🎷112:─1・A─櫻井よしこ氏の「あなたは祖国のために戦えますか?」に批判殺到。大炎上。~No.431 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人と言っても、現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 現代の日本人が尊敬する歴史上の偉人を熱く語っても、言葉だけで空虚であり、虚しいだけである。特に、戦争をしてでも日本を守ろうとした吉田松陰阿部正弘坂本龍馬西郷隆盛高杉晋作土方歳三福沢諭吉渋沢栄一などの江戸時代後期・幕末期・明治期の人々を語る資格はない。
 現代の日本には、伝統文化としての心や志、さらには武士道精神、百姓根性、職人魂、商人気質も存在しない。
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 2024年1月21日17時33分 中日スポーツ櫻井よしこさん『あなたは祖国のために戦えますか』投稿が物議 「自分は戦場に行く気もない人間が…」批判の声も
 ジャーナリストの櫻井よしこさん(78)による安全保障に関するSNS発信が、ネットで議論を呼んでいる。
 櫻井よしこさん
 櫻井さんは19日、自身のX(旧ツイッター)に「『あなたは祖国のために戦えますか』。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです」と投稿。その上で「元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました」と記し、自身が携わっているインターネットテレビの同授業を扱ったコンテンツを紹介した。
 しかし、この投稿には「自分は戦場に行く気もない人間がこういうことを言うんだよね」「老人が若者を煽ってはいけません」「祖国のためではなく、権力者のために血を流すことに若者も年寄りもNOと言っているのです」などと批判的なコメントが目立つ。「それは突然、そんなことを聞かれたらNOっていうだろうな」という冷静な指摘や、このところの政治不信から「その素晴らしい授業を是非、現在の与党に100分×28回受講する様に薦めましょう」と勧める声もある。
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 1月27日 言論ビデオン Vol.38 会員限定「大反論!「あなたは祖国のために戦えますか?」
 【櫻井よしこの主張】 
 『あなたは祖国のために戦えますか?』という問いかけにXに沢山のご意見をいただきました。
 私は先週、この場で元空将の織田邦男さんの安全保障論の授業を紹介しました。織田さんは40年近い自衛官としての一生をふりかえり、一度も戦争をせずに退官できたこと、つまり戦争を抑止できたことを誇りとしている人です。この人が学生たちに国家というものの存在を教えています。国があるからといって永続するものではない。それは国民が大事に守らなければ滅びてしまう存在だということです。国、国民の生活、文化、家族などを守るにはどんな努力がいるのか。一人一人に何ができるのかなどを教えているのです。
 今は日本が戦争しに外に行く時代ではなく、戦争が向こうからやってくる時代です。織田さんは学生たちに一人一人が国防に果たせる役割を説きました。学年の半分が終了する頃には、学生の圧倒的多数が国を守るために自分の出来ることをしなければならないと納得するというのです。
 こういう内容を、私は先週語りました。それを「あなたは祖国のために戦えますか」と問いかける短い文章にしてXに上げました。
 それに対して女性雑誌やスポーツ新聞などが激しい言葉で反論してきました。
 《先ず櫻井よしこよ、お前が銃を持ち先頭切って戦いに行け》《櫻井よしこ、お前が率先して行け。人の命を軽んじるな!!》」などと書いています。
 「『自分は戦場に行く気もない人間がこういうことを言うんだよね』『老人が若者を煽ってはいけません』『祖国のためではなく、権力者のために血を流すことに若者も年寄りもNOと言っているのです』」とも書いています。
 どの人も私の「今週の出来事」の10分前後のコンテンツを見ていないで発信していると思われます。本でいえば中を読まずに、帯の宣伝文だけを見て批判しているようなものです。人の主張に耳を傾けもせず読むこともありません。その分彼らの批判は好い加減です。
 たとえば外交で解決せよという方がいますが、ウクライナの現状を見ているのでしょうか。
 繰り返しますが、今は日本が戦争を仕掛ける時代ではないです。日本人は決して戦争を仕掛けはしません。私も皆さんも戦争は避けなければならないと強く考えているはずです。でも日本が望んでいなくても戦争が向こうからやってくるのが今の時代です。
