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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本国内には、中国共産党に忖度する親中国派・媚中派の保守派と日米同盟を破壊したい反米派・反安保派・反米軍基地派・反自衛隊派・再軍備反対派・武力防衛反対派などのリベラル派・革新派が存在する。
彼らは、今そこに迫っている深刻な中国共産党・中国軍の軍事的脅威に対する関心も興味もない。
つまり、日本国や日本国民=日本民族を守る気はない。
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2020年10月30日05:00 産経新聞「【主張】代表質問 「国の守り」なぜ語らない
国会はもっと大きな論議をしてほしい。28日から始まった代表質問を聞いての率直な感想だ。
新型コロナウイルス禍をめぐる問題や日本学術会議会員候補の一部任命見送り、2050年までの温室効果ガス排出の実質ゼロ達成などが取り上げられた。
一方で、素通りされた重要課題もあった。その典型が、与野党とも日本の守りをほとんど取り上げなかったことだ。国会がこんなていたらくでいいのか。
国の最も重要な責務は、国民の生命と領土、領海、領空を守ることだ。政党も国会議員も防衛、安全保障の問題を避けて通れないはずである。
だが、尖閣諸島(沖縄県)防衛に関する質疑はなかった。中露両国や北朝鮮の核・ミサイルの脅威を指摘し、国民を守り抜く方策を提案した質問者もいなかった。
中国公船が尖閣周辺で領海侵入などを繰り返している問題を取り上げたのは立憲民主党の福山哲郎氏だけだった。その福山氏にしても「どのような外交努力をするのか」と問うにとどまった。外交、防衛双方の強化が必要である。
中国公船による過去最長の領海侵入や日本漁船の追尾、中国海軍艦船が尖閣付近を飛んでいた海上保安庁機に「中国領空からの退去」を求めた問題も明らかになっている。いずれも日本の主権への重大な侵害といえる。
政府が推進する「自由で開かれたインド太平洋」構想を取り上げたのは、自民党の野田聖子、世耕弘成の両氏しかいなかった。
学術会議をめぐっては、立民と共産党が会員候補の一部任命見送りの撤回を、日本維新の会が行政改革上の点検を求めた。
首相による任命権の行使は当然だが、どのような観点から判断したか、経緯についてはもう少し詳しい説明が必要だろう。
残念なのは軍事科学研究を否定し、防衛力向上を妨げている学術会議の安全保障上の問題点を改めようという議論がなかった点だ。同会議は平成29年の声明で、軍事科学研究を「絶対に行わない」とした過去の声明の「継承」を宣言した。侵略を防ぐ抑止力構築を否定するもので非常識に過ぎる。
日本と国民を守るための軍事科学研究は認め、日本に脅威を及ぼす中国や北朝鮮の軍事力強化に協力しない立場への改革こそ、国民のために国会は論じてほしい。
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10月30日10:38 産経新聞「尖閣周辺に中国船 54日連続
東シナ海上空から見た尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄・尖閣諸島(鈴木健児撮影)
尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で30日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは54日連続。
第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。
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10月30日12:04 産経新聞「自民国防議連、「新たなミサイル防衛」を岸防衛相に提言
岸防衛相(左から3人目)に提言書を手渡す自民党国防議員連盟の衛藤征士郎会長(その右)=30日午前、国会
