🎺40:─3・D─太平洋戦争の敗北は日本海軍の失敗を隠す隠蔽体質が原因であった。台湾沖航空戦。~No.179No.180No.181 

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 日本人は、歴史を学び歴史を教訓としない為に、同じ失敗を何度でも繰り返す。
 その傾向が強いのが、超難関校出の高学歴なエリートやインテリ達である。
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 2023年12月29日 DIAMOND online「日本海軍の”幻の戦果”が教えるリーダーの役割とは?「失敗を隠し続ける」が招く大惨事
 瀧澤 中:作家・政治史研究家
 歴史失敗学
 日本海軍の”幻の戦果”が教えるリーダーの役割とは?「失敗を隠し続ける」が招く大惨事
 旧海軍司令壕の司令室 (写真はイメージです)Photo:PIXTA
 歴史には数々の「失敗」がある。この真実を読み解くことで、時を経て繰り返されるビジネス上の失敗に向き合う連載「歴史失敗学」。第1回は、昭和19年に起こった日本海軍の「ウソの報告」に端を発する出来事を取り上げる。(作家・政治史研究家 瀧澤 中)
 日本海軍始まって以来の大戦果?
 戦争では誤謬(ごびゅう)、つまり「誤り」が少ない方が勝つ、といわれる。相手のあることだから、誤謬が起きるのは仕方がない。しかし、「起こしてはいけない誤り」もある。
 昭和19(1944)年の台湾沖航空戦では、この「起こしてはいけない誤謬」が重なり、取り返しがつかない結果を招いた。大きな問題としては、第1に、大戦果が幻であったこと。第2に、戦果が誤報とわかってもそれを修正しないどころか、味方にすら真実を明かさなかったこと。
 第一の点から見ていこう。昭和19(1944)年10月。日本海軍は、劣勢を一気に挽回しようと、押し寄せるアメリカ機動部隊(航空母艦17隻、戦艦6隻など)を台湾沖で壊滅させようとした。
 5日間にわたった戦いの戦果は、とてつもないものだった。敵空母11隻撃沈、同8隻大破、戦艦2隻撃沈などなど。もし本当だとすれば真珠湾攻撃以来の、いや、日本海軍始まって以来の大戦果である。
 国民は沸き立った。国民だけではなく、陸海軍の首脳部も喜びに沸いた。うその代名詞として使われる「大本営発表」だが、この時は現場から上がってきた情報を素直に発表していたために、軍首脳ですらこれを信じたのである。
 大小艦艇合わせれば40隻以上の敵艦を撃沈もしくは撃破したという戦果は、現実にはどうであったのか。
誤報を前提に、作戦を大幅変更
8万人近い日本人兵が戦死
 なんと、実際には、ただの1隻も沈んではいなかった。わずかに巡洋艦2隻大破、空母2隻・軽巡洋艦2隻に軽微な損害。
 戦果誤認の原因は、戦果を確認できるベテランパイロットが圧倒的に少なく、攻撃を終えて帰還した者たちの自己申告が戦果となったこと。
 あるいは、大本営発表の前に軍内部で検討し、「偵察では、昨日は敵空母5隻を確認したが、今日は空母を2隻しか確認できなかった。だから今日の戦果は3隻だ」という単純計算の積算によった。
 開戦以来、ベテランパイロットの多くを失ったため訓練途上のパイロットを多用、しかも米軍の圧倒的な弾幕の中で、果たしてこれほどの戦果が出せるものか?さすがに指揮を執っていた第二航空艦隊や連合艦隊では疑問も出ていた。そこで、海軍内で検討会議が開かれた。
 結果は、「多くて敵艦4隻撃沈」となり、米機動部隊は健在だろう、という結論に至った。ここで第2の「戦果が誤報と分かっても、それを修正しないどころか、味方にすら真実を明かさなかった」という問題点について述べたい。
 誤報そのものをマイナス10点だとすれば、海軍が誤報を陸軍に伝えなかった罪は、その10倍以上罪深いことであると考える。
 なぜなら、陸軍は海軍の「大戦果」を前提にしてフィリピン作戦を大幅変更。結果、8万人近い日本陸軍将兵が圧倒的な米軍の戦力によって戦死したからである。
 台湾沖航空戦の直後、米軍がフィリピン南部レイテ島に上陸を開始。「米機動部隊は壊滅」という海軍の報告をうのみにしていた陸軍首脳部は、これで敵機の攻撃はないと考え、直ちにフィリピン南部への攻撃を命令した。
 フィリピンの第14軍方面司令官・山下奉文大将は大反対する。陸軍はそれまでフィリピン北部のルソン島で、決戦に備えた兵員や物資の集積を行い、陣地も築いていたのに、南部に移動となれば、兵員など輸送途上で攻撃を受けることは間違いない。
 そもそも、敵機動部隊は壊滅したのか?マニラ近郊にいた山下は、収まる気配のない敵機による空襲や各種情報を総合し「敵の機動部隊はかなり残っている」と予測した。
 しかし陸軍首脳、参謀本部は海軍の戦果を疑わず、「神機到来!」と、山下にレイテ攻撃を下令。山下はやむなく、準備のない南部に大規模増援を行なった。
 結果は、惨憺(さんたん)たるものであった。
 陸軍の「左巻きネジ」海軍の「右巻きネジ」 