 たとえば中国です。北朝鮮です。ロシアだってそうでしょう。
 そのときにどうするか、一人一人何ができるか考えましょうというのが私の言っていることです。自分のこと、家族のこと、古里のこと、国のこと、そうしたものをひっくるめた日本を守るためにそれぞれの人がそれぞれの立場で、何ができるか考えましょう。
 このような私の主張を読むこともなく、Xで批判する人々が結果として人々の考える力を削いでいくのではないでしょうか。
 そのような人たちを操るかのように問題を曲げ、さらに大きくする左のメディアこそ、最も卑怯な存在だと私は思います。
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 2月5日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
 神立 尚紀
 私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日本人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。今回は、SNS上で物議を醸した櫻井よしこ氏の「あなたは祖国のために戦えますか」とのX(旧Twitter)のポストをふまえつつ、そのなかの一章をリライトした。
 「あなたは祖国のために戦えますか」
 1月19日20時15分、保守論壇の評論家でジャーナリストの櫻井よしこ氏がX(旧Twitter)に投稿した、
 〈「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。〉
 というポストが物議をかもし、「炎上」状態になったのは記憶に新しい。
 「祖国のために戦えるか」という問いは「祖国のために死ねるか」とほぼ同義だと解釈できる。だとすれば、いきなり「死ねるか」と問われてNOと答えるのは若者ならずとも当然であろう。
 もっとも、これは昭和49(1974)年公開の東映映画『あゝ決戦航空隊』のキャッチフレーズに「若者に問う!君は国のために死ねるか!?」(現在のDVD版パッケージでは「若者に問う!君のこころに祖国はあるか!?」と改変されている)とあったように、何10年も前から使い古されたフレーズではある。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
 © 現代ビジネス
 桜井氏のポストを見て、私は、かつてインタビューした旧軍人、遺族のなかで、特に印象に残っている故門司親徳・元海軍主計少佐(1917-2008)の言葉を思い出した。
 「安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の大教訓」
 というものである。
 門司の言葉には、壮絶な実体験が色濃く反映している。
 トラック大空襲
 80年前の昭和19(1944)年2月17日から18日にかけて、中部太平洋における日本海軍の一大拠点・トラック島(現・チューク諸島。環礁と248もの島々からなるが、当時はこれらを合わせてトラック島と呼んでいた)が、米海軍の機動部隊艦上機の大規模な空襲を受け、基地機能を喪失するほどの損害を被った。
 艦上攻撃機「天山」を主力とする第五五一海軍航空隊(五五一空)主計長としてトラック空襲に直面し、のちにフィリピンで「特攻の生みの親」とも称される大西瀧治郎中将の副官として特攻の一部始終を見届けた門司は、
 「『特攻』を語るならば、必ず、トラック大空襲から語り起こさないといけない」
 と、しばしば口にしていた。門司は、東京帝国大学から「短期現役主計科士官」として海軍に入り、空母「瑞鶴」乗組で真珠湾作戦に参加したのを皮切りに、呉鎮守府第五特別陸戦隊でニューギニア・ラビの敵前上陸に参加、敵軍との交戦で壊滅状態になった部隊をまとめてラバウルに後退するなど各地を転戦。トラック島空襲当時は主計大尉だった。東京帝大-海軍の同期には鳩山威一郎氏(元外務大臣)、中曽根康弘氏(元総理大臣)らがいる。戦後は日本興業銀行勤務を経て丸三証券社長をつとめた。
 「太平洋戦争は、真珠湾マレー半島への日本軍の奇襲攻撃、それに続く快進撃に始まり、ミッドウェー海戦の敗戦でその勢いが止まり、ガダルカナル島失陥からは完全に守勢に転じた。それでもなんとか必死の防戦で重要拠点は守り通してきたのが、トラック空襲を境に、敵を迎え撃つことすらままならなくなった。あとは、坂道を転がり落ちるだけです。神風特別攻撃隊の出撃まで8ヵ月。この間の戦争の推移が、そのまま特攻隊に自然につながってゆくように、私には思えてならないんです」