自民党国防議員連盟(会長・衛藤征士郎元衆院副議長)は30日、国会内で岸信夫防衛相と面会し、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア(地上イージス)」の代替策を含む「新たなミサイル防衛に関する提言」を手渡した。
提言は代替策について「新型イージス艦(の導入)案を軸に検討を深化すべきだ」としており、岸氏は「提言を踏まえ、与党と調整しながらしっかりと検討したい」と述べた。
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10月30日12:11 産経新聞「次期戦闘機開発で三菱重工と正式契約 防衛省
三菱重工(志儀駒貴撮影)
岸信夫防衛相は30日の記者会見で、航空自衛隊の次期主力戦闘機の開発主体として三菱重工業と同日、正式に契約したと発表した。次期戦闘機は現在の主力戦闘機F2の後継で、岸氏は「F2の退役が始まる令和17年ごろまでに初号機を配備できるよう、次期戦闘機の開発を積極的に進めていきたい」と述べた。
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10月30日16:55 産経新聞「立民・枝野代表、学術会議は「自民党より多様性ある」
立憲民主党の枝野幸男代表=26日、国会内(春名中撮影)
立憲民主党の枝野幸男代表は30日の記者会見で、日本学術会議の会員構成の多様性が確保されていないとする菅義偉(すが・よしひで)首相の主張に対し、「この約10年で一気に多様化が進んでいる。自民党の国会議員の構成よりもよっぽど多様性があるのは間違いない」と反論した。
「女性の比率などではわが党も後れを取っている」とも付け加えた。その上で、首相の主張について「どのようなファクトに基づいているのか全く理解不能で、支離滅裂(な答弁)の一つだ」と批判した。
首相は30日まで行われた衆参両院の本会議の代表質問で、学術会議会員の出身大学や性別などに偏りがあり、多様性が確保されていないと指摘し、見直しに意欲を示した。
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産経iRONNA「関連テーマ
「日本学術会議」学問の退廃ここに極まれり
「汝平和を望まば、戦争を理解せよ」。イギリスの戦略思想家、リデル・ハートの名言は「学問の自由」をうたいながら、軍学分野を忌避してきた日本の学術界の矛盾をあぶり出す。論争が続く日本学術会議会員の任命拒否問題は、政府側も説明責任を果たさず、論点がズレ始めていないだろうか。改めて問題の本質を問う。
日本学術会議論争、軍事研究で辛酸を舐めた学者が憂う「学問の退廃」
『加藤朗』 2020/10/29
加藤朗(桜美林大リベラルアーツ学群教授)
日本学術会議の任命問題の本質は、学問の退廃、そしてその結果としての民主主義の衰退と権威主義の台頭がある。この利害関係者の間でしか盛り上がらない「学問の自由」をめぐる論争の背景には、荒漠たる思想的、政治的虚無が広がっている。この憂慮すべき状況に関して、筆者の個人的体験を交えながら思うところを記したい。
日本学術会議の支持派は、政府の任命拒否を「学問の自由」に対する侵害だと言って非難している。筆者としては、何十年ぶりかで「学問の自由」が声高に叫ばれるのを聞いた気がする。ただし、かつてとは異なり、否定的な意味でだが。
70年安保前後に全国の大学で吹き荒れた学生運動では、「学問の自由」を盾に自らの特権的地位や知識を独占しようとする大学教授に対し、全国の学生が「学問」とは何か「自由」とは何かを問いかけ、そして文字通り物理的に「象牙の塔」を破壊し、権威にまみれた「似非(えせ)学問の自由」を粉砕した。一方で、一部の勢力は「学問の自由」を守れと主張し、これが結果的に警察権力の介入を招いた。
東大安田講堂の落城と共に、日本の大学の「学問の自由」も「大学の自治」もとどめを刺されたのだ。それゆえ今さら「学問の自由」を守れと連呼されても、守るべき「自由」も「自治」もとっくの昔に死に絶えている。
