🏋04:─3・C─旧日本軍の失敗から今こそ学ぶべき、現代日本企業の「失敗の本質」とは。~No.43 

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 昔も現代でも日本を動かし成功と失敗を繰り返しているのは、超エリート層と言われる超難関校出の高学歴な政治的エリートと進歩的インテリ達である。
 大正時代以降の超エリート層とは、反宗教無神論マルクス主義者の事である。
 日本人は、何時の時代でも同じような事を繰り返している。
 行ってはならないという事が分かっていながら、行きたいという好奇心につられてしまう。それは、あたかも火の中に飛び込む蛾のように。
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 2024年5月1日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「旧日本軍の失敗から今こそ学ぶべき、現代日本企業の「失敗の本質」とは
 及川卓也
 組織論の名著として名高い『失敗の本質』。日本企業が学ぶべき教訓とは(写真はイメージです) Photo:PIXTA
 © ダイヤモンド・オンライン
 マイクロソフトやグーグルでエンジニアとして活躍し、複数の企業で技術顧問を務める及川卓也氏が、組織論の名著として薦める『失敗の本質』。「現代の組織にとっても学ぶところが多い」というその本のポイントを、及川氏が分かりやすく解説する。
 日本軍の組織的欠陥に
 「失敗の本質」を学ぶ
 前回記事『新社会人に薦める珠玉の3冊、活字の達人が「人生を変える読書法」を手ほどき』でお薦めした『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(以下、『失敗の本質』)は、私が10年以上、何度も読み返してきた1冊です。
 『失敗の本質』はタイトル通り、第2次世界大戦中の日本軍の組織について、戦史と組織論を専門とする計6名の研究者が著した研究の書。ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦を取り上げています。初版は1984年で、ダイヤモンド社から発行されました。
 組織としての日本軍の失敗を、現代組織の反面教師として活用することを目的に書かれた本書は、大東亜戦争(本書では戦場が太平洋地域に限定されていなかったという意味で、あえてこの呼び方が使われています)を通じて明らかになった非合理的かつ非効率な行動の背景に組織的な欠陥があり、これが日本の敗戦を招いたと論じます。
 著者の1人で組織論を専門とする経営学者の野中郁次郎氏は、本書執筆のきっかけについて後年、「日本企業のケーススタディをもとにした研究を進めるうち、成功例だけでは一面的になると失敗例を探したが、企業からの協力が得られなかった」と振り返り、「日本軍の失敗の研究ならできるのではないか」との助言を得て、調査を進めるために防衛大学校へ移籍した経緯を明かしています。
 今の現役世代にとっては第2次世界大戦は遠い過去、歴史の中の出来事にすぎないかもしれません。しかし、この本は純粋に読み物としても面白く、幅広い読者にお薦めできる書物です。
 明確な目的を持つ米軍
 目的のブレが目立つ日本軍
 ここからは、太平洋戦争における日本軍失敗の組織論的要因について、現代日本の企業・組織と照らし合わせながら読み解いていきましょう。
1つ目は「目的のブレ」です。
 日本海軍・軍令部の戦略は短期決戦を目指し、太平洋を越えて来る米国艦隊を日本近海で迎え撃って、艦隊決戦によって一挙に撃破することを企図していました。計画の背景には、日本の海軍力拡張を抑制しようとする国際的な圧力があります。ワシントンおよびロンドンの海軍軍縮条約に批准したことで、日本は主力艦の保有数を制限されていたのです。
 しかし、実戦部隊の最高指揮官である山本五十六連合艦隊司令長官は、積極的な作戦思想を持っていました。山本長官は、攻撃の時期や場所を決めて来攻できる優勢な敵に対し、劣勢な立場での防御戦では勝利が望めないと考え、敵に対して自主的かつ積極的な作戦を展開することを主張。その最たる例が、1941年の真珠湾奇襲攻撃です。山本長官の目的は、敵の不意をついて初動で圧倒し、続く攻勢で米国の士気を喪失させ、結果として優位な講和条件を引き出すことにありました。
 いずれも「有利な講和に持ち込む」という目的は共通していましたが、この2つには根本的な思想のブレがあり、それがその後も続いたのです。
