後、山上被告の家族が経験した旧統一教会とのトラブルを連日報道し、その後、国会でも旧統一教会問題が議論され、宗教二世問題もクローズアップされることで、旧統一教会などのカルト宗教対策が重要議題化した。
 これこそが、山上被告が安倍元首相を銃撃するテロリズムを起こした目的である。こうした旧統一教会の社会問題化は、山上被告が望み、仕組んだものであった。メディア報道は、山上被告の捜査過程での供述によってコントロールされ、山上被告のテロリズムの目的達成に結果的に加担したのである」
 もちろんメディアの側は「真実」あるいは「事実」を伝えているに過ぎない、という立場であろう。しかし、「結果的に加担」した事実は否定できない。福田氏は、この関係性を「メディアとテロリズムの共生関係」と呼んでいる。
 「メディアは山上被告の思惑に加担しようと思わなくても、ジャーナリズムのその社会的使命として事件の背景を徹底的に取材して詳細に報道する。それによって山上被告が旧統一教会によってどんなに悲惨な人生を送ったか、その実態をメディアのオーディエンスに伝える重要な役割を果たす。
 その結果、多くの市民が山上被告に同情して、山上被告の減刑を訴える署名活動に大量の市民が賛同し、多額の支援金が集まった」
 たしかに山上被告の生い立ちは同情に値するものだろう。統一教会に問題があるのも事実である。しかしながら、それらはいずれも殺人を正当化するものではない、というのは常識のはずなのだが――。
 「これは、大義名分があれば、または追い詰められた個人であれば、暴力を用いて人を殺しても、情状酌量されるという日本的な伝統文化と深く繋がっている。安倍元首相を批判し続けてきた、『リベラル派』を自称する文化人たちの中にも、安倍元首相を批判する文脈で、この暗殺を正当化し、山上被告の行動を称賛するものも出て、大きな批判が生まれた。
 このようにテロリズムとは、社会や市民を巻き込んだ『劇場型犯罪』であり、テロリストが自分たちの政治的目的を達成するために実行する政治的コミュニケーションとみなすことができる」
 テロリストのインタビューは放送しない
 マスコミとテロリストは「共犯者」ではないか。あさま山荘事件アメリカ大使館人質事件、地下鉄サリン事件から直近の安倍晋三元首相、岸田文雄首相襲撃事件までテロの歴史を俯瞰し、“負のスパイラル”を脱する道を探る。大きな話題を呼んだ原著に大幅な加筆をした決定版 『新版 メディアとテロリズム
 テロリストの主張を広める可能性があるとしても「事実」を伝えるのがメディアの役割ではないか、という反論は可能だろう。実のところ、反政府運動などがすべて「なかったこと」にされる国は存在するが、見習うべき対象ではない。
 ただし、日本のメディアのこの問題への取り組みは、イギリスなどと比べて遅れているのも否めない。イギリスの公共放送局BBCは独自の報道ガイドラインを設けている。そのガイドライン11章「戦争、テロと緊急事態」では、テロ報道における注意点や方針が細かくまとめられている。たとえば――、
 「我々は他者(注・テロリストなど)が使用している言葉をそのまま使用すべきではない。裁判手続きでない場合には、彼らが使う『解放』『軍法会議』『処刑』などの用語の使用は不適切である。我々の使命は報道の客観性を維持することである」
 「ハイジャックや誘拐、人質拉致などの事件においては、我々はイギリス国内や海外において放送、出版されるものが犯人の目や耳に入る可能性があることを認識する必要がある。背景や影響を考慮した報道が重要であり、犯人によって得られる何ものに対しても、特に彼らが我々メディアに直接接触を試みた場合に対しても、倫理的な注意を払うべきである。犯人とは放送中にインタビューしない。犯人から得られたビデオや音声は放送しない。これらの事件を報道する場合には、警察をはじめ関係機関にアドバイスを仰がねばならない」
 いずれもテロリスト側の「宣伝ツール」となってしまうリスクを念頭に置いた方針である。
 ところが、日本ではこうした具体性のある方針を定めたメディアは極めて少ない。福田氏はかねてよりメディア側と政府側が話し合って、何らかのガイドラインを定めるべきだと提言しているが、そのようなことが実現しているとは言い難い状況である。