学生運動が鎮静化する70年代半ば頃までは、大学教職員は「学問の自由」を守ると呼号して、資本家や資本主義に奉仕する「産学協同」や、ましてや自衛隊との「軍学協同」には断固反対を主張していた。しかし、いつのまにか産学協同は産学連携と呼び方を代え、今では大学は反対するどころか積極的に受け入れている。寡聞にして、日本学術会議が「学問の自由」を守るために産学連携に反対したと聞いたことがない。
しかし、日本学術会議が一貫して反対していることがある。それは自衛隊との軍学協同や軍事研究である。特に日本学術会議だけが反対しているわけではない。少なくとも冷戦が終焉(しゅうえん)するまでは、全国のほとんどの大学で軍事研究は忌避されてきた。研究だけではない。
軍学協同反対の立場から、当時の防衛庁、自衛隊やその関連研究所に所属する研究者や自衛官は学界、大学からパージされてきた。軍事研究反対の実態は、研究目的よりもむしろ研究者が「軍」に所属していることで忌避された軍学協同反対というのが実態である。
例えば、73年に設立された防衛学会(現在は国際安全保障学会と改称)に対抗して、同年に設立された日本平和学会は、いまだに以下の差別条項を掲げている。
{第4条:本会への入会は会員2名の推薦を要し、理事会の議を経て総会の承認を得なければならない。また、在外会員(留学生は除く)については、しかるべき研究機関の推薦状によって会員2名の推薦に代替させることができる。ただし、本会の研究成果が戦争目的に利用されるおそれのある機関あるいは団体に属するものは原則として入会できない。}
筆者は大学院生のときにこの平和学会に入会していたが、81年に防衛庁防衛研修所(現在の防衛省防衛研究所)に入所したことで退会させられた。その後96年に大学に移ってから、縁あって何人かの会長経験者に「ただし書き」の意図を直接尋ねたことがある。しかし、いずれも言を左右にして明確には答えてもらえなかった。
防衛研究所に勤務していた16年間は、文字通り「学問の自由」(好きな研究は自由にさせてもらったから、正確には「言論の自由」)とは縁がなかった。というのも論文を外部に発表するには、まじないのように「本論文は、著者個人の意見であり、所属する組織の見解ではありません」との一文を書き添えた上で、数人の事務官が事実上の検閲、押印したのちに所長の決裁印が押されてやっと外部発表ができたからだ。時には書き直しを命じられることもあった。それゆえ志高く持ち、その修正を拒否して若いながら辞職した同僚もいた。
安全保障研究への風当たりが少し弱まった冷戦終焉後の96年、運よく筆者は大学に移ることができた。それからは誰の許可を得ることなく、大学では自由に研究も発表もできた。しかし、防衛庁に勤務していたときには感じなかった居心地の悪さを感じることもまた、多くなった。研究所にはまず、反自衛隊や反軍の思想を持った所員はいなかった。
しかし、いわゆる「娑婆(しゃば)」に出ると、そこは平和主義者や護憲派が跋扈(ばっこ)する世界であった。ちなみに、外界を「娑婆」と呼ぶのは次のような背景がある。現在東京・市ヶ谷の防衛省敷地内にある防衛研究所は、かつて中目黒の塀で囲まれた旧海軍研究所(現防衛装備庁艦艇装備研究所)の跡地の一角に、ほかの自衛隊の教育、研究施設と共にあった。
正門が古い刑務所の門に似ていたためにヤクザの出所シーンの撮影に何度か使われたことがあり、冗談のように研究所を刑務所に見立て、筆者たちは外の世界を「娑婆」と呼んでいた。もっとも自衛隊そのものを自嘲気味に「格子なき牢獄」に見立てる自衛官も当時は多かった。
とはいえ、それなりに「ムショ暮らし」は楽しかった。反面、「出所後」の筆者は護憲派からはまるで「前科者」のように遠ざけられた。「前科者」の筆者は、果たして「日本学術会議」が言う「科学者コミュニティー」の一員として認めてもらえるのだろうか。
このような経歴のゆえに、筆者には今回の日本学術会議の任命問題は全く別世界の話だ。ただ、いささか気の毒に思うのは会員に「任命されなかった」研究者ではなく、会員に「任命された」研究者のことである。これで防衛研究所時代の筆者と同様に特別職国家公務員として、晴れて政府お墨付きの「御用学者」としてのレッテルを張られることになったからである。