 対する米国には、日本本土の直撃、直接上陸作戦による戦争終結という共通した明確な目的がありました。米国の対日戦略の基本を定めた「オレンジ計画改訂案」は、長期戦と大きな犠牲を予測。西大西洋のマーシャルおよびカロリン諸島を起点に日本の委任統治領を逐次攻略し、補給線を確保しながら徐々に進攻することを想定していました。歴史を後から振り返ると、実際この通りのプロセスを経ています。
 現代の日本企業にも
 見られる目的のブレ
 日本軍は各作戦においても目的が不明瞭で、現場に徹底されていませんでした。
 ミッドウェー作戦には、ミッドウェー島攻略と誘い出した敵艦隊の駆逐という2つの目的がありました。山本長官は後者を真の目的としていたようですが、現場指揮官の南雲忠一第一航空艦隊司令長官は、ミッドウェー攻略を重視。この目的の食い違いに加え、米国の攻撃機の襲来時期をミッドウェー島攻略の後と予想していたため、空母の航空機は陸用爆弾に転換作業中であり、被害が増大しました。
 レイテ沖海戦においても、米上陸軍の補給を断つため輸送船団を攻撃することが目的であったにも関わらず、栗田健男司令官率いる連合艦隊主力が日本軍の伝統的な艦隊決戦に固執し、中央部の意図と異なる行動を取っています。
 一方、米国は目的が明確でした。ミッドウェー作戦では、目的を日本の空母に限定。太平洋艦隊ニミッツ司令長官は、「空母以外には手を出すな」と厳命していました。ミッドウェー戦について、ニミッツ長官は回顧録で「日本の失敗の原因は2つの目的を持っていたことだ」と振り返っています。
 さて、今日の日本企業においても、このような目的の不明瞭さや、マネジメントと現場との間の理解の不一致による目的のブレは見受けられます。
 よくある例は、新規事業自体の成功を期待しているはずのマネジメント層が、うまくいかなかったときのことを恐れて「新規事業開発を通じて人材を育成する」といった別のメッセージを発してしまうケースです。これでは現場は困難な新規事業の成功を目指さず、人材育成に寄った施策を展開して、「オープンイノベーションを通じた学び」などが成果とされてしまいます。
 また、「新規事業が既存事業に悪影響を与えないようにする」ような姿勢を取ってしまうのも、目的が二重になってしまっている例です。既存事業への依存から新しい取り組みが後回しになれば、結果として新興企業に市場を奪われるリスクがあります。それが分かっているのに、“虫のいい目標”を採用してしまっているのです。
 相互の信頼関係を高めて
 組織内の意思統一を図るには
2つ目に「組織における意思統一のあり方」を取り上げましょう。
 『失敗の本質』では、指揮系統の中での意思伝達における日本軍の失敗を指摘しています。上で述べたようにミッドウェー海戦レイテ沖海戦では、上層部と現場指揮官の間で目的に関する理解が一致していなかったことが、戦略的失敗につながったと示されています。インパール作戦でも、現地のインド進攻を目的とする部隊と、ビルマ防衛を主目的とする上級司令部との間で理解の不一致があったにも関わらず、その不同意が上層部から明確に伝えられずに作戦が失敗しています。
 一方米国は、ニミッツ長官と部下の現場指揮官・スプルーアンス少将が、ハワイで住居をともにして価値や情報、作戦構想の共有に努めていたといいます。スプルーアンス少将も参謀と、空母「エンタープライズ」の甲板上で散歩をしながら長時間にわたって議論を重ね、相互の信頼関係を高めていました。そして作戦計画についての検討を進めると同時に、価値観の統一を図ったといいます。
 戦後日本の企業組織を見ると、昭和の高度経済成長期には社員を家族のように親密に扱う会社も多く、社員旅行や運動会などを通じて価値観の共有を図っていました。今でもそういう企業もありますが、現代の日本ではワークライフバランスの重視やハラスメント教育など、昭和時代の問題点を見直そうという動きが強くなっています。昭和の悪しき習慣を一掃したのはよいのですが、組織内でのオープンなコミュニケーションも同時に取りづらくなり、意思疎通や価値観の統一が図れなくなるケースも増えているように思います。
 もちろん、必要以上のウエットさはむしろ敬遠されますし、部下のプライベートに踏み込みすぎるのも良いことではありません。ただ、それなら新しい時代に合わせたチームビルディングや1on1ミーティングなどの手法を試すなど、上司と部下との間で意思統一を図る方法があるのではないでしょうか。
 米国にもあった組織内対立
 合理的判断の有無が明暗を分ける
3つ目は「組織内の対立」です。