 送り込まれた第35軍は大敗北を喫する。案の定、ルソン島からレイテ島への兵員・物資は輸送途上、敵航空機などの攻撃でやられ、中には、兵は到着したが武器弾薬や食料を失い、丸裸で前線に送り込まれた部隊もあった。彼らは航空機による援護もなく、負けるべくして負けたのである。レイテ島に無謀に上陸させられた日本陸軍9万名のうち、7万9000人余りの将兵が命を失った。
 海軍はなぜ、「敵健在」情報を陸軍に隠したのか。
 自分を守り、その場を繕いたい。その一心であったというのは少し言い過ぎかもしれない。おそらくは、「海軍」という組織を守りたかったのであろう。
 うそのような本当の話だが、当時の軍需工場では、同じ敷地の中に「陸軍用」と「海軍用」の工場が別々に建っていて、門まで別になっていた。そして、陸軍が「左巻きネジ」を作ると海軍は「右巻きネジ」にして、部品を融通し合うことはなかった。部品だけではなく、原材料も、人員も融通しない。陸海軍は予算を奪い合うライバルであって、戦局の最終盤にならなければまともな協働は見られなかった。
 そんな中で、海軍は自分の「大戦果」を「いまさら『なかった』とは言えない」ということになったのである。
 問題はさらに根深い。戦果が過大だと気付いた海軍内部の検討会議。ここに参加していた航空参謀が戦後、どんな話があったのかを尋ねられると「記憶にない」と答えている。
 なぜ「記憶にない」が根深い問題なのかと言えば、会議の中身がわからなければ、どうして海軍は修正した情報を陸軍に伝えなかったのか、という経緯がわからないからである。この反省がなければ、同じ過ちを繰り返す。
 本当に忘れたのかどうか、それは本人にしかわかるまい。しかし戦後、会議に参加した海軍の人間が一般に公表したもの(手記や著作)には、ほとんどそのことが触れられていない。(例えば連合艦隊航空参謀だった淵田美津雄ほかの著作『機動部隊』など)。
 当時、連合艦隊司令長官であった豊田副武の口述記録『最後の帝国海軍』でも、陸軍に報告しなかった件は1行も触れず、戦果については「現地報告はうのみにはしていなかった」など自己正当化までしている始末である。
 もちろん、陸軍が正しいとは言わない。淵田美津雄が主張するように、陸軍はガダルカナル戦やサイパン戦で航空兵力を出し惜しみしたことは事実である。しかし、だからといって海軍に正確な戦果の情報を渡さないという理由にはならない。結局、「いまさら言えない」ということであったのだろう。
 「みっともないこと」を反省し
 強い組織に磨き上げる
 「失敗の教科書」ともいえる昭和17(1942)年のミッドウェー海戦。ノンフィクション作家・森史朗氏の労作『ミッドウェー海戦』の中で、参謀の一人が「本日敵出撃ノ算ナシ」(きょう敵は攻撃してこない)ということを、まさに攻撃を受ける当日に参加艦艇宛てで発信したことを解明している。
 誤判断の問題は森氏の著作に譲りたい。問題はこの「本日敵出撃ノ算ナシ」発信を、参謀は戦闘詳報(報告書)に記載しなかったことである。
 これでは、反省のしようがない。なぜ戦闘詳報に記述しなかったのか、という森氏の問いに参謀は、「そんなみっともないこと、書けますかいな!」と答えている。森氏は「要するに旧海軍の名誉を守るために不都合な事実をすべて隠蔽(いんぺい)した」と記述している。
 一体、これらの原因はどこにあるのか?
 元海軍次官の沢本頼雄大将は、手記の中で「自分の職域、自分の立場に重きを置いた」「海軍を犠牲にして国家に尽くすことは、とても難しかった」と述べている。
 職域を近視眼的に優先した結果、不都合なことは報告せず、組織そのものが危機に瀕したわけである。
 近年、日本大学での薬物問題で、第三者委員会が発表した報告書(全文版)を読んで驚いたのは、「場当たり的で、責任回避、自己正当化に終始した近視眼的対応」「不都合な情報には目をつぶり、得られた情報を自分に都合よく解釈し、自己を正当化する」といった記述とともに、「A学長は当委員会によるヒアリング調査において、重要な報告について、『ほとんど記憶していない』との供述に終始した」という一節である。
 日大問題や東芝問題などでも起きたことだが、どんな小さな組織であれ、「長」を任された人間には「失敗を明らかにする」という責任がある。なぜなら、リーダーは組織の「今」を守ることはもちろん、組織の「未来」をも守る責任があるからである。
 失敗の原因を突き止めれば、無駄な失敗(同じ失敗)のない、強い組織に磨き上げることができるはずである。有能で頭の良い人ほど、失敗を公にすることは「みっともない」と感じるのかもしれない。しかし。
 「みっともないこと」を報告し、
 「みっともないこと」を皆で議論し、
 「みっともないこと」を反省し、
 二度と起こさないようにする。
 組織最大の敵、「沈黙」。これを破ることこそが、失敗を生かすことにつながるのではなかろうか。
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