尚、早稲田大教授の長谷部恭男氏は毎日新聞の記事にて「もの言わぬ学者は『政府のイヌ』とみなされる」とまで言い切っている。それゆえ会員に任命された研究者は、もし「政府のイヌ」になりたくなければ「もの」を言い、その上で「学問の自由」を主張し、不服があれば首相の任命を拒否してはどうだろうか。ただ任命されなかった研究者が政府に「任命せよ」と迫るのは、「御用学者」、「政府のイヌ」として認めろと言っているようで滑稽ですらある。
今回の学術会議の問題は、実のところ、任命うんぬんにあるのではない。問題の本質は「学問の自由」における「自由」の部分にあるのではなく、「学問」の退廃にこそ原因がある。とりわけ人文・社会などいわゆるリベラル・アーツの退廃が21世紀になってから著しい。その背景には、教育のグローバル化や教育予算の減少、そして文科省による管理行政がある。
教育のグローバル化で、大学はGPA(世界標準の成績評価指標)の導入や多言語教育、留学制度の拡充などに取り組み、国際的な大学間競争で生き残りを図ろうとしている。さらに文科省は、予算の集中と選択で教育や研究に競争原理を持ち込んだ。そのため各大学は、予算や補助金をめぐって激しい競争を強いられる。
そのため、学生からあまり人気のない哲学、思想、政治系の教育・研究分野は競争に劣後していかざるを得ない。だからといって、物理学や生物学など基礎系の自然科学がそれらの学問に優越するわけではない。すべての学問の根幹をなす哲学・思想が退廃すれば自然科学も衰退する。自然科学が衰退すれば、科学技術の発展もない。そして哲学・思想の退廃は政治の退嬰(たいえい)をも招く。過去の国家や文明の栄枯盛衰を見れば明らかだが、政治の退嬰は社会の混乱を、社会の混乱は国家や文明の衰退を招く。
学問の退廃は、安保法制をめぐる政治的、社会的混乱を見れば明らかだ。安倍晋三政権時、単に「アベ嫌いか」あるいは「アベ好きか」という感情で社会が二分化され、まともに国家理念や政治思想に基づく安全保障論議がされることはなかった。
反アベ派は宗教的、教条的な平和主義を振りかざし、安倍首相に悪口と罵詈(ばり)雑言を浴びせるばかりだった。他方、親アベ派も現実を無視した反中「現実主義」を声高に叫び、まさに中江兆民が著した『三酔人経綸問答』の「東洋豪傑君」のようだった。一方で野党は共闘もできず、党利党略に明け暮れた。安保法制をめぐる国論の二分化は、戦後日本が戦争研究を忌避し、思想的土台を欠いた結果である。
人が戦う原因として「利益」「名誉」「恐怖」の3つを挙げた古代ギリシャの歴史家トゥキュディデス。弱肉強食のルネサンス期イタリアにて生き残る術を説いた『君主論』の著者ニッコロ・マキャベリ。ピューリタン革命下にて社会の混乱に直面し、万人の闘争状態からの社会契約論を訴えたトマス・ホッブズ。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と『戦争論』にて唱えたプロイセンの将軍カール・フォン・クラウゼヴィッツの思想など、これら古来からの戦争研究は哲学・思想研究だということを「平和主義者」は今一度思い起こすべきである。
結局、日本学術会議の任命問題は、政治においては民主主義の問題である。フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーは、共同体(国家)の成員である人々が総体として持つとされる意志を「一般意志」と説き、各個人の意志は「特殊意志」と定義した。
学術会議側は「科学者コミュニティー」という限られた人々の「特殊意志」を、あたかも全国民の「一般意志」であるかのように自称し、とうの昔に雲散霧消した「学問の自由」を錦の御旗として反政府闘争をあおっている。
他方政府は、これまた国民の代表という「全体意志」を振りかざし、民主主義の根幹である説明責任を果たそうとしない。学術会議側も政権与党も、いずれも民主主義の衰退に手を貸し、左右を問わず権威主義の台頭を招いている。
「学問の退廃、ここに極まれり」である。
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