 『失敗の本質』では組織内の対立も日本軍敗戦の原因として挙げられています。対立はいくつかの部分で起きていますが、ここでは海軍と陸軍の対立を例として取り上げます。
 ガダルカナル戦やレイテ戦では、陸海軍が策略を通じ合って共同で作戦に当たることはかなわず、むしろガダルカナル島では陸海軍の思惑の違いが防御に転じるべき時点を見誤らせ、犠牲を大きくしました。レイテ戦は本格的な陸海空一体の統合作戦として戦われるはずでしたが、陸海軍の間どころか、海軍内部の統合作戦さえ実現しませんでした。
 『失敗の本質』では言及されていませんが、実はマッカーサーニミッツは対立することも多く、そこへ空軍の独立的地位を確立しようとするヘンリー・アーノルド司令官も加わっての縄張り争いが繰り広げられていました。しかし米軍では、合理的な判断を優先させる組織文化が確立されていたようで、さらにルーズベルト大統領直下の組織が軍全体を指揮していました。組織内の対立がむしろ、成果を競い合う原動力として機能していた節もあります。
 今の日本の企業・組織にもよく似た問題はあり、多くの会社で事業部間、あるいは営業担当と開発担当の間などに対立があると聞きます。その要因には、全社としての目的遂行の意識の弱さ、トップダウンの弱さがあり、組織文化が醸成されていないこともあると考えられます。
 旧日本軍において敵とは本来、海軍から見た陸軍、陸軍から見た海軍ではなく、共通であるはずです。ところが陸軍はアジアを、海軍は太平洋を主戦場と見ていたため、統一された敵と目的を持てず、互いの戦略を良しとしないところがありました。
 同じように今の日本企業でも、例えば営業と開発の間で互いに目的が統一されていないがゆえの対立というのはよくある話です。
 米国企業でも組織内の対立はあります。しかし米国の場合は株主責任がより強く働き、CEOが更迭されることも頻繁で、常に正しいことを遂行する能力と結果責任が求められます。業績が悪化した際にはトップの責任問題として扱われ、組織の運営にメリハリがある点は日本の多くの企業と異なります。
 『失敗の本質』の中で何度も語られていることの1つは、「日本の組織文化では合理的な意思決定よりも、多分に情緒や空気を重んじる傾向がある」という点です。それは現代の日本企業の中にも根強く残っているように思います。
 失敗を認めない空気が
 失敗から学べない体質を生む
4つ目のポイントは「学習の欠如」です。
 『失敗の本質』では、戦略策定の方法論について「日本軍は帰納的、米軍は演繹的」と述べられています。
 ある法則から個別の問題を解く演繹法と、経験した事実の中から一般的な法則を見つける帰納法は本来、双方を常に循環させることが必要です。本書ではしかし、「日本軍は事実から法則を析出するという本来の意味での帰納法も持たなかった」としています。そして日本軍の戦略策定について、「多分に情緒や空気が支配する傾向」があり、「科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかった」と指摘します。
 日本軍の「状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法」について、この本では「客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった」としています。これはまさに今でいう仮説検証サイクルを表しています。
 しかし、戦時中実際に起きていたのは「対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学び取ろうとする姿勢の欠如」でした。「本人も反省している。これ以上傷に塩を塗ることはない」といった“空気”が場を支配していたのです。この根底には、失敗を失敗と認めない文化があると考えられます。
 対する米国は、真珠湾攻撃からの学びとして大艦巨砲主義からすばやく脱却。技術革新を基盤として航空機を兵の主力とする転換を行っています。
 さて、今日の日本企業の状況はどうでしょうか。今でも日本の組織では失敗を許さない空気が支配しており、リスクを避ける姿勢がまん延しています。
 障害が起きた際の模範的な対応を考えれば分かりますが、本来は失敗した個人を責めるのではなく、組織として失敗に至ったプロセスを客観的に検証し、二度と起こさないために改善を図ることが次の学びとなります。また、いくつもの小さな失敗から学ぶことが重要です。しかし実際には失敗を認めないがゆえに、その積み重ねによる大きな失敗でことが発覚することがよくあります。