 昭和19年2月15日、トラック島の第四艦隊司令部が敵機動部隊の無線を傍受し、索敵機2機も未帰還になったことで、トラック全島に緊張が走った。近海に敵機動部隊がいると判断した司令部は、2月16日午前3時30分、トラック方面の各部隊に、戦闘配備にあたる「第一警戒配備」を下令した。隊員たちはそれぞれ戦闘配置につき、飛行機は燃料、機銃弾、あるいは爆弾、魚雷を積載し、敵艦隊発見の報告があればただちに出撃できる状態で待機する。
 「ところが、この警戒配備が、なぜか解除されたんです。敵機動部隊が近くにいるのはわかっているのに、変だな、とは思いましたが」
 飛行場に待機した零戦の機銃弾は、上空哨戒につく数機を残しておろされ、攻撃機の爆弾や魚雷もはずされた。非番の者には外出も許された。
 そして2月17日――。
 「早朝、まだ仮設ベッドに寝ていたわれわれは、突然の『空襲警報!』という声に飛び起きた。空はもう明るくて、よく晴れていました。その空を見上げて飛行隊長・肥田真幸大尉が、『グラマンだ!』と叫んだ。指さす方向を見ると、敵の艦上機はすでにトラック上空に飛来している。完全に奇襲を食った形になりました」
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
 © 現代ビジネス
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 警戒配備が解かれていたので、トラック島の零戦隊の大部分は機銃弾も積んでいなかった。やがて燃料、機銃弾の準備のできた零戦から順に離陸し、敵機を迎え撃ったが、離陸直後の不利な態勢を襲われ、被弾して火を吹き墜ちるものも多かった。
空襲は翌2月18日も続いた。撃沈された日本側艦船は、艦艇10隻、船舶33隻にのぼり、そのほか12隻の艦船が損傷した。まさに真珠湾攻撃のお返しをされたかのような大損害で、失われた飛行機は、南方の戦線へ補充するため基地に保管されていた機体もふくめ、約300機にのぼる。
 こうして、トラックは、海軍の拠点としての機能を事実上失った。壊滅したトラックに戦力を補充するために、最前線ラバウルに展開していた航空部隊はすべてトラックに引き揚げさせることになり、2年間にわたり南太平洋の最前線基地として、ソロモン諸島ニューギニアからの米軍の侵攻を食い止めてきたラバウルも、ついにその戦力を失った。これは、海軍が、南太平洋での戦いを事実上放棄したということでもあった。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 一連の敗戦
 門司の瞼には、トラックの環礁内で、敵機の爆撃を受けて火焔を上げる油槽船や、みるみるうちに沈んでゆく貨物船の姿が焼きついた。晴れた空と青い海がひどく澄んでいて、そこで繰り広げられる一方的な殺戮が、ことさら凄惨な光景として胸にこたえた。
 夜になって、緊張と不安のなか、空襲を敵上陸の前触れと早合点した司令・菅原英雄少佐が玉砕(全滅)命令をくだした。
 「我が隊は最後の一兵までこの島を死守し、玉砕する」
 というのである。門司が司令に、
 「玉砕は戦った結果だから、ここは、あくまで戦えと言うべきですよ」
 と食ってかかる。司令もふと我に返って、もっともだと思ったらしく、
 「この期に及んでも帝大出は理屈を言う。こんどからはそうしよう」
 と言い、一瞬、その場の緊張がほぐれたと、飛行隊長だった肥田真幸・元大尉は回想するが、敵が上陸してくれば、いずれ全滅するのは間違いない。隊員たちは「えい、クソ!」と、簡単に玉砕の覚悟を決めた。
 ところが、米軍はトラックには上陸してこなかった。もはや戦力を失ったトラックは捨ておいて、次なる目標に向かおうとしていたのだ。
 このとき、敵機動部隊が近くにいるのがわかっていながら警戒配備を解いた理由について、公刊戦史の『戦史叢書』に書かれていない、しかし門司をはじめ現場にいた将兵のあいだで広く知られていた「公然の秘密」がある。それは16日晩、痔疾のため内地に送還される第四艦隊司令長官(トラック島最高指揮官)小林仁中将の歓送会があり、主要指揮官がそこに出席、17日未明に奇襲を受けたときにはそれぞれが芸者と寝ていて、自分の島に帰れなかったというものである。しかも、せっかく出された警戒配備を解除したのは、この宴会のためだったという。この日の空襲で、芸者6人も爆死した。警戒配備が敷かれ、防空壕に入っていたら助かった命だった。
 日本国内で、軍令部を中心に「人間を乗せた体当り兵器」(特攻兵器)の開発がスタートしたのは、トラック空襲の直後のことである。
 門司はその後、昭和19年7月に前線の基地航空部隊の主力である第一航空艦隊(一航艦)副官となり、フィリピン・ダバオに司令部を置く一航艦に着任した。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