 従って、仮に宣伝を主目的としたテロが発生した場合、報道の名の下にテロリストのプロパガンダ機関となるメディアが登場してもおかしくないのだ。
 日本でこうした対策が遅れている一因は、「識者」にもある、と福田氏は指摘する。
 その真意とはいかに。(後編に続く)
 福田 充(ふくだみつる)
 1969(昭和44)年生まれ。日本大学危機管理学部教授、同大学院危機管理学研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門はテロや災害などメディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。
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 10月11日 YAHOO!JAPANニュース デイリー新潮編集部「自分たちは英雄ではなく被害者だ」 岸田首相襲撃事件で“活躍”した漁師が危機管理の専門家に訴えた意外な本音
 「自分たちは英雄ではなく被害者だ」 岸田首相襲撃事件で“活躍”した漁師が危機管理の専門家に訴えた意外な本音
 岸田文雄
 和歌山での岸田首相襲撃事件後、街頭演説する岸田首相(他の写真を見る)
 テロリストはメディアを利用して宣伝活動を繰り広げる。メディアは数字が稼げる「コンテンツ」としてテロ事件を活用する。これは「共生」あるいは「共犯」関係ではないか――そう指摘するのは、福田充・日本大学危機管理学部教授である。
 前編では、安倍元首相銃撃事件で被告のプロパガンダ機関と化した日本のメディアの実態、対照的に報道ガイドラインを持つイギリスのケースについて見た。
 テロなどの報道においては、政府とメディアの間で事前の取り決めなどがあってしかるべきだが、日本の場合、そうしたことを進める動きは鈍い。その背景には、左翼的な言論人が幅を利かせている日本ならではの特殊事情もあるようだ。以下、福田氏の新著『新版 メディアとテロリズム』をもとに見ていこう。(引用はすべて同書より)(前後編の後編)
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 マスコミとテロリストは「共犯者」ではないか。あさま山荘事件アメリカ大使館人質事件、地下鉄サリン事件から直近の安倍晋三元首相、岸田文雄首相襲撃事件までテロの歴史を俯瞰し、“負のスパイラル”を脱する道を探る。大きな話題を呼んだ原著に大幅な加筆をした決定版
 「危機管理」「有事」の議論を嫌った左翼勢力
 現代の日本人にとって、もっとも身近に感じられたテロ事件はオウム真理教事件だろう。1990年代中盤以降には、これ以外にも阪神淡路大震災北朝鮮不審船事件、拉致問題等々によって、平和ボケと揶揄された日本人の危機意識も一挙に高まっていく。
 それによって「危機管理」「有事」「テロ対策」といったキーワードも頻繁に用いられるようになった。
 実はそのこと自体、日本においては画期的な出来事だったようだ。というのも、こうしたテーマについて議論すること自体、白い目で見られるような風潮があったからだ。福田氏は次のように述べている。
 「(1990年代後半以降)、それまで、研究者が大学では決して口にすることさえできなかった『危機管理』、『有事』、『テロ対策』という言葉は日本においてはじめて研究対象として解禁された。
 一般社会においても日本国憲法戦後民主主義の名のもとに、『有事』という概念は戦争の準備を意味し、アジア近隣諸国を刺激するものとして、左翼勢力やメディアによってタブーとされ、『危機』や『テロリズム』を想定して対策すること自体が国家の統制を強化する危険思想と認識される時代が戦後長く続いた。
 これに漏れず、東京大学をはじめとする日本のほとんどの大学でも、20世紀中は『危機管理』や『テロ対策』は危険思想として禁忌されるべきタブーだったのである。警察政策学会とその一部会である『テロ対策研究部会』が発足したのは1998年のことであり、慶應義塾大学にグローバルセキュリティ研究所ができたのも2004年のことである」
 台湾有事といった言葉がテレビの情報番組でも用いられる現在しか知らない人には信じられないだろうが、当時はそのようなことを想定するだけで「右翼」などと言われかねなかった。小泉純一郎氏が訪朝するまでは、拉致問題を取り上げることを批判する勢力も存在していた。
 「危機」について想定し、準備することそのものを忌避する空気があったのだ。ところがオウム真理教その他の影響で、テロ対策は他人事ではない、という認識が強まってくると、急にメディアの論調に変化が生まれた。
 「それまで危機管理の言説を封じてきたいくつかの新聞やテレビなどのメディアが『なぜ日本は危機管理が遅れているのか』と政府や研究機関を批判したことは滑稽な現象であった。それを自覚できないようでは、日本のメディアはもう終わりである」
 日本の危機管理が遅れている理由の一つは言うまでもなく、メディアそのものにあったのである。
 安倍元首相銃撃事件報道の反省は
 木村隆二(岸田首相襲撃事件)
 安倍元首相銃撃事件から1年もたたないうちに模倣犯が…。岸田首相襲撃事件の木村容疑者(他の写真を見る)
 当時と比べてメディアのテロ報道の姿勢に変化は訪れたのだろうか。前編で見たように、安倍元首相銃撃事件での過剰に被告に寄り添った報道を見て、「反省なし」と思う方も多いことだろう。
 安倍元首相銃撃事件から1年もたたないうちに模倣犯が登場したことに、その影響を見ないわけにもいくまい。
 「木村容疑者がなぜ岸田首相を狙ったのか。自宅に引きこもりがちであった容疑者が、政治を志すようになり、政治家になるために選挙に立候補したいと、ある議員に相談したが果たせず、恨みを持ったという取材や一部の供述も報道された。この岸田首相襲撃事件の当日から、またメディアスクラムは発生した。連日、テレビや新聞はこの事件を報道し、社会は過熱した。その報道のパターンは、やはり1年前の安倍元首相銃撃事件と同様であった。
 SP(警護員)
 岸田首相襲撃事件の現場近くで警護にあたるSP(他の写真を見る)
 メディアが報道したのはやはり、木村容疑者が作った手製爆弾について、そしてその材料の購入の規制について、選挙期間中の要人警護、警備体制の問題についてであった。要人暗殺テロが発生したときの、メディア報道はすでにパターン化しつつある。要人暗殺テロの本質、根源的な問題に迫るものでは決してなかった」
 英雄ではなくて被害者だ
 和歌山市雑賀崎漁港
 事件の捜査のために漁港は一時閉鎖され、漁の再開までに何日も要した(他の写真を見る)
 福田氏は岸田首相襲撃事件の現場を訪れ、漁協関係者や事件当日現場にいた漁師の皆さんにインタビュー、ヒアリング調査を実施した。
 英雄のように取り上げられた彼らの口から出たのもまたメディアへの違和感であった。
 「この事件が首相を狙ったテロかどうかなんて自分たちにはどうでもいい。自分は目の前で起きたことに咄嗟(とっさ)に反応しただけだ。(略)
 テレビカメラに追い回されて、いろんなところから野次馬や見物客がやってきて。事件の捜査のために漁港は一時閉鎖されて、何日も、自分たちは漁に出られなくなった。漁に出られなかったら自分たちはおまんまの食い上げだ。
 その間の生活の保障は誰がしてくれるのか。
 自分たちは注目されて英雄扱いされているように思われているかもしれないが、自分たちこそ事件の被害者だ。そのことをテレビも新聞も誰も報道してくれない。記者さんが聞きたいことだけ聞いてきて、マスコミにとって都合のいいことばかり切り取って報道する」
 漁師は、福田氏が記者ではないと聞いたので話をした、自分たちの本音を社会に伝えてほしい、と言い添えている。
 この言葉は、テロ事件ですら数字を稼ぐ「コンテンツ」として消費してしまうメディアに向けられた本質的な批判と受け止めるべきではないだろうか。
 マスコミとテロリストは「共犯者」ではないか。あさま山荘事件アメリカ大使館人質事件、地下鉄サリン事件から直近の安倍晋三元首相、岸田文雄首相襲撃事件までテロの歴史を俯瞰し、“負のスパイラル”を脱する道を探る。大きな話題を呼んだ原著に大幅な加筆をした決定版
 福田 充(ふくだみつる)
1969(昭和44)年生まれ。日本大学危機管理学部教授、同大学院危機管理学研究科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。専門はテロや災害などメディアの危機管理。内閣官房等でテロ対策や危機管理関連の委員を歴任。
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