 今日の事業における仮説検証は戦時下と異なり、基本的には命を賭ける必要はありません。しかし、それでも失敗を許さない、失敗を失敗と認めない傾向がいまだに残っているのです。事業での失敗は学びの機会とすべきですが、今の日本の企業文化では、その機会が十分に活用されていないと感じられます。
 物資の重要性は認識されたが
 人材確保の考えがまだ甘い日本
 ほかにも『失敗の本質』には、組織論からは少し外れますが注目すべきポイントがいくつかあるので紹介しましょう。
1つは「補給」について。書籍では日本軍の敗戦の一因が補給不足だと指摘しています。特にガダルカナル戦やインパール作戦ではそれが顕著でした。短期決戦ですぐに陣地を取り返し、敵から食料や物資を奪うことができるという楽観的な予想のみを前提に計画を進めたのです。
 『失敗の本質』の中では、日本軍にはコンティンジェンシープラン(想定外の事態が起きたときに実施する施策)が欠如していたと何度も指摘されています。また作戦が失敗したときに、補給路の確保を重視する認識にも欠けていました。一方、米国は補給路の重要性を理解していたため、長く伸びた日本軍の太平洋上の補給路をいかに断つか、戦略的に動いています。
 現代の日本では、企業活動における物資補給の重要性は認識されています。特に製造業におけるサプライチェーンの確保は、総じてうまくいっていると言えるでしょう。ただし人的リソースの確保についてはまだ弱い部分もあり、物流の2024年問題をはじめ、解決すべき課題が山積しています。
 これまでは人を増やさずに、現場の練度向上、改善努力で賄ってきた企業も多いと思いますが、それだけに頼ることは危険です。太平洋戦争においても、練度の高い人材の喪失と補給不足が敗戦の一因となっています。旧日本軍の状況は、現代における人材管理の課題と類似したところがあるのではないでしょうか。
 戦時中からハード偏重で
 ソフトが弱かった日本
 『失敗の本質』を読んでいて、私が驚いたことがあります。1984年に出版され、戦時中の組織論を取り上げたこの本には、「ソフトウェア」というキーワードが登場するのです。日本軍の技術体系ではハードウェアに対してソフトウェアの開発が弱体であったとの指摘がそれで、ここでいうソフトウェアとはレーダーや通信などの情報システムを指します。
 日本軍は情報を取得し、分析し、適切に活用する能力において劣っていたということですが、現代の日本においてもハードウェア偏重主義の姿勢は変わっていないという感想を持ちました。
 『失敗の本質』における私の最後の注目ポイントは、ものづくりにおける標準化についてです。本書には標準化と大量生産の重要性が挙げられています。米軍は最初から物量戦を見越して、次々と戦艦や飛行機を作るための資源確保・投入を繰り返していました。そのため「いかに標準品を大量に作るか」という、その後の製造業につながる発想をこのときに導入しています。
 現代の日本の製造業には大量生産の能力はありますが、カスタムメード的なアプローチは残っています。ヨーロッパのコンポーネント化された部品を組み合わせるやり方ではなく、すり合わせで統合する手法もよく取られます。
 IT業界に目を向けても、標準品を大量に普及させているのはマイクロソフトやアップルのような企業です。日本はこの分野でも、まだ戦時中の失敗の本質からしっかりと学びきれていないのかもしれません。
 「負けに不思議の負けなし」
 失敗からの学びを生かす
 『失敗の本質』著者の1人の野中氏は、後に新聞に著したコラムでも「失敗を題材にし、そこから学ぶべき」と述べています。
 私の好きな言葉に、故・野村克也監督が江戸時代の剣術書から引用した「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という名言があります。うまくいったケースより、失敗からの方が学べることは多いのです。社外には出せなくても、企業・組織の中では失敗をきちんと共有できるようにすべきだと考えます。
 今の言葉なら「アンチパターン」とでも言い換えられるでしょうか。「こうすると失敗する」というパターンには、いくつかの法則があるのです。そうした法則をしっかりと共有し、そこからの学びを生かして同じ失敗を繰り返さないよう努めなければなりません。
 (クライス&カンパニー顧問/Tably代表 及川卓也、構成/ムコハタワカコ)
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