 © 現代ビジネス
 すでに6月15日には米軍がサイパン島に上陸している。サイパンテニアンを敵に奪われたら、東京をふくむ日本本土が、米軍が新たに開発している大型爆撃機ボーイングB-29の攻撃圏内に入る。いわば、将棋でいえば詰んだも同然になる。ところが、6月19日から20日にかけて、日米の機動艦隊が激突した「マリアナ沖海戦」と呼ばれる戦いで、日本側は見るべき戦果を挙げられないまま、空母3隻と搭載機のほとんどを失い、大敗を喫していた。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 門司がいたダバオも、昭和19年9月9日から10日にかけ、米機動部隊艦上機による大空襲を受けた。
 10日朝、見張所からの「敵水陸両用戦車二百隻陸岸に向かう」との報告に、浮き足立った根拠地隊司令部は、「ダバオに敵上陸」を報じ、一航艦司令部もそれにつられる形で混乱を起こした。折あしく一航艦では、敵機の夜間空襲による損害を防ぐため飛行機をフィリピン各地に分散していて、ダバオにはこの日、飛べる飛行機は一機もなく、敵情については見張員の目視に頼るしかなかった。
「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 司令部は玉砕戦を覚悟し、敵上陸に備えて通信設備を破壊、重要書類を焼却するが、10日の夕方になって、第一五三海軍航空隊飛行隊長・美濃部正少佐が、修理した零戦で現地上空を偵察飛行してみたところ、敵上陸は全くの誤報であることがわかった。見張員が、海面の白波を水陸両用戦車が来たと見間違えたのだった。これは、昔、平氏の軍勢が水鳥の羽ばたく音を源氏の軍勢と間違えて壊走した「富士川の合戦」を思わせることから、「ダバオ水鳥事件」と呼ばれる。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 敵機動部隊は9月12日、こんどはセブ基地を急襲する。ダバオに敵上陸の誤報で、敵攻略部隊に備えてセブ基地に集中配備された第二〇一海軍航空隊零戦隊は、この空襲で壊滅的な損害を被った。「水鳥事件」で司令部が通信設備を破却してしまっていたので、その後の分散指示が出せなかったのだ。フィリピン決戦に向けて用意されていた虎の子の零戦は、こうして戦わずして戦力を失った。「セブ事件」と呼ばれる。
 この一連の不祥事で、一航艦司令長官・寺岡謹平中将は在任わずか2ヵ月で更迭され、後任の長官には大西瀧治郎中将が親補された。
 特攻の始まり。大西瀧治郎中将
 大西がフィリピンに赴任する途中の10月12日、台湾は艦上機による大規模な空襲を受け、同日、九州・台湾・沖縄を管轄する第二航空艦隊(二航艦)司令長官・福留繁中将は指揮下のT攻撃部隊に対し、敵機動部隊への総攻撃を下令した。
 総攻撃は10月12日から16日にかけ、総力を挙げて行われ、空母10隻撃沈、8隻撃破などの「大戦果」が報じられたが、16日になって索敵機が、撃滅したはずの敵機動部隊が無傷で航行しているのを発見した。日本側の戦果判定の多くは、薄暮から夜間にかけての攻撃で、味方機が被弾炎上するのを敵艦の火災と誤認したものであった。「台湾沖航空戦」と呼ばれるこの戦いで、日本側が失った飛行機は約400機。沈没した米軍艦艇は1隻もなかった。
 昭和10月17日、米軍攻略部隊の先陣は、レイテ湾の東に浮かぶ小さな島、スルアン島に上陸を開始した。いよいよ、敵の本格的進攻が始まったのだ。
 大西中将が、ダバオから一航艦の司令部が移転したマニラに飛んだのは、10月17日午後のことである。その晩、寺岡中将と大西中将との間で、実質的な引継ぎが行われた。辞令上は、大西の一航艦長官就任は10月20日付だが、この時点で指揮権は大西に移ったと考えて差支えない。
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 18日の夕刻、連合艦隊司令部がフィリピン防衛のため、「捷一号作戦発動」を全海軍部隊に下令した。作戦によると、栗田健男中将率いる戦艦「大和」「武蔵」以下、戦艦、巡洋艦を基幹とする第一遊撃部隊が、敵が上陸中のレイテ島に突入、大口径砲で敵上陸部隊を殲滅する。戦艦「扶桑」「山城」を主力とする別働隊と、重巡洋艦を主力とする第二遊撃部隊が、栗田艦隊に呼応してレイテに突入する。その間、空母4隻を基幹とする機動部隊が、囮(おとり)となって敵機動部隊を北方に誘い出す。基地航空部隊は全力をもって敵艦隊に痛撃を与える。……まさに日本海軍の残存兵力のほとんどを注ぎ込む大作戦だった。
 だが、航空部隊が敵艦隊に痛撃を与えようにも、フィリピンの航空兵力は、10月18日現在の可動機数が、一航艦の35~40機、陸軍の第四航空軍約70機しかなく、台湾から二航艦の残存機230機を送りこんでも、あわせて約340機に過ぎなかった。
