👹10:─4─反安倍派メディアは安倍元総理の国葬議論で民意を敵と味方に分断した。~No.44No.45 

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 現代日本には、第4勢力であるメディアが恣意的に作り出している見えない二項対立が存在する。
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 2023年10月11日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「安倍元総理の「国葬」議論が国を二分した理由 敵と味方を分断する政治手法がもたらしたもの
 安倍元総理大臣の襲撃、国葬、政治について池上彰さんが解説します(写真:時事)
 「大事なことは、過去の歴史の事象が、いまにどのようにつながってくるのかということを理解することです」という池上彰さん。大学での集中講義を基にまとめられた『池上彰の日本現代史集中講義』は、旧統一教会自民党の関わり、政治とメディアの関係など、戦後、現代の日本をつくってきたさまざまな事象を池上さんが現代史の観点から解説しています。今回は、安倍元総理大臣の襲撃、国葬、そしてその政治について、本書から一部抜粋・編集してお届けします。
■「国葬」が国を二分する議論に
 2022年7月8日午前、奈良市の駅前で街頭演説をしていた安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れました。歴代首相経験者のうち、襲撃されて命を落としたのは7人。前回は齋藤實(まこと)が青年将校に射殺された「二・二六事件」(1936年)であり、戦後では安倍氏が初めてのことです。
 参議院選挙の投票日を2日後に控えた応援演説中だったこともあり、事件直後は政治的なテロと結びつける報道が多く見られました。しかし、同日午後には「政治信条への恨みではない」と政治テロを否定する容疑者の供述を警察が発表しました。
 奈良県警は事件当日の夜、記者会見を開き、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相がこれとつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」という容疑者の供述を公式に発表しました。事件翌日には一部のネットメディアが「特定の団体」を旧統一教会(世界平和統一家庭連合)であると伝えました。参院選の翌日には、テレビ各局が旧統一教会を実名で伝えました。
 逮捕された山上徹也容疑者は「母親が入信し、教会への献金で生活が苦しくなり、恨んでいた」「教団のトップを狙おうとしたが難しく、つながりのある安倍元首相を殺そうと思った」という趣旨の供述をしました。
 教団が事件3日後に早くも記者会見を開いたことも刺激となり、報道の中心は旧統一教会に移っていきます。その結果、自民党を中心とする政治家と旧統一教会との癒着が次々に明らかになり、比較的支持率の高かった岸田政権は一気に逆風にさらされることとなりました。
 岸田首相は安倍氏の銃撃事件からわずか6日後の7月14日には、「国葬」を行なうと表明。同月22日には、9月27日に実施と閣議決定しました。これが国を二分する論議を巻き起こしました。
 実は国葬についての法律はありません。英国でもアメリカでも同様です。同年9月19日に執り行なわれたエリザベス英女王の国葬も、法律ではなく慣習にもとづくものでした。
 戦後の日本で首相経験者の国葬が行なわれたのは、吉田茂元総理のみです。吉田氏はサンフランシスコ講和条約や旧日米安保条約を締結しました。佐藤栄作などの政治家を養成し、「吉田学校」と呼ばれました。亡くなった時点では引退していたため、歴史的な評価が定まっていました。国葬にふさわしい実績と言えますが、このときも国葬の是非をめぐって議論がありました。
 佐藤栄作元総理が亡くなったときは国葬ではなく、「国民葬」という形になりました。沖縄返還を実現し、非核三原則を提唱してノーベル平和賞を受賞した実績があっても国葬ではなかったのです。
 安倍氏は史上もっとも長期にわたる政権を担ったとはいえ、現役の政治家であり、自民党の最大派閥を率いる存在でした。歴史的な評価が定まるのはこれからでしょう。安倍氏自身を含む自民党国会議員と旧統一教会の関係が連日報じられる最中だったこともあり、国葬に反発する声も上がりました。
 安倍元総理の国葬が国を二分する議論になった理由は、安倍氏が国民の賛否の分かれる政策を次々と実現し、支持する人・しない人がはっきり分かれていたこともあるでしょう。特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪法などを根強い世論の反対を押し切って成立させ、一途に憲法改正を目指す安倍氏の姿勢には、支持者たちが喝采を送った一方、批判する人たちは反発を強めました。
 敵と味方の分断は安倍氏の政治手法でした。
 印象的だったのは2017年7月1日、東京都議会議員選挙を翌日に控えた秋葉原駅前での街頭演説です。「安倍やめろ」と声を上げた聴衆を指差し、こう言ったのです。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」。
 演説を邪魔されて我慢できなくなった気持ちはわかりますが、一国の現役の首相にふさわしい言葉とはとても思えません。自民党に投票しない「こんな人たち」も有権者です。いざというときには国が守らなければならない国民なのです。
■「安倍一強」がもたらした分断社会
 日本よりも社会の分断が深刻なアメリカではトランプ政権が生まれ、敵・味方を明確に分ける政治手法でさらに分断が加速しました。
 2021年、ワシントンでの就任式の演説の中でバイデン大統領は「アメリカの大統領として、私に投票しなかった人のためにも、投票してくれた人のためにも、力を尽くします」と述べました。美辞麗句と言われるかもしれませんが、政治家が一度口にした言葉は、なかったことにはできません。
 国民を敵に回した「こんな人たち」発言翌日の都議選で、自民党は惨敗を喫しました。
 安倍氏が批判に対して敵意をあらわにする姿勢は、国会でヤジを飛ばした数の多さにも表れています。朝日新聞の調査によると、首相在任中の不規則発言は、議事録に残っている衆議院だけでも154回に上りました。民主党議員の質問中、「日教組!」「日教組どうすんだ!」と唐突なヤジを飛ばして、自民党の委員長からたしなめられたこともありました。「日教組=左翼」という昔ながらの世界観が垣間見られた言葉でした。
 意にそぐわない報道をしたマスコミもまた敵視の対象となりました。選挙特番で、他局の政治部の記者が立場上しにくい質問をぶつけた私も煙たい存在になったのでしょう。
■敵と味方を分け、批判に対して闘志を燃やした安倍元総理
 あるテレビ番組で安倍氏にインタビューを依頼した際、「忙しい」と断られたことがあったのですが、同じ時間に別の局のバラエティー番組には出演していました。ちなみにその時、石破茂氏は応じてくれました。厳しい質問をされることがわかっていても逃げない人だとわかりました。
 敵と味方を分け、批判に対して闘志を燃やす。これは安倍元総理の一貫した姿勢でした。
 「初当選して以来、わたしは、つねに『闘う政治家』でありたいと願っている」
 首相になる直前の2006年7月に刊行された著書『美しい国へ』(文藝春秋)の冒頭にそう記されています。「闘う政治家」とは「ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家」(同書)のことです。
 この『美しい国へ』には安倍氏が何を目指して闘うつもりなのか、その政治思想が明らかにされています。戦後最年少の52歳で内閣総理大臣に就任し、歴代最長となった3188日におよぶ在任期間の中で、安倍氏が目指したものは「戦後レジームからの脱却」というスローガンに集約されます。
 「レジーム」というのはもともとフランス語で「体制」を意味します。「アンシャン・レジーム」(旧体制)と言えば、フランス革命以前の絶対王政の社会・政治体制のことです。
 日本のことが好きだという安倍氏がなぜ「戦後体制」などの言葉ではなく、「戦後レジーム」という、一般になじみのないカタカナ言葉を使ったのかは不思議ですが、わざと直接的な表現を避けた可能性はあります。
 戦後レジームからの脱却とはこんな歴史観です。
戦後レジームからの脱却
  日本は敗戦後、アメリカが主導するGHQ(連合国軍総司令部)により占領されました。二度と軍国主義に走らないように、軍隊を解散させられ、戦争を放棄する憲法を押し付けられました。東京裁判では「平和に対する罪」として東條英機など28名がA級戦犯と断罪されました。こうしたアメリカが作ってきた日本の姿から脱却し、自らの手で真の独立国としての姿を取り戻したい。そのためには自主憲法を制定し、自衛隊国防軍にしなければ。
 しかし、こうした考え方をストレートに「戦後体制からの脱却」とうたってしまうと、日本が降伏を受け入れたポツダム宣言サンフランシスコ講和条約を否定することにつながりかねません。日本独自の路線を突き詰めれば「脱アメリカ」に行き着きます。アメリカから見れば「アメリカが作ってきた体制を否定するのか?」、他国からも「軍国主義の時代に戻ろうとしているのか?」と警戒されるでしょう。
 そこでわざと抽象的な表現をすることで外交上のトラブルを避けようと意図したと考えられます。
 スローガンは漠然としていましたが、在任中の安倍総理は着々と「戦後レジームからの脱却」を推し進めました。経済再生(アベノミクス)で国民の支持を得て選挙に勝ち、憲法を改正し、自衛隊国防軍にするというのが大きな流れでした。
 池上 彰 :ジャーナリスト
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