 大西中将は、一航艦のわずか数10機の飛行機で、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援し、成功させなければならない。そこで、敵空母を撃沈できないまでも、せめて飛行甲板に損傷を与え、1週間程度使用不能にさせることを目的に採られた戦法が、250キロ爆弾を搭載した零戦もろとも体当り攻撃をかける「特攻」である。
 一航艦で編成された最初の特攻隊は、関行男大尉を指揮官に、10月21日を皮切りに出撃を重ね、25日、初めて突入、敵護衛空母を撃沈するなどの戦果を挙げた。だが、特攻隊や囮部隊の犠牲を裏切るかのように、栗田艦隊はレイテ湾突入を断念、敵上陸部隊を目前にしながら反転し、作戦は失敗に終わった。だがここで、延べわずか10機の爆装零戦による体当たり攻撃が、栗田艦隊による砲撃戦を上回る戦果を挙げたこともあり、以後、特攻は恒常的な戦法として続けられるようになる。
 門司は言う。
 「中央で特攻が既定路線となっていたことを知ったのは戦後のことですが、いずれにしても、ずっと前線にいた目から見ると、トラック空襲で第四艦隊司令部が見せた失態が尾を引いて、その挙句に特攻に行きついた面があることは間違いない。
 そしてレイテ沖で日本海軍は艦隊の大部分を失って、その後はずっと特攻こそが唯一の戦法であるというふうになってしまった。込み入った作戦を考える必要がないから、自分が出撃する立場にない軍令部作戦部の部長や参謀にとっては楽だったのではないか。ただ、そうなれば参謀など必要ありません。
 新聞やラジオも特攻隊員を『軍神』と褒めそやし、しまいには『一億特攻』などというスローガンが掲げられるようになった。『一億特攻』と言いますが、仮に日本人が最後の1人まで特攻で死ねば、いったい誰が日本を守り、天皇陛下をお守りするのか。米軍の庇護のもとに存続するのか、あるいは日本という国は亡びるのか、そんな当たり前のことを考える余裕もない集団ヒステリー状態に導いてしまっていたわけです」
 特攻作戦を推進した中島正中佐
 1月25日配信の記事(「俺は死ぬ係じゃないから」…特攻作戦を採用した男が、終戦直後に言い放った「衝撃的な言葉」)でも述べたように、特攻を採用したり、命じる側にいた「上層部」の将官や参謀で、自ら責任をとって自決したのは大西瀧治郎中将だけだった(宇垣纒中将の、部下を道連れにした私兵特攻はのぞく)。
 フィリピンの第一線で特攻を推進し、多くの若者を死地に追いやった指揮官の1人に、二〇一空飛行長だった中島正中佐(1910-1996。戦後、航空自衛隊で空将補)がいる。中島は、亡くなる前年の平成7(1995)年、私の電話インタビューに、
 佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 「もう全部忘れた。零戦のことも特攻のことも」
 と答えたが、同年、イギリスの国営放送BBCのドキュメンタリー番組「KAMIKAZE」に出演、そこでは特攻に関して、
 「誰も志願してくれなかったらどうしようと思っていたら志願してくれてよかった」
 「私は世話役なもんだから(特攻隊員に)なれないわけですよ。あと空戦の腕のいいのも、特攻機を守ってもらわなきゃならんから出さなかった」
 などと、日本で放送されない前提の番組だったせいか、悪びれることなく笑顔で語っている。中島は最初から「督戦側」すなわち「安全地帯」に身を置いていた。同じ「航空隊飛行長」の立場でも、
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 「うちの隊にはいっぺんこっきりで死なせるような部下は1人もおりません」
 と特攻要請を断った二〇三空飛行長・進藤三郎少佐や、軍令部参謀から三四三空司令となった源田実大佐に、
 「どうしてもというのなら私が第一陣を率いて出撃します。最後には司令も行ってくださいますね?」
 と詰め寄って断念させた三四三空飛行長・志賀淑雄少佐のような例もある。
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 中島中佐も、もとはベテランの戦闘機乗りだったのだから、部下に命じるときにまず、
 「俺が手本を見せてやる」
 と、真っ先に出撃していれば後世の評価も違っていたかもしれない。
 門司は言う。
 「自分は行く立場にない、死ぬ係じゃない。……それが中央でも前線でも、特攻で部下に死を命じた側の多くの本音だったのでしょう。自分が死ぬ立場なら、命令のあり方も違ったかもしれない。――そんなこともあって、『安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争(太平洋戦争)の大教訓』だと思っています」
 第一線で、身をもって戦争を体験した人がほとんど鬼籍に入ったいまこそ、この言葉を噛みしめるべきときなのではないだろうか。
 『安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争(太平洋戦争)の大教訓』
太平洋戦争で、230万名にものぼる将兵や軍属、準軍属が戦死、あるいは戦病死し、30万の一般邦人が命を落としたとされているが、その多くはいまなお遺骨すら還っていない。遺族への扶助料も、敗戦とともに空証文と化し、昭和27(1952)年の第十三通常国会で、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が可決、成立するまでは1円の援助もなかった。しかも、50万人もの死者を出した民間人の空襲被害者に対しては米一粒、柱一本の補償もしてこなかったのが先の大戦における「祖国」である。
 海の向こうのアメリカでは、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』などで知られる映画監督・俳優のクリント・イーストウッドが、
 「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
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 「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから」
 と言っている。これは歴史を踏まえた上での至言だと思う。同様に、「祖国」を持ち出して若者に「戦う覚悟」を問う者にも惑わされてはならない。彼ら、彼女らは決まって戦場に行かない者たちなのだから。
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 東京大学法学部学生「憲法九条を盾に日本は『戦争をしません』といって白旗をあげればよい。そうした方が物理的な被害も少ない。国をうしなう事になるが、それでも構わない」
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 問い、日本がウクライナと同じ状況になったら戦いますか、戦いませんか。
 約500人の大学生の回答、88.9%が「戦わない」と回答。
 「戦わない、なぜなら自分の命が惜しいから。もしそんな事が起きたら他国に逃げると思う。安全な場所に行こうと思う」
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 日本国は命を賭けても守るに値する国だが、命令に従って命を捨てられる程の政治家や官僚などのリーダーが日本にはいない。
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2024-02-05
⏱20:ー3ー日本のエリート学生が「まるで中国政府のスポークスパーソン」~No.61
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 人類史。歴史的事実として、国家や民族には生物と同じように寿命があって国家は滅亡し民族は死に絶える。
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 中国共産党は、日本に対して「孫子の兵法」を仕掛け、日本を親中派媚中派、反米派・反安保派を利用して内部から崩壊させようとしている。
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 日本を動かしているのは、超難関校を優秀な成績で卒業した高学歴な政治的エリートと進歩的インテリ達である。
 彼等が、エセ保守やリベラル左派で、メディアや教育で活動している。
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 左傾化した日本の大学では言論弾圧が行われ、リベラル左派学生は中国・北朝鮮・韓国に対する批判討論会を威圧で潰している。
 日本人青年の間で、反宗教無神論・反天皇反民族反日が浸透している。
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 少子高齢化で人口が激減する日本は、大量移民を受け入れて、単一民族国家から多様性移民国家に生まれ変わり、日本から民族主義愛国心も忠誠心も消え